ヴァレンシュタイン (神聖ローマ帝国軍総司令官)

ヴァレンシュタイン 人物で読む栄光と悲劇
アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン (出典:Wikimedia Commons Public Domain)

三十年戦争の最中、ヴァレンシュタイン (アルブレヒト・ヴェンツェル・エウゼビウス・フォン・ヴァレンシュタイン) は軍人でありながら「経営者」として帝国最大の軍を築き上げた男である。

皇帝の忠臣にして、同時に最も恐れられた存在—その野望は戦場を超えて帝国の中枢に及んだ。

基本情報

地位 神聖ローマ帝国軍総司令官
出生
1583年9月24日(ボヘミア・ヘルニーツェ)
死去 1634年2月25日(ボヘミア・エゲル)
享年 50
主君
フェルディナント2世(神聖ローマ皇帝)
伴侶
イザベラ・カテリーナ・フォン・ハルラッハ
出身 ボヘミア貴族(改宗後はカトリック)
父親
フランソワ・デュ・プレシ(プワトゥー貴族)
死因 皇帝の密命により暗殺(エゲルにて)

人物の背景

ヴァレンシュタインは、没落したボヘミア貴族の家に生まれた。青年期にカトリックへ改宗すると、ハプスブルク家への忠誠を示して出世の道を開く。

やがて軍事的才覚と財務の天才ぶりを発揮し、自らの資金で軍を編成。傭兵制を再編し、戦費を敵地からの徴発で賄う「自給自足の軍隊」を作り上げた。

彼のもとには、飢えた兵士だけでなく野心家たちが集まり、帝国最大の軍勢が誕生する。しかしその圧倒的な力は、やがて皇帝フェルディナント2世の恐怖を呼び覚ますことになる。

治世で起きた主要な出来事

  • 三十年戦争への登場(1625年)
    フェルディナント2世の要請で傭兵軍を組織。デンマーク王クリスチャン4世を撃退し、帝国の危機を救う。軍事・経済両面での成功により、莫大な領地と影響力を獲得。

  • ヴァレンシュタインの失脚(1630年)
    その権力を恐れた諸侯と皇帝により罷免される。だが帝国軍の弱体化とスウェーデンの台頭により、わずか2年後に再び召還される。

  • リュッツェンの戦い(1632年)
    スウェーデン王グスタフ・アドルフと激突。戦いは血戦の末、王を討ち取るも、ヴァレンシュタイン自身も疲弊し、皇帝への忠誠を失い始める。

  • 陰謀と最期(1634年)
    皇帝への反乱を画策したと疑われ、エゲルで暗殺される。皇帝の密命を受けた自軍の将校たちによって命を絶たれた。

ヴァレンシュタインは、単なる傭兵将軍ではなく「戦争経済の創始者」とも呼べる存在だった。彼の軍制改革は近代的な常備軍の原型となり、その死は三十年戦争の転換点を象徴する。

皇帝の野心を支え、やがてその皇帝に消された男——彼の生涯は、権力の光と影そのものだった。

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