なぜフリードリヒ3世は何もせず勝てたのか?“遅すぎる皇帝”がヨーロッパを変えた真実

フリードリヒ3世 (妻のエレオノーレとともに) (出典:Wikimedia Commons) 皇帝の物語
フリードリヒ3世 (妻のエレオノーレとともに) (出典:Wikimedia Commons)

玉座に座り続けるだけの男。剣も抜かず、声も荒げず、ただ黙ってそこにいるだけ。

人々はその姿に失望し、「何もしない皇帝」とあざ笑った。廷臣はそっと目をそらし、諸侯は好き勝手にふるまった。

それでも彼は動かなかった。

笑われても、置いていかれても、ただ静かに、粘り強く。そして気づけば、フリードリヒ3世はハプスブルク家の未来を、たったひとりで抱え続けていた。

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この記事のポイント
  • 1440年、ラディスラウスの後見人としてドイツ王に即位
  • ローマで最後の皇帝戴冠をうけ、宗教支配でも主導権を握る
  • 息子の結婚によりブルゴーニュ継承戦争を制し、帝国の再統一を果たす



150年越しの帝冠

13世紀末、ルドルフ1世とアルブレヒト1世の二代は王に登ったものの、「教皇による皇帝戴冠」には届かなかった。

そのあと150年ものあいだ、ハプスブルクの名は “皇帝” から遠ざかっていく。そんな中、あと一歩で帝位に手が届きかけたのがフリードリヒの叔父、アルブレヒト2世だった。

だが彼は病に倒れ、戴冠を果たせぬまま死去する。「皇帝になり損ねた王」──その背中を、フリードリヒは静かに引き継ぐことになる。

ローマで踏み出した第一歩

1452年。フリードリヒ3世はローマへ向かい、教皇ニコラウス5世から戴冠を受けた。

これは“ローマで行われた最後の皇帝戴冠”でもある。ハプスブルク家は、ここでようやく「皇帝家」としての名誉を取り戻した。

彼の即位は、華やかな勝利でも劇的な戦果でもない。

ただ静かに、ひっそりと──。それでも、この瞬間がのちの大帝国へつながっていく。



「動かない皇帝」フリードリヒ

即位後の彼は、決断も遅く、返事も遅く、時に“無関心”と誤解されるほど動かなかった。

書簡への返答は年単位で遅れ、裁判の判決は先延ばし、帝国議会でも黙ったまま。諸侯たちはあきれ果て、「石のように動かぬ皇帝」と揶揄した。

宮廷はいつも金が足りず、城は古び、家臣たちは他国へ移っていく。帝国の中心は、時代に取り残されたようだった。

フリードリヒ3世

出典:Wikimedia Commons

しかし、彼の沈黙は弱さではない。フリードリヒは、「時を味方につける」という独自の戦い方を持っていた。

敵対する諸侯や隣国がケンカを始めても、彼は焦らず、動かず、ただ見ていた。急いで戦うより、相手が自滅するまで待つほうが、はるかに安全だったからだ。

帝国を変えた縁談──

そのあいだに彼は、ひそかに布石を打つ。最大の一手が――息子マクシミリアンの“結婚”である。

1477年。ブルゴーニュ公シャルルが急死し、娘マリアが広大な領土を相続者となった。フリードリヒはすぐに動き、マクシミリアンとの結婚を申し入れた。

これは見事に成功し、ハプスブルク家はネーデルラントとブルゴーニュの莫大な富を手にする。

この婚姻こそ、のちの「日の沈まぬ帝国」への第一歩だった。

フリードリヒ本人が戦ったわけではない。けれど、彼の“動かない統治”が、この大きな転換点を迎える余地を守り抜いていたのだ。



穏やかな妃エレオノーレ

フリードリヒにとっての救いは、賢く温かな妃エレオノーレ・デ・アヴィスの存在だった。ポルトガル王家の出身で、教養も品格も備えた彼女は、荒れがちな宮廷に「光」を持ち込んだ。

フリードリヒが成し遂げられなかった部分を、彼女が見えない場所で補っていたといっていい。

Meeting with Princess Eleonore of Portugal

ポルトガル王女エレオノーレとの対面 出典:Wikimedia Commons

エレオノーレの影響は、長男マクシミリアンに色濃く現れた。語学、戦術、礼儀作法、そして外交のセンス──すべてに彼女の影がある。

フリードリヒ自身が実現できなかった“皇帝らしさ”は、この妃を通じて、次世代へと確かに引き継がれていた。

息子は父を嫌ったが──

マクシミリアンは、父フリードリヒの遅さと無策にしばしば苛立ったという。

若くして戦場に出、政治と軍事で華々しく活躍する彼には、玉座にじっと座り続ける父の姿がもどかしかった。

若き日のマクシミリアン1世

若き日のマクシミリアン1世 出典:Wikimedia Commons

だが彼は、父の死後、次第にその戦略の深さに気づくことになる。多くの城が焼かれ、都市が略奪された後も、ハプスブルクの中核は無傷だった。

フリードリヒの築いた“動かぬ帝国”は、静かに、しかし確実に次代を支えていたのである。



まとめ

フリードリヒ3世は、豪華さも、強さも、華々しい勝利も持たない皇帝だった。

決断は遅く、周囲から笑われ、“何もしない男”とさえ言われた。それでも、彼はハプスブルク家の未来をひとつずつ、ゆっくりと積み上げていった。

時を味方にし、
戦いを避け、
家を守り、
息子へと未来を渡していく──。

その静かな統治があったからこそ、マクシミリアン、そしてカール5世へと続く大帝国の道が開かれたのである。▶︎ 沈黙の皇妃、失望の帝国へ嫁ぐ!?マクシミリアン1世の母エレオノーレ



さらに詳しく:

📖 マクシミリアン1世と婚姻政策|結婚で築かれた帝国の地図
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参考文献
  • Peter Moraw, The Holy Roman Empire 1495–1806, Oxford University Press, 2011.
  • Joachim Whaley, Germany and the Holy Roman Empire: Volume I, 1493–1648, Oxford University Press, 2012.
  • Heinz Angermeier, Das Alte Reich in der deutschen Geschichte, München, 1991.
  • Karl Vocelka, Französische und deutsche Herrscher im Spätmittelalter, Wien, 2003.
  • ハプスブルク家の歴史を知るための60章 (明石書店) 



・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.
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