【考察】肖像画と家系図でたどるマリー・アントワネット―彼女はいったい、何者だったのか

編集コラム
Vigée-Lebrun Marie Antoinette 1783 出典:Wikimedia Commons

マリー・アントワネットと聞いて、まず何を思い浮かべるでしょうか。

華やかなドレス。 大きく結い上げた髪。 ヴェルサイユ宮殿。 そして、フランス革命。

おそらく、多くの人にとってマリー・アントワネットは、「フランス革命で処刑された王妃」というイメージが強いのではないでしょうか。

私自身も、ハプスブルク家を調べ始めるまでは、どこかそんなふうに彼女を見ていました。 ところが、肖像画と家系図を並べて見ていくと、少しずつ印象が変わってきます。

マリー・アントワネットは、最初から「フランスの王妃」だったわけではありません。 彼女は、ハプスブルク家の皇女として生まれた人物でした。

肖像画でたどる

Elisabeth Louise Vigée Le Brun. Marie-Antoinette in Court Dress, 1778. 出典:Wikimedia Commons

この肖像画を見ると、まず目に入るのは華やかな衣装や髪型です。

けれど、ここで少しだけ視点を変えてみます。 「この女性は、そもそも何者だったのだろう?」 そう考えて、家系図に戻ってみます。

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マリー・アントワネットは、1755年、ウィーンで生まれました。

母は、ハプスブルク家のマリア・テレジア。 父は、神聖ローマ皇帝フランツ1世です。 つまり彼女は、フランスの王族として生まれたわけではありません。

ハプスブルク家の皇女として生まれ、その後、フランス王太子ルイ・オーギュストと結婚することになります。 ここで私は、少し驚きました。

マリー・アントワネットという人物を知ろうとすると、どうしても「フランス革命」の側から見てしまいます。 でも、家系図を逆向きにたどってみると、彼女の物語はフランス革命よりずっと前から始まっている

しかも、その出発点はフランスではなく、ウィーンなのです。

王妃になる前のマリー・アントワネット では、なぜオーストリアの皇女が、フランス王妃になったのでしょうか。 ここからが、家系図の面白いところです。

マリア・テレジアには16人の子どもがいました。

その子どもたちは、ヨーロッパ各地の王家と結婚していきます。 その中で、末娘だったマリー・アントワネットは、フランス王太子ルイ・オーギュスト (後のルイ16世) と結婚しました。

「オーストリアの皇女が、なぜフランス王妃に?」 という疑問も、家系図を見ると少し分かりやすくなります。 これは、マリー・アントワネット個人の人生だけではありません。

18世紀のヨーロッパでは、王家同士の結婚そのものが、国と国との関係をつくる重要な手段のひとつでした。

マリー・アントワネット・ア・ラ・ローズ

Vigée-Lebrun Marie Antoinette 1783 出典:Wikimedia Commons

ここで、もう一枚の肖像画を見てみます。

先ほどの肖像画と比べると、ずいぶん印象が違います。 華やかな王妃でありながら、どこか親しみやすい姿。 この作品は、マリー・アントワネットを単なる「王妃」としてではなく、一人の女性として見せようとした肖像画でもあります。

肖像画というと、単に「昔の人の顔を見るもの」と思ってしまいがちです。 でも、王族の肖像画には、 「この人物を、どのような存在として見せるのか」という意図も込められています。

だから、同じ人物でも、どの肖像画を見るかによって印象が変わる。

そして、その人物がどんな家系に生まれ、どんな結婚をし、どんな立場に置かれていたのかを知ると、さらに絵の見え方が変わってきます。

母になって

マリー・アントワネットとルイ16世の間には、4人の子どもがいました。

長女マリー・テレーズ。 長男ルイ・ジョゼフ。 次男ルイ・シャルル。 そして末娘ソフィー・ベアトリスです。ここで、もう一枚の肖像画を見てみます。

Marie Antoinette and Her Children)

マリー・アントワネットと子どもたち1787年 出典:Wikimedia Commons

この絵は、1787年に描かれました。

マリー・アントワネットと3人の子どもたちが描かれています。 一見すると、華やかな王妃と子どもたちの肖像画です。

けれど、ここには少し気になるところがあります。 画面の右側に置かれた、空のゆりかごです。

この作品が描かれた時点で、末娘ソフィー・ベアトリスはすでに亡くなっていました。そのため、この空のゆりかごは、そこにいるはずだった子どもの存在を感じさせるものとして見ることができます。

つまり、この肖像画は単なる「王妃と子どもたち」の記録ではありません。そこには、マリー・アントワネットという女性の「母」としての姿も描かれているのです。

そして、この絵が描かれたわずか2年後、フランス革命が始まります。

子供たちの運命

4人の子どもたちは、それぞれ異なる運命をたどりました。 長女マリー・テレーズは、フランス革命を生き延び、やがてフランスを離れて亡命生活を送ることになります。

長男ルイ・ジョゼフは、将来のフランス国王となるはずでしたが、革命が始まった1789年、8歳で亡くなりました。 次男ルイ・シャルルは、父ルイ16世の処刑後、王党派から「ルイ17世」と呼ばれるようになります。

しかし、王として統治することはなく、タンプル塔での幽閉生活のなか、1795年に10歳で亡くなりました。 そして末娘ソフィー・ベアトリスは、わずか11か月で亡くなっています。

同じ両親のもとに生まれた4人の子どもたち。

しかし、その人生はまったく異なるものとなりました。 ここから先をたどっていくと、フランス革命という大きな出来事も、一つの王家の家族の物語として見えてきます。

子どもだったマリー・テレーズ

《マリー・テレーズ・シャルロットと弟ルイ・ジョゼフ》1784年 出典:Wikimedia Commons

この肖像画に描かれているのは、幼いマリー・テレーズと弟ルイ・ジョゼフです。

この二人も、後の革命によって大きく運命を変えられることになります。 特にマリー・テレーズは、4人の子どもの中で唯一、フランス革命を生き延びました。

ここで、家系図をもう一度上へ戻してみます。

マリア・テレジア

マリー・アントワネット

マリー・テレーズ

この三世代を一本の線でつないでみると、マリー・アントワネットが「ハプスブルク家の物語」の途中にいる人物だということが分かります。

マリア・テレジアの娘として生まれたマリー・アントワネット。 そのマリー・アントワネットの娘として生まれたマリー・テレーズ。

つまり、オーストリアのハプスブルク家からフランス王家へと伸びた一本の線が、さらに次の世代へと続いているのです。 ここが、私が家系図を見ていて面白いと思ったところでした。

マリー・アントワネットは、「フランス革命で終わった人物」ではありません。 彼女の人生は、その前の世代からつながり、そして次の世代へも続いている。

一人の人物だけを見ていると見えなかったものが、家系図にすると見えてきます。

彼女もまたひとりの皇女

Marie-Antoinette seated, in blue coat and white dress, holding a book in her hand (1788) 出典:Wikimedia Commons

最後に、もう一度マリー・アントワネットの肖像画を見てみます。

最初に見たとき、この女性は「フランス王妃」に見えました。けれど、家系図をたどったあとでは、少し違って見えます。

この人は、ハプスブルク家の皇女として生まれ、 マリア・テレジアの娘として育ち、フランス王太子と結婚し、フランス王妃となり、そして4人の子どもを持つ母となった。

その家族の未来を、フランス革命が大きく変えていった。一枚の肖像画の中にいるのは、単なる「悲劇の王妃」ではありません。

そこには、一人の女性の出生、結婚、家族、そしてその時代の歴史が重なっています。

マリー・アントワネットは、歴史の中でも特に有名な人物です。

だからこそ、私たちは彼女について「知っているつもり」になりやすいのかもしれません。でも、肖像画を一枚見て、家系図を一本たどってみる。

それだけで、「この人は、いったい何者だったのだろう?」 という問いの答えが、少しずつ変わっていきます。フランス王妃になる前の彼女。

マリア・テレジアの娘だった彼女。 そして、4人の子どもを持つ母だった彼女。 同じ一人の女性なのに、どこから見るかによって、その姿はずいぶん違って見えます。

私は、ここが肖像画と家系図を一緒に見る面白さだと思っています。

おわりに

マリー・アントワネットは、フランス革命の悲劇だけから見ると、「処刑されたフランス王妃」という一人の人物に見えます。

けれど、家系図をたどってみると、その姿は変わります。 ハプスブルク家の皇女として生まれ、マリア・テレジアの娘となり、フランス王家へ嫁ぎ、4人の子どもをもうけた女性。

そして、その子どもたちの運命を通して、フランス革命という時代の大きな変化も見えてきます。

肖像画を見るとき、描かれている人物だけを見るのではなく、その人物がどこから来たのか、誰とつながっていたのかを家系図からたどってみる。 すると、一枚の絵の中に描かれていない物語まで見えてくる。 それが、肖像画と家系図を一緒に見る面白さなのだと思います。 

さらに詳しく:
📖 なぜ西洋絵画を見ていると、ハプスブルク家に出会うのか?
📖 マリー・アントワネットの子供たちはどうなった?4人の子供からたどる王家の運命

【家系図の制作について】
本文中にある家系図は、各種史料・研究資料をもとに、人物・婚姻関係・血縁関係を一つずつ確認しながら、編集部が独自に作成したものです。なお、本文中にある、本家系図の作成には、生成AIおよび生成AIによる画像生成は使用しておりません。転載する場合は、必ずリンク付けをお願いします。
参考文献
この記事を書いた人 Author
舟島 (Funejima)

国際的な業務に携わり10年以上。

英語などを用いた資料調査・翻訳に対応。
一次史料、海外の学術論文・専門書などをもとに複数資料を照合し、歴史的事実を検証したうえで執筆しています。

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