スペイン黄金時代の幕が下り始めたとき、王座にいたのがフェリペ3世だった。
彼は、厳格な父フェリペ2世とはまったく違う王だった。宮廷の奥深くに身を置き、政治の舵を自分ではなく臣下に任せた王である。
この記事のポイント
- 1578年、フェリペ2世の子として生まれ、20歳でスペイン王に即位する
- レルマ公爵に国政を委ね、スペインの平和を表面上維持する
- 経済混乱と衰退の中で、フェリペ4世へ帝位を継承する
“敬虔なる王”の誕生
1578年、フェリペ3世はスペイン王フェリペ2世とアナ・デ・アウストリアの子として生まれた。
気品があり、温和で、誰に対しても礼儀正しい少年だったが、父のような“冷徹な政治家”ではなかった。1598年、フェリペ2世が死去し、20歳のフェリペ3世は即位する。
しかし若い王には、父のように帝国を動かす意志も覚悟もなかった。そこで彼が選んだのは、信頼できる一人の側近に国政をゆだねることだった。
権力を預けた王
フェリペ3世が全幅の信頼を置いた人物、それが“影の王”ことレルマ公フランシスコ・ゴメス・デ・サンドバルである。

レルマ公 (出典:Wikimedia Commons Public Domain)
フェリペ3世は狩猟や儀式など、宮廷生活に深く没頭し、政治の決定はほとんどレルマ公に任せきりだった。
その間にレルマ公は権力を握り、莫大な富を蓄え、宮廷は贅の限りを尽くすようになる。しかし、一方で帝国の財政は急速に悪化していた。
華やかな宮廷の陰で、スペインの国家体力は静かに失われていった。
スペインの”平和”
フェリペ3世の治世は「スペインの平和」と呼ばれる。だが、その平和は戦争を戦い抜いた結果ではなく、戦えなくなった帝国の“休息”だった。
- 1604年:イングランドとの和平
-
1609年:オランダ(ネーデルラント)との12年間の休戦
どれも「勝利」ではなく、スペインが疲弊した末の妥協だった。無敵艦隊(アルマダ)を失った帝国は、もはやかつての海上覇権を保つことができなかった。
近親婚でつなぐ“血の結束”
フェリペ3世もまた、父や祖父と同様に、「政略結婚」を用いてハプスブルク家の勢力を維持しようとした。

(English version here) © Habsburg-Hyakka.com
- 娘アナ → フランス王ルイ13世と結婚
-
息子フェリペ4世 → 神聖ローマ皇女マリアナ・デ・アウストリアと結婚
スペイン系とオーストリア系のハプスブルク家は、この婚姻によってさらに結びつく。しかし、血の結束はやがて近親婚による遺伝的な問題として、後の世代に重くのしかかることになる。
静かに終わりを迎えた王
1621年、フェリペ3世は42歳で亡くなった。帝国の実権はすでに傾き始めており、後を継ぐフェリペ4世は“衰退の時代”を受け継ぐことになる。
フェリペ3世は、戦争を終わらせ、わずかな平和をもたらした王として語られることもある。だが、その平和は強さから生まれたものではなく、無関心と放任から生まれた静けさとも言える。
ところで、レルマ公は本当に悪役だったのだろうか?近年の研究では、レルマ公が単なる利権政治家ではなく、
- 王権の象徴化
- 官僚制度の整備
-
統治の“儀礼化”
など、後の絶対王政につながる土台を作ったとも考えられている。
つまりフェリペ3世の「任せる統治」は、必ずしも無能ではなく、“王の神聖性を高める新しい統治モデル”という見方もあるのだ。
だから歴史はおもしろい。
まとめ
フェリペ3世の治世は、スペイン帝国が最も静かに傾き始めた時代だった。大きな戦争は止まり、宮廷は華やぎ続けたが、その背後で帝国の力は確実に失われていった。
やがて帝国の未来は、息子フェリペ4世に託されることになる。
だが、芸術の黄金期を迎えるその時代こそ、衰退の影が最も深く広がっていくことになるのだった。▶︎ 【芸術の影で帝国は傾く】フェリペ4世と スペインハプスブルク最後の栄光
さらに詳しく:
📖 【フェリペ2世と無敵艦隊の敗北】アルマダ海戦とスペイン帝国のほころび
📖 【図解】ハプスブルク家スペイン系家系図|断絶までの全系譜
参考文献
- Geoffrey Parker, “Global Crisis: War, Climate Change and Catastrophe in the Seventeenth Century,” Yale University Press, 2013.
- J. H. Elliott, “Imperial Spain 1469-1716,” Penguin Books, 2002.
- Henry Kamen, “Spain’s Road to Empire: The Making of a World Power, 1492-1763,” Allen Lane, 2002.
- John Lynch, “Spain Under the Habsburgs,” Blackwell, 1981.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.


