王家を襲った血友病―ヴィクトリア女王からロマノフ家、スペイン王家へ

家系図でたどる
ヴィクトリア女王の娘 アリス (出典:Wikimedia Commons)

ハプスブルク家の歴史をたどっていると、ときどき「この話は、ハプスブルク家だけでは終わらない」と感じることがある。

今回取り上げるのは、血友病である。19世紀、イギリスのヴィクトリア女王の家系から広がった血友病は、ロシア皇帝家やスペイン王家にも伝わっていった。

少しだけ、ハプスブルク家から離れてみよう。けれど、家系図を一本たどれば、やがてまたスペイン王家を通じて、ハプスブルク家の歴史へ戻ってくる。

今回は「王家の病」と呼ばれた血友病を手がかりに、ヴィクトリア女王からロマノフ家、そしてスペイン王家へと、王室の血統をたどってみたい。

血友病とは?

血友病は、血液を固めるために必要な凝固因子が不足することで、出血が止まりにくくなる遺伝性疾患である。

血友病にはいくつかの種類があるが、歴史上の「王家の病」については、長いあいだA型なのかB型なのかが分かっていなかった。

当時の医師たちには、現在のように遺伝子を調べる方法も、凝固因子を補う治療法もなかった。

そのため、血友病を発症した王子にとって、転倒や外傷、関節内での出血などが命に関わることもあった。

では、この病気はなぜ「王家の病」と呼ばれるようになったのだろうか。その鍵を握る人物が、イギリスのヴィクトリア女王である。

ヴィクトリア女王からロシア皇帝家へ

ヴィクトリア女王には、9人の子どもがいた。

そのうちの一人が、次女アリスである。アリスはヘッセン大公ルートヴィヒ4世と結婚し、ドイツのヘッセン大公家へ嫁いだ。そして、その娘の一人がアレクサンドラである。

アレクサンドラは1894年、ロシア皇帝ニコライ2世と結婚した。

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ここで、ヴィクトリア女王から始まった家系図は、ロシア皇帝家へとつながる。

そして1894年、ニコライ2世とアレクサンドラの間に生まれたのが、皇太子アレクセイである。ロシア帝国の皇位継承者として生まれたアレクセイだったが、幼い頃から出血に悩まされていた。

彼が受け継いだのは、母アレクサンドラを通じて伝わったヴィクトリア女王の家系の血友病だった。

血友病はX染色体上の遺伝子に関係するため、こうした家系では、女性が保因者となり、その子どもである男性に発症することがある。

ヴィクトリア女王自身は血友病を発症していなかった。しかし、彼女の家系図をたどると、やがてロシア皇帝の後継者へと病気が受け継がれていたのである。

皇位継承者が抱えたもの

アレクセイにとって、血友病は単なる病気ではなかった。

彼はロシア帝国の皇位継承者だった。もし皇太子に何かあれば、帝国の将来そのものに関わる。

しかも当時は、血友病に対する現在のような治療法は存在していなかった。

出血は外傷だけでなく、関節や体内でも起こりうる。幼いアレクセイにとって、日常生活の中にも危険があった。そのため、アレクセイの病気は皇室の中でも極めて慎重に扱われた。

皇太子が重い病気を抱えていることが広く知られれば、皇位継承そのものに対する不安につながる可能性があったからである。

そして、この状況のなかでアレクサンドラが頼るようになった人物が、グリゴリー・ラスプーチンだった。ラスプーチンはアレクセイの病気を「治した」と証明されているわけではない。

しかし、アレクセイの出血が続くなかで、彼が少年を落ち着かせることができたとアレクサンドラは信じ、次第に彼への信頼を深めていった。

(左)グリゴリー・ラスプーチン (右) 皇太子アレクセイとアレクサンドラ皇后

やがてラスプーチンは皇后の信頼を背景に、宮廷内で大きな影響力を持つようになる。その存在は、ロマノフ家への批判や宮廷政治をめぐる議論とも結びついていった。

ただし、ここで注意しなければならないのは、血友病そのものがロシア革命を引き起こしたわけではないということである。

ロシア帝国の崩壊には、第一次世界大戦、政治的対立、社会不安、経済問題など、複数の要因があった。

アレクセイの病気と、それをめぐるラスプーチンの影響は、その複雑な状況の一部として見るべきなのである。

もう一つの王家へ

ヴィクトリア女王の家系図をさらに広げてみよう。

すると、今度はスペイン王家へとつながっていく。ヴィクトリア女王の末娘ベアトリスも、血友病の遺伝子を受け継いだと考えられている。

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ベアトリスはバッテンベルク公子ヘンリーと結婚し、その娘ヴィクトリア・エウヘニアが、のちにスペイン国王アルフォンソ13世と結婚した。

ここで重要なのは、ヴィクトリア・エウヘニアがスペイン・ブルボン家へ嫁いだことである。つまり、ヴィクトリア女王から始まった血友病の家系は、今度はスペイン王室へ入っていった。

そして、そこでも血友病を発症する王子が生まれた。アルフォンソ13世とヴィクトリアの息子アルフォンソとゴンサロは、いずれも血友病を発症したことが知られている。

ゴンサロは1934年、19歳のときに自動車事故に遭い、その後、血友病に伴う内出血によって亡くなった。

こうして家系図を広げていくと、

ヴィクトリア女王
↓
ベアトリス
↓
ヴィクトリア・エウヘニア
↓
スペイン王家

という一本の線が見えてくる。

そして同じヴィクトリア女王の家系から、別の枝は、

ヴィクトリア女王
↓
アリス
↓
アレクサンドラ
↓
アレクセイ

という形で、ロシア皇帝家へとつながっていた。

血友病という一つの病気を追いかけるだけで、イギリス、ロシア、スペインという、遠く離れた王室が一枚の家系図の上でつながっていくのである。

なぜ「王家の病」だったのか

ここで、最初の疑問に戻ろう。

なぜ血友病は「王家の病」と呼ばれるようになったのだろうか。もちろん、血友病が王族だけの病気だったわけではない。

血友病は一般の人々にも存在する遺伝性疾患であり、王族に特有の病気ではない。それでも、19世紀から20世紀初頭にかけて、ヴィクトリア女王の子孫を通じて血友病が複数のヨーロッパ王室へ伝わった。

そのため、血友病は「王家の病」として広く知られるようになったのである。

そして、この歴史には王室特有の事情もあった。当時のヨーロッパ王室では、王族同士の結婚が政治的・外交的な意味を持っていた。

一つの結婚によって、王家と王家がつながる。そして、その結婚によって生まれた子どもが、また別の王家へ嫁いでいく。

家系図を見れば、血友病がどのように王室から王室へ伝わっていったのかが見えてくる。

つまり、「王家の病」という呼び名の背景には、病気そのものだけではなく、当時のヨーロッパ王室を結びつけていた婚姻関係があったのである。

「病」の正体

長いあいだ、ヴィクトリア女王の家系に伝わった血友病が、A型なのかB型なのかは分かっていなかった。

当時の医学には、現在のように遺伝子を解析する技術がなかったからである。ところが、21世紀になって状況が変わった。

2009年、ロマノフ家の遺骨を用いた遺伝子解析が行われた。

研究者たちは、皇太子アレクセイらのDNAを調べ、血液凝固因子IXをつくるF9遺伝子に特徴的な変異を発見した。この変異は、血液凝固因子IXの働きを大きく損なうものと考えられた。

その結果、長いあいだ「王家の病」と呼ばれてきた血友病は、重症型の血友病Bであることが明らかになったのである。

2009年の研究は、歴史上の人物について伝えられてきた病気を、現代の遺伝学によって特定した例でもある。

ヴィクトリア女王の時代には、ただ「出血しやすい病気」としか分からなかったものが、100年以上の時を経て、遺伝子レベルで明らかになったのである。

血友病とハプスブルク家

ここで、ハプスブルク家に戻ろう。

今回の話では、ヴィクトリア女王の家系から伝わった血友病と、ハプスブルク家の歴史を混同してはいけない。ヴィクトリア女王の家系から伝わった「王家の病」が、ハプスブルク家へ入ったことを示す記録は確認されていない。

一方、ハプスブルク家では、王朝内の婚姻が繰り返されたことで、別の意味で「血統」が歴史を動かすことになった。

とくにスペイン・ハプスブルク家最後の国王カルロス2世は、近親婚が繰り返された家系の中で生まれた人物として知られている。

つまり、ヴィクトリア女王の家系では、「一つの遺伝的変異が、王室同士の婚姻を通じて広がった。」

一方、ハプスブルク家では、「王朝内の婚姻が繰り返され、血統そのものが王朝の歴史を考えるうえで重要な問題になった。」

同じ「王家の血」をたどっていても、そこに見えてくる歴史は同じではない。

だからこそ、家系図をたどることには意味がある。

誰と誰が結婚したのか、その子どもは、どの王家へ嫁いだのか。そして、その結婚によって、何が次の世代へ受け継がれていったのか。

王室の歴史を一本の線として追っていくと、政治や戦争だけでは見えてこない、もう一つのヨーロッパ史が浮かび上がってくるのである。

おわりに

「王家の病」と呼ばれた血友病は、王族だけの病気ではなかった。

けれど、ヴィクトリア女王という一人の女性を起点として、イギリスからロシア、スペインへと、その遺伝的特徴が王室の婚姻を通じて受け継がれていった。

ロシアでは、それが皇位継承者アレクセイの病気となり、皇后アレクサンドラとラスプーチンの関係にもつながっていった。スペインでは、ヴィクトリア・エウヘニアを通じてブルボン家へ入り、そこでも王子たちが血友病を発症した。

そして2009年、ロマノフ家のDNA解析によって、その「王家の病」が重症の血友病Bだったことが明らかになった。一枚の家系図を眺めるだけでは、そこにあるのは名前と線にすぎない。

しかし、その線を一本ずつたどっていくと、結婚、王位継承、病気、宮廷政治、そして王朝の運命までがつながって見えてくる。

ハプスブルク家から少し離れてみた今回の話も、結局は同じところへ戻ってくる。ヨーロッパの王室は、家系図の上で互いにつながっていた。

そして、その「つながり」こそが、ヨーロッパ史を読み解く一つの鍵なのである。

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参考文献
研究資料

一次資料

  • Victorian Papers

  • https://ra.rct.uk/TreeBrowse.aspx?field=RefNo&key=VICPRIV%2F2&src=CalmView.Catalog&utm_
  • Алексей Николаевич, цесаревич, сын императора Николая II. 1904–1918 (ロシア連邦公文書館(GARF))
  • Heinz Duchhardt, The House of Habsburg: A European Dynasty (2018)
  • Richard Aspin, “Haemophilia in European Royalty,” Journal of Medical Biography 21(4), 2013
  • DNA解析報告: Rogaev et al., “Genotype analysis identifies the cause of the ‘royal disease’,” Science, 2009