「戦争よりも結婚を」。
ハプスブルク家の歴史を語るとき、よく知られている言葉である。実際、ハプスブルク家にとって、結婚は家族の問題だけではなかった。
誰と結婚するかによって、同盟が生まれ、王位継承の道が開かれ、領地の行方まで変わった。結婚は、王家にとって政治そのものだったのである。
だからこそ、ハプスブルク家はヨーロッパ各地の王家と結婚を重ねていった。
ところが、家系図を何世代もたどっていくと、あることに気づく。同じ人物が、何度も祖先として現れてくる。叔父と姪。いとこ同士。かつて結ばれた家同士が、何世代か後に、また結びついている。

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最初は王家を守るための政略だった。
それが何世代も繰り返されたとき、家系図には少しずつ「重なり」が生まれていった。では、なぜハプスブルク家は、そこまでして親族との結婚を続けたのだろうか。
そして、その「重なり」は、最後に何をもたらしたのだろうか。家系図をたどりながら見ていきたい。
この記事のポイント
ハプスブルク家にとって、結婚は同盟や王位継承、領地をめぐる政治的な手段でもあった。
王家にとっての結婚

皇帝カール5世と皇后イザベラ (出典:Wikimedia Commons)
現代では、結婚というと、まず二人の人生を思い浮かべる。
しかし、ヨーロッパの王家では、事情が違っていた。王子や王女の結婚は、家と家を結ぶものだった。
たとえば、王女が別の国の王子と結婚すれば、二つの王家が親族になる。そこから同盟が生まれることもある。王位継承の権利につながることもある。
領地を相続する道が開かれることもある。戦争を避けるための手段になることさえあった。ハプスブルク家が勢力を広げていく過程でも、こうした婚姻は重要な役割を果たした。
ただし、「結婚すればすべてが平和になった」という単純な話ではない。
結婚によって得た王位や領地が、次の争いの原因になることもあった。それでも、王家にとって婚姻が重要な政治手段だったことに変わりはない。
親族との結婚
では、なぜ親族との結婚が増えていったのだろうか?大きな理由のひとつは、王家の利益を守るためである。
王家にとって、結婚相手は自由に選べるものではなかった
相手がどこの家の人間なのか。どの王位を継ぐ権利を持っているのか。どんな領地を持っているのか。どの国とつながっているのか。
こうしたことが重要だった。そのため、すでに強い関係を持っている王家や、近い親族の中から結婚相手を選ぶこともあった。
親族であれば、家系や継承関係も把握しやすい。そして何より、王家の財産や権利を外へ流出させずに済む場合がある。
こうして、政治的な理由から親族同士の結婚が選ばれることがあった。

一人の人物から、父へ。父から祖父へ。さらにその先へ。こうして、家系図の線が少しずつ重なっていく。
これが、ハプスブルク家の近親婚を理解するうえで重要なところである。単に「いとこ同士が結婚した」という一組の婚姻だけを見るのではない。
何世代にもわたって、同じ祖先を共有するようになっていった。その積み重なりを見る必要がある。
重要なのは
ただし、ここでひとつ注意したい。
ハプスブルク家が、いつも親族と結婚していたわけではない。むしろ、家系図をよく見ると、ハプスブルク家の外へと伸びていく線もたくさんある。
そのひとつが、フェリペ2世とイングランド女王メアリー1世の結婚である。

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1554年、スペイン王太子だったフェリペ2世は、イングランド女王メアリー1世と結婚した。
フェリペ2世にとっては、スペインとイングランドという二つの王家を結ぶ結婚だった。メアリーにとっても、カトリックの王であるフェリペとの結婚は、自らの宗教政策や王位継承と深く関わっていた。
一見すると、「ハプスブルク家の家系図」に新しい線が一本加わったように見える。ところが、この結婚から子どもは生まれなかった。
メアリーは1558年に亡くなり、イングランド王位は異母妹のエリザベス1世へと渡った。
つまり、王家どうしを結びつけるための結婚が、必ずしも次の世代までその結びつきを残すとは限らなかった。ここが、ハプスブルク家の家系図を見るときに面白いところである。
つながるだけではない
王家の結婚を見るとき、私たちはつい、「この結婚によって、二つの家がつながった」と考えてしまう。けれど、本当に重要なのは、その次の世代である。
子どもが生まれれば、そのつながりは次の世代へ受け継がれる。
その子どもがまた別の王家と結婚すれば、さらに新しい線が伸びていく。反対に、子どもが生まれなければ、その線はそこで途切れる。
フェリペ2世とメアリー1世の結婚もそうだった。スペインとイングランドの王家は結婚によって一度結ばれた。
しかし、その結婚から王位を継ぐ子どもは生まれなかった。そのため、イングランド王位はハプスブルク家へ受け継がれることなく、テューダー家のエリザベス1世へと移った。
こうして家系図を見ていくと、王家の歴史は「誰と結婚したか」だけではなく、「その結婚が次の世代へつながったかどうか」によっても形を変えていったことがわかる。
おわりに
フェリペ2世とメアリー1世の結婚を家系図で見ると、ひとつの「もし」が浮かんでくる。
もし、この二人の間に子どもが生まれていたら。その子どもは、スペイン・ハプスブルク家とイングランド王家、二つの王家の血を引くことになる。
そして、もしその子がイングランド王位を継いでいたら。イングランドの歴史も、ハプスブルク家の歴史も、今とは違う形になっていたかもしれない。
もちろん、歴史に「もし」はない。
実際には二人の間に子どもは生まれず、メアリー1世の死後、イングランド王位はエリザベス1世へと受け継がれた。
そのため、フェリペ2世とメアリー1世の結婚によって生まれた「スペインとイングランドを結ぶ線」は、次の世代へ伸びることなく途切れた。
一方で、ハプスブルク家の別の家系では、婚姻の線が何世代にもわたって受け継がれ、やがて別の線と再び結びついていく。
同じ「王家の結婚」でも、その先に子どもが生まれるかどうかで、家系図の形は大きく変わる。
一本の線が、次の世代へ伸びるのか。
それとも、そこで途切れるのか。
歴史の面白さは、その問いの先にある。家系図を見ていると、王家の歴史は、そんな小さな分岐の積み重ねによってできていることに気づく。▶︎ メアリー1世はなぜフェリペ2世と結婚したのか?“女王の選択”とその代償
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参考文献
- González-Pérez, E. et al. The Role of Inbreeding in the Extinction of the Spanish Habsburg Dynasty. Nature Communications, 2009.
- McKitterick, R. The Habsburgs: The Rise and Fall of a World Power. Penguin Books, 2020.
- Bruce, S. The Habsburgs: Embodying Empire. Yale University Press, 2016.
-
Wiesflecker, H. Kaiser Maximilian I. Das Reich, Österreich und Europa. München, 1991.

