ハプスブルク百科.comでは、これまでもハプスブルク家の家系図を掲載してきました。
ハプスブルク家が近親婚を繰り返したことは、よく知られています。けれど、実際にその線を一本ずつ辿ってみると、知識として知っていたものとは、少し違って見えてきます。
一度分かれたはずのスペイン系とオーストリア系。ところが、婚姻によって何度も結びつく。その子孫をさらに辿る。
すると、また同じ祖先に行き着く。
そして、その先でもまた。
どこで系統が分かれたのか、どこで再び交わったのか、そして、その婚姻が何世代後にどのような血縁の重なりとして現れてくるのか。
それを、家系図とともに追っていきます。
かなり細かい内容です。おそらく、ハプスブルク家について「ちょっと知りたい」という方には、少し重たいくらいだと思います。
しかし、「ハプスブルク家の血縁関係を、最後まで辿ってみたい」という方には、楽しんでいただけるのではないかと思います。
近親婚はなぜ繰り返された?
ハプスブルク家の近親婚について語るとき、どうしても避けて通れない人物がいます。スペイン・ハプスブルク家最後の王、カルロス2世です。
カルロス2世については、2009年の研究で、16世代にわたる家系図が詳しく調べられました。対象となった人物は3,000人以上。そして、代を重ねるにつれて、ハプスブルク家の血縁の重なりがどんどん大きくなっていったことが示されています。[注1]

Portrait of Charles II
研究では、「近交係数」という数字を使って、カルロス2世がどれほど同じ祖先を繰り返し共有していたのかを調べています。……といっても、近交係数って何?となりますよね。
私も最初は、ここがかなり分かりにくかったです。ものすごく簡単に言うと、「両親から同じ祖先由来の遺伝子を受け継ぐ可能性が、どのくらい高いか」を表す数字だと思ってください。
たとえば、いとこ同士の夫婦から生まれた子どもの場合、この数字は0.0625になります。叔父と姪の夫婦なら0.125。
親子や兄弟姉妹なら0.250です。
そして、カルロス2世は、0.254。この数字だけを見ると、かなり驚きます。
ただし、ここで絶対に誤解してはいけないことがあります。カルロス2世の両親が、親子や兄弟姉妹だったという意味ではありません。
そうではなく、何世代にもわたって近い親族同士の結婚が繰り返された結果、共通する祖先が何度も家系図の中に現れ、その影響が積み重なっていたということです。[注2]
つまり、カルロス2世を見るとき、「両親がどれくらい近い親族だったのか」だけを見るのでは足りません。そのさらに上、そのまた上。何世代も遡って、家系図全体を見る必要があるのです。
そして、ここで私は改めて思いました。
ハプスブルク家の「近親婚」というものは、個々の結婚だけを見ていては、本当の姿が見えてこないのではないか、と。
なぜなら、一つひとつの結婚を見れば、それぞれには政治的な理由がありました。領土を守るため。同盟関係を強くするため。王位継承を安定させるため。一族の財産や権力を外へ流出させないため。
当時の王侯貴族にとって、結婚は単なる恋愛ではなく、政治そのものでもあったからです。一つの結婚だけを見れば、合理的な選択だったのかもしれません。
しかし、それが何代も続いたら?そして、同じ祖先を持つ者同士が、別のルートから何度も結びついたら?その結果、家系図は一体どうなるのでしょうか。
系譜をたどって
ここからは、実際に作成した家系図を見ながら、カルロス2世に至るまでの血縁を一本ずつ追っていきます。
まず、先ほどの家系図を見てください。
この家系図で、まず見てほしいのは、「同じ人物が、何度も登場している」ということです。普通の家系図なら、祖先を辿れば辿るほど枝は外へ広がっていきます。
ところが、ハプスブルク家の場合は違います。一度出てきた人物が、別のルートからもう一度現れる。さらに別の人物を辿っても、また同じ祖先に戻ってくる。
それが、一度や二度ではありません。
ここを単純に、「ハプスブルク家は血を濃くしたかったから」と考えてしまうと、少し違います。当時の王侯貴族にとって、結婚は政治的な手段でもありました。
誰と結婚するかによって、同盟関係が生まれます。領土を守ることもできます。王位継承を安定させることもできます。
一族の財産や権力を、他家へ流出させずに済む場合もあります。
つまり、「親戚だから結婚した」のではなく、「親戚であることも含めて、政治的に都合のよい相手だった」という面が大きかったのです。
だからこそ、一つひとつの結婚だけを見ると、必ずしも奇妙な選択には見えません。問題は、それが何代も続いたことでした。
終わらないループの中で
こちらは、混じりゆく血統に焦点をあてたものです。この家系図で、まず一人の女性に注目してみます。
フェリペ2世の妃、アナ・デ・アウストリアです。アナは、1570年に「フェリペ2世」の4人目の妻となった人物です。

アナの母はマリア。ですが、マリアはそもそもフェリペ2世の妹でもあります。
つまり、フェリペ2世とアナは、叔父と姪。「姪が叔父の妻になる」というだけでも驚きますが、話はここで終わりません。
アナの父は、オーストリア系ハプスブルク家のマクシミリアン2世。マクシミリアン2世は、フェリペ2世の「いとこ」です。
つまりアナは、フェリペ2世にとって、母方からは姪、父方からはいとこの娘という、二重の血縁関係を持っていました。
さらにアナの祖先を辿っていくと、フェリペ2世とアナの両方の家系図に、「同じ人物」が現れます。
アナの祖父母の世代には、カール5世とその妻イサベルがいる。そしてカール5世の父母を辿れば、フアナ・デ・カスティーリャとフィリップ美公へとたどり着きます。

つまり、アナとフェリペ2世は、もともと別々の家からやってきた男女ではありません。「同じ祖先から伸びた二本の枝」が、何世代か後に再び交わっているのです。
そしてハプスブルク家の家系図を追っていくと、こうした「再び交わる場所」が、一度だけではなく、何度も現れます。
一回の結婚だけではありません。一つの世代だけでもありません。何世代にもわたって、同じ祖先が繰り返し家系図に入り込んでくる。
その積み重ねなのです。
近交係数からみると
もう一度、カルロス2世の数字に戻ります。
近交係数は、0.254でした。
ちなみに、いとこ婚の場合は0.0625。叔父・姪婚の場合は0.125。親子・兄弟姉妹の場合は0.250ですが、カルロス2世は「0.254」だった、ということはお伝えしましたね。
数字だけを見ると、「親子や兄弟姉妹と同じじゃないか」と思ってしまいます。でも、カルロス2世の両親がそうした関係だったわけではありません。
ここが、この数字の興味深いところです。同じ祖先を共有するルートが一つではなく、何本も存在していた。そのため、世代を遡っていくと、同じ祖先から受け継いだ可能性が何度も重なっていきます。
2009年の研究では、スペイン・ハプスブルク家の16世代、3,000人以上の系譜を分析し、こうした複数の祖先からの影響が積み重なっていたことが示されています。[注3]
つまり、カルロス2世の0.254は、「ある一組の結婚」の結果ではなく、長い家系図の積み重ねの結果なのです。
「ハプスブルク顎」との関係

フェリペ4世の肖像画 (出典:Wikimedia Commons)
さて、「ハプスブルク顎」と近親婚には関係があったのでしょうか。この点についても研究があります。
2019年の研究では、ハプスブルク家の15人、66点の肖像画を分析し、顔の特徴と近交係数との関係が調べられました。その結果、下顎前突と近交係数には、統計的に意味のある正の関連が確認されました。
つまり、血縁の重なりが大きい人物ほど、下顎前突の特徴が強くなる傾向が見られたということです。[注4]
ただし、ここも重要です。これは、「近親婚をしたからハプスブルク顎になった」と証明したわけではありません。あくまで、近交の程度と、顔の特徴との間に関連が見られたという研究結果です。
さらに2014年の研究では、ハプスブルク顎の特徴として、下顎だけではなく、上顎の発育不足が重要だった可能性も示されています。
つまり、現在の研究から言えるのは、「ハプスブルク家では近親婚が繰り返され、血縁の重なりが大きくなっていた」そして、「その血縁の程度と、ハプスブルク顎に見られる顔貌との関連を示す研究がある」というところまでです。
近親婚だけですべてを説明できる、とまでは言えません。
家系図から読み取れること
ここまで調べて、私は「ハプスブルク家の近親婚」という言葉に対する印象が少し変わりました。一つひとつの結婚だけを見れば、政治的には合理的だったのでしょう。
「この結婚をすれば同盟が強くなる」
「この領土を守れる」
「この家との関係を維持できる」
その時代を生きた人たちにとっては、それぞれに理由があったはずです。領地を守るため、同盟を結ぶため、王家の財産や地位を一族の中に残すため。
近い血縁同士の婚姻も、一つひとつを見れば、当時の政治の中では意味のある選択でした。ところが、そのような婚姻が何世代も続くと、家系図の中で少しずつ奇妙なことが起こります。
すると、家系図を上へ上へと辿っていったときに、「別々の祖先に行く」のではなく、「同じ祖先に何度も行き着く」ようになっていきます。
最初はたくさんの人物が並んでいるように見えるのに、線を追っていくと、同じ人物のところで何度も交差する。

それが、ハプスブルク家の家系図を実際に辿ってみると感じる、独特の不思議さと怖さです。
おわりに
「ハプスブルク顎」という言葉から始めて、家系図を辿ってみました。最初は、特徴的な顔立ちの話でした。
でも、その顔立ちを調べていくと、近親婚という問題に行き着きます。そして近親婚を調べると、今度は一つひとつの結婚だけではなく、何世代にもわたる家系図そのものを見る必要が出てきます。
そこで見えてくるのが、同じ祖先が何度も登場する、複雑に重なった血縁関係です。カルロス2世の近交係数0.254という数字も、突然現れたものではありません。
長い時間をかけて、何度も繰り返された結婚と血縁の積み重ね。その結果として、最後のスペイン・ハプスブルク王の家系図には、非常に複雑な血縁の重なりが残されました。
もちろん、ハプスブルク家の衰退や断絶を「近親婚だけ」で説明することはできません。歴史には、政治も、戦争も、後継者問題も、病気も、さまざまな要因が絡みます。
それでも、「一つひとつの結婚は合理的だったのに、それを何世代も繰り返したら、最終的に何が起こるのか」という視点で家系図を見ると、ハプスブルク家の歴史は少し違って見えてきます。
そして、その答えは、文章だけではなかなか伝わりません。だからこそ、最後は家系図そのものを見てほしいと思いました。線を一本ずつ追ってみてください。
「あ、この人とこの人が繋がっている」
と思ったら、さらにその線を遡ってみてください。きっと途中で、「……また、この人?」となるはずです。それが、この家系図を作っていて私が一番面白いと思ったところでした。
今回は血縁関係を中心に追ってきましたが、家系図に登場する一人ひとりには、それぞれの人生があります。その人物の生涯やエピソードについては、別の記事でまとめています。
家系図を辿って「この人、ちょっと気になるな」と思った方は、ぜひそちらも覗いてみてください。
全体の家系図はこちら▶︎ ハプスブルク家系図【650年の王朝をひと目でたどる】
・カルロス2世とは?肖像画でたどるスペインハプスブルク家の最後の王
・【スペイン継承戦争とは】王の死がもたらしたヨーロッパの再編
参考文献
- Peacock, Z. S., Klein, K. P., Mulliken, J. B., & Kaban, L. B. (2014). The Habsburg Jaw—re-examined. American Journal of Medical Genetics Part A, 164A, 2263–2269.
- Ceballos, F. C., & Alvarez, G. (2013). Royal dynasties as human inbreeding laboratories: the Habsburgs. Heredity, 111, 114–121.
- Alvarez, G., Ceballos, F. C., & Quinteiro, C. (2009). “The Role of Inbreeding in the Extinction of a European Royal Dynasty.“
- Vilas, R. et al. (2019). Is the ‘Habsburg jaw’ related to inbreeding? Annals of Human Biology, 46, 553–561.
[注1]Alvarez, G., Ceballos, F. C., & Quinteiro, C. (2009). The Role of Inbreeding in the Extinction of a European Royal Dynasty. PLOS ONE, 4(4), e5174. DOI: 10.1371/journal.pone.00051742009年の研究では、スペイン・ハプスブルク家について16世代、3,000人以上の人物を含む系譜が分析されています。[注2]カルロス2世の近交係数は0.254と推定されています。これは一つの近親婚だけで説明できる数字ではなく、複数世代にわたる共通祖先の重複が積み重なった結果です。[注3]ハプスブルク家の婚姻戦略には、政治的同盟や領土・財産・王朝の維持などが関係していました。[注4]2019年の研究では、ハプスブルク家の人物の顔貌と近交係数を分析し、下顎前突と近交係数との間に統計的に有意な関連が確認されています。
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.
本文中にある家系図は、各種史料・研究資料をもとに、人物・婚姻関係・血縁関係を一つずつ確認しながら、編集部が独自に作成したものです。なお、本文中にある、本家系図の作成には、生成AIおよび生成AIによる画像生成は使用しておりません。転載する場合は、必ずリンク付けをお願いします。

