1700年、スペイン王カルロス2世が亡くなった。
子どもはなかった。
これによって、スペイン王位を約200年にわたって担ってきたハプスブルク家の男系は途絶えることになる。
では、なぜカルロス2世には後継者が生まれなかったのだろう。その理由を、最後の王カルロス2世だけに求めると、話はそこで終わってしまう。
けれど、家系図を何世代もさかのぼってみると、少し違った景色が見えてくる。
誰と誰が結婚したのか。
その結婚によって、どの王家とどの王家がつながったのか。
そして、その血筋が何世代後に、再び重なったのか。
カルロス2世は、こうした長い家系の先に生まれた王だった。
この記事では、カルロス2世の家系図をたどりながら、スペイン・ハプスブルク家がどのようにして最後の王を迎え、なぜその死が王朝の断絶につながったのかを見ていこう。
1700年、スペイン王カルロス2世が息を引き取った瞬間、ひとつの王朝は静かに消えた。その死は偶然ではない。
血を閉ざし続けた婚姻、沈黙の宮廷、ふたりの王妃の涙。世代をまたいで積み重なった影が、最後の王の身体に結実していた。
王朝断絶の理由は、すべてカルロス2世に集約される。
この記事のポイント
- 1661年、カルロス2世が誕生、深刻な身体的・精神的障害を抱えて即位
- 統治能力を持たぬまま王位にあり続け、宮廷では陰謀と迷信が支配する混乱の政治が続く
- 1700年の死去でスペイン・ハプスブルク家が断絶し、継承問題がスペイン継承戦争を引き起こす
最後の王、カルロス2世
1661年、カルロス2世はスペイン王フェリペ4世と、その二人目の妻マリアナ・デ・アウストリアの間に生まれた。
ここで、まず両親の関係を見てみよう。
マリアナの父は、神聖ローマ皇帝フェルディナント3世。
そしてマリアナ自身も、ハプスブルク家の一員である。
つまり、カルロス2世が生まれた時点で、すでに両親の間には近い血縁関係があった。

カルロス2世の家系図 (©︎Habsburg-Hyakka.com)
しかし、カルロス2世の家系図をさらにさかのぼっていくと、それだけではないことが分かる。
スペイン・ハプスブルク家では、それ以前にも近い血縁関係にある人物同士の婚姻が繰り返されていた。
いとこ同士。
叔父と姪。
こうした婚姻が何世代にもわたって重なっていたのである。
その結果、カルロス2世の家系図には、同じ人物が何度も登場する。
一度つながった血筋が、何世代か後に、また婚姻によってつながっていく。分かれて、またつながる。
これは、ハプスブルク家の家系図をたどるうえで、重要な特徴の一つである。
なぜ近い血縁で結婚したのか
では、なぜハプスブルク家では、このような婚姻が繰り返されたのだろう。
当時の王家にとって、結婚は単なる家族同士の結びつきではなかった。王位継承権や領地、外交関係を結ぶための重要な手段でもあったからである。
スペイン・ハプスブルク家も、ヨーロッパ各地の王家や諸侯との婚姻によって、政治的な関係を築いていった。
そして、前の記事で見たように、ハプスブルク家はカール5世とフェルディナンド1世の時代に、スペイン系とオーストリア系という二つの系統へ分かれていく。
しかし、分かれたからといって、両家の関係が終わったわけではない。
その後も両系統の婚姻は続いた。その一例が、スペイン王フェリペ2世と、オーストリア系ハプスブルク家出身のアナ・デ・アウストリアの結婚である。
こうして、一度分かれた家系が、再び婚姻によってつながっていく。そして何世代もたつと、そのつながりはさらに複雑になっていった。
家系図をたどる
カルロス2世の両親は叔父と姪だった。
さらにその上の世代をたどっていくと、別の近親婚も見えてくる。
こうして家系図を広げていくと、カルロス2世が、何世代にもわたって近い血縁関係の婚姻が重なった家系の中に生まれたことが分かる。

2009年、スペイン・ハプスブルク家の系譜を分析した研究では、16世代、3,000人以上の人物を対象として近親婚の程度が調べられた。
その研究によれば、カルロス2世の近交係数は0.254と推定されている。
これは、カルロス2世の家系図を実際にたどったときに見えてくる、複雑な血縁関係を数値として捉えたものでもある。
ただし、ここで注意しておきたい。近親婚だけを理由に、カルロス2世の身体や生涯をすべて説明することはできない。
カルロス2世には、生涯にわたってさまざまな健康上の問題があったことが記録されているが、それらと近親婚との因果関係については、研究上の議論も残されている。
重要なのは、カルロス2世が「近親婚をした両親から生まれた」という一点だけではない。
何世代にもわたって血縁関係が重なっていた家系の中に、最後の王が生まれた。
このことが、カルロス2世の家系図を見るうえで重要なのである。
後継者が生まれず
カルロス2世には二人の王妃がいた。
最初の王妃は、フランス王家につながるマリー・ルイーズ・ドルレアン。
二人目の王妃は、プファルツ=ノイブルク家出身のマリアナ・デ・ネオブルゴである。
しかし、二度の結婚にもかかわらず、カルロス2世には王位を継ぐ子どもが生まれなかった。ここで問題になるのが、王朝の継承である。
王に子どもがいなければ、次の王は誰になるのか。
その答えを探すためには、カルロス2世の家系図をさらに広げる必要があった。
「次の王」は誰なのか
カルロス2世の死を前にして、スペイン王位をめぐる有力な候補となったのが、二人の王族だった。
一人は、オーストリア・ハプスブルク家のレオポルト1世の息子、大公カール。もう一人は、フランス王ルイ14世の孫、フィリップである。
ここでも、家系図が重要になる。
大公カールもフィリップも、カルロス2世の家系とつながっていた。

つまり、カルロス2世に子どもがいなかったことで、
「王がいなくなる」
のではなく、
「誰が王位を継ぐのか」
という問題が生まれたのである。
カルロス2世は最終的に、ルイ14世の孫フィリップを後継者とする遺言を残した。
1700年、カルロス2世が亡くなると、フィリップはスペイン王フェリペ5世となった。
しかし、この王位継承をめぐって、ヨーロッパでは大きな対立が起こる。
フランスのブルボン家がスペイン王位を継承することで、ヨーロッパの勢力関係が変化することを各国が警戒したためである。
こうして、スペイン王位をめぐる争いは国際的な戦争へと発展していった。
これが、スペイン継承戦争である。
王朝の断絶とは
ここまで家系図をたどってみると、1700年の出来事が少し違って見えてくる。
スペイン・ハプスブルク家の断絶は、カルロス2世が亡くなった瞬間に突然起こったものではない。
その背景には、何世代にもわたる婚姻があった。スペインとオーストリアに分かれたハプスブルク家が、再び婚姻によって結びつく。
その婚姻が次の世代へ受け継がれる。そして、家系図の中で同じ人物が何度も登場する。
その長い積み重ねの先に、カルロス2世がいた。そして彼には、王位を継ぐ子どもが生まれなかった。
その瞬間、これまでハプスブルク家の中でつながってきた血筋とは別に、「次の王を誰にするのか」という問題が表面化したのである。
まとめ
カルロス2世の歴史を、彼自身の身体や病気だけから見ようとすると、どうしても一人の王の悲劇として終わってしまう。
しかし、家系図を広げると、その前に何世代もの人々がいることが分かる。
誰と誰が結婚したのか。その結婚によって、どの家とどの家がつながったのか。
そして、その子どもたちが、また誰と結婚したのか。
そうやって線を一本ずつ追っていくと、カルロス2世が生まれるまでの長い歴史が見えてくる。
そして1700年、カルロス2世が亡くなる。スペイン・ハプスブルク家の男系は、ここで途絶えた。
しかし、ハプスブルク家そのものが消えたわけではない。オーストリア側のハプスブルク家は、その後も続いていく。
だからこそ、カルロス2世の死は単なる「ハプスブルク家の終わり」ではない。
一つの系統が途絶え、別の系統はその後も歴史を歩き続ける。その分岐を理解するためにも、家系図は欠かせないのである。
ただ、ここまで家系図をたどってくると、ひとつの疑問も残る。
なぜハプスブルク家は、これほどまでに近い血縁関係の婚姻を繰り返したのだろうか。
これは単に「王家の血を守るため」と説明してしまってよい問題なのか。
それとも、王位継承、領土、外交、そして王家そのものを維持しようとする政治のなかに、別の理由があったのだろうか。
筆者自身、ハプスブルク家の家系図を何度もたどるなかで、この問題について考えてきた。
近親婚は、なぜここまで繰り返されたのか。そして、それは本当に「血統を守る」という一言だけで説明できるのか。
この問いについては、史料と家系図をもとに、別の記事で筆者自身の考察としてまとめている。▶ ハプスブルク家「近親婚」の系譜――血統はなぜ、ここまで閉じていったのか?【考察】
参考文献
- Bartolomé Bennassar, Carlos II: el Rey Anhelado, Editorial Crítica
- John Lynch, The Hispanic World in Crisis and Change 1598–1700, Blackwell Publishing
- José Luis Comellas, Historia de España Moderna y Contemporánea, Ediciones Rialp
- 菊池良生『神聖ローマ帝国』講談社学術文庫
- 高橋哲雄『スペイン史』山川出版社
- 名画で読み解くハプスブルク家 12の物語 中野京子
- PARES|Copia de cláusula del testamento que otorgó Carlos II
-
Universidad de Sevilla|Copia del testamento de Carlos II, 1700
一次史料
- Archivo General de Simancas, Testamento de Carlos II, 1700.
- Archivo de la Real Chancillería de Valladolid, Expediente relativo al fallecimiento del rey Carlos II y al contenido de su testamento, 1700.
研究資料
Gonzalo Alvarez, Francisco C. Ceballos, Celsa Quinteiro, “The Role of Inbreeding in the Extinction of a European Royal Dynasty,” PLOS ONE, 2009.

