「青い血」。現在では、「高貴な家柄」を意味する比喩として使われている。
この言葉には、スペインの歴史、キリスト教社会における「血の純潔」、そしてヨーロッパの王侯貴族をめぐる系譜意識が深く関わっている。
ただし、ここには一つ注意が必要である。
「青い血」という言葉の由来と、ハプスブルク家の近親婚は、最初から同じ一つの物語だったわけではない。
この記事のポイント
「青い血」の由来と「血の純潔」は同じものではなく、貴族の血統意識とハプスブルク家の近親婚をたどると、その言葉の背景が見えてくる。
「血の純潔」とは
ここで登場するのが、スペインで広まった「limpieza de sangre」である。
日本語では「血の純潔」などと訳される。
簡単にいえば、 「その人の祖先には、どのような人がいたのか」 を問題にする考え方だった。
15世紀のスペインでは、キリスト教へ改宗した人々の祖先や出自をめぐって、社会の中でさまざまな対立が起きていた。
1449年、トレドでは、改宗者やその子孫を公職などから排除する規定が作られた。
その後、「どのような祖先を持つのか」を重視する考え方は、スペインのさまざまな組織へ広がっていった。(※注)
ここでいう「血」は、本物の血液のことではない。
「どんな家に生まれ、どんな祖先を持っているのか」。それが、人の立場を決める材料になっていたのである。
「青い血」と「血の純潔」

若きマリア・テレジアの肖像(出典:Wikimedia Commons)
ここで、最初の疑問に戻ろう。
「青い血」という言葉と、「血の純潔」という考え方は、どちらも「血筋」を大切にする社会の中で生まれた。
しかし、この二つを完全に同じものとして考えることはできない。
「血の純潔」は、祖先の宗教的な出自を問題にした考え方だった。一方、「青い血」は、やがて「高貴な家柄」を意味する言葉として使われるようになった。
両者の背景には共通するものがある。
それは、「人は、どのような家に生まれたのか」ということが、とても大きな意味を持っていた社会である。
今では、生まれた家によって身分が決まることを当然とは考えない。
けれど、かつてのヨーロッパでは、祖先や家柄は、その人の人生を大きく左右するものだった。
ハプスブルク家では
ここで、ハプスブルク家の家系図を見てみよう。
ハプスブルク家は、婚姻によってヨーロッパ各地の王家と結びついていった。結婚は、恋愛だけのものではなかった。
王位を受け継ぐ権利を得たり、領土をつないだり、他の王家との関係を強めたりするためにも使われた。
そのため、ハプスブルク家の家系図をたどると、同じ人物が何度も登場することがある。
親族同士の結婚が、何世代にもわたって繰り返されたからである。
特にスペイン・ハプスブルク家では、17世紀になると近い親族同士の結婚が重なっていった。その先にいたのが、スペイン・ハプスブルク家最後の王、カルロス2世である。

(©️Habsburg-Hyakka.com)
カルロス2世に何が起きたのか
カルロス2世は1661年に生まれた。
父はフェリペ4世、母はマリアナ・デ・アウストリア。そして、この二人は叔父と姪の関係だった。
さらに、その前の世代でも親族同士の結婚が繰り返されていた。
カルロス2世の家系図を何代もさかのぼっていくと、同じ祖先が何度も現れる。一見すると大きな王家に見えても、その中では同じ家系が何度も交わっていたのである。
ただし、ここで、「近親婚がカルロス2世のすべての病気を生み出した」と考えるのは正確ではない。
研究から分かっているのは、近親婚の多さと、いくつかの身体的な特徴との間に関連が見られたということである。
一人の人物が抱えていたすべての病気の原因まで、証明されたわけではない。
「青い血」が悲劇を生んだのか
ここまで読むと、一つの疑問が浮かぶ。
「高貴な血を守ろうとしたことが、ハプスブルク家の悲劇につながったのでは?」 そう考えたくなる。けれど、歴史はそこまで単純ではない。
「純血を守ろうとした」
↓
「近親婚が増えた」
↓
「カルロス2世が生まれた」
と一本の線でつなぐことはできない。
王家の結婚には、王位、領土、外交、王家同士の関係など、さまざまな理由があった。
近親婚も、その長い婚姻関係の中で繰り返されたものだった。
だから、「青い血が悲劇を生んだ」というより、「王家にとって血筋を守ることが、どれほど大きな意味を持っていたのか」 を見るほうが、この歴史はよく分かる。
そして、その考え方のもとで婚姻が何世代も続いた先に、カルロス2世の時代があったのである。
絵画に残された「王家の血」

青いドレスの王女 画: ディエゴ・ベラスケス 出典:Wikimedia Commons
そんな歴史を知ったうえで、ベラスケスの宮廷肖像画を見ると、少し違って見えてくる。
マルガリータ・テレサ。
フェリペ4世の娘として生まれ、幼い頃から何度も肖像画に描かれた王女である。
彼女の肖像には、豪華な衣装、宝飾品、宮廷空間が描かれている。
そこにあるのは、単なる少女の肖像ではない。
彼女が誰の娘であり、誰と結婚する可能性があり、どの王朝につながっているのか。
王族の肖像画には、本人の姿だけではなく、その背後にある王朝の系譜まで描き込まれているのである。
だからこそ、家系図を知ってから肖像画を見ると面白い。
一人の少女に見えていた人物が、ハプスブルク家とヨーロッパ各王家をつなぐ一本の線の上にいることが分かるからだ。
おわりに
高貴な「青い血」。
それは、本当に青い血が流れているという意味ではなく、今では「高貴な家柄」を表す言葉だが、その背景には、祖先や家柄を重視したヨーロッパ社会の歴史がある。
そしてハプスブルク家の家系図をたどると、今度は「血筋を守ること」が、王家の結婚と深く結びついていたことが見えてくる。
誰と誰が結婚したのか。 その二人には、どんな共通の祖先がいたのか。
その結婚が何世代も続いたとき、何が起きたのか。こうして家系図を一本たどっていくと、「高貴な血」という言葉の向こう側に、王家の人々が生きた現実が見えてくる。
華やかな宮廷。 豪華な肖像画。 王冠と宝石。そのすべての背後に、家系図がある。
その血を、誰が、なぜ、守ろうとしたのか。そこまで考えて初めて、ハプスブルク家の歴史は立体的に見えてくるのである。▶︎【家系図で見る】近親婚の系譜とハプスブルク顎|遺伝がもたらした影
さらに詳しく:
📖 カルロス2世|呪われた王とスペイン・ハプスブルク家の終焉
📖 【なぜハプスブルク顎は生まれたのか?】近親婚がもたらした遺伝的異常と代償
参考文献
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- (※注1449年のトレドで出された「Sentencia-Estatuto」は、のちに広がる「limpieza de sangre(血の純潔)」の制度につながる重要な先例の一つとされている。1547年にはトレド大聖堂で「血の純潔」に関する規定が制定され、現在も当時の審査記録がアーカイブに残されている。
ただし、1449年の規定と1547年の制度を、同じ制度がそのまま発展したものとして単純に捉えることはできない。)
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