カルロス2世とは?肖像画でたどるスペインハプスブルク家の最後の王

Charles-II-House-of-Habsburg-Spain-as-a-boy- 少年時代のカルロス2世 (貴族としての威厳と“青い血”を象徴する宮廷衣装が描かれている。) 皇帝の物語
カルロス2世の肖像画 (出典:Wikimedia Commons)

スペイン・ハプスブルク家最後の王、カルロス2世。

肖像画に描かれた彼の顔を見ると、まず目に入るのは、長く突き出した下顎と独特の口元である。

けれど、この肖像画を「病弱だった王の姿」として眺めるだけでは、カルロス2世という人物は見えてこない。

なぜ彼は、スペイン・ハプスブルク家最後の王になったのか。その答えを知るには、彼自身だけではなく、彼が生まれた家系図をたどる必要がある。

カルロス2世の父はフェリペ4世。母はマリアナ・デ・アウストリア。

そして、この二人も近い血縁関係にあった。何世代にもわたって繰り返された婚姻によって、ハプスブルク家の血縁は複雑に重なっていたのである。

その系譜の先に生まれたのが、1661年のカルロス2世だった。

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この記事のポイント

カルロス2世は後継者を残せないまま死去し、スペイン・ハプスブルク家は断絶。フランス・ブルボン家への王位継承をめぐってスペイン継承戦争が起こる一方、オーストリア系ハプスブルク家はその後も存続した。

肖像画に残された王

カルロス2世の肖像画は、幼少期から晩年まで数多く残されている。

カルロス2世の肖像画 (Public Domain) Charles as a child, c. 1675

幼い王は、豪華な衣装をまとい、王冠や王笏とともに描かれる。

しかし、肖像画を年代順に並べてみると、顔立ちの変化にも目が向く。

カルロス2世の肖像画 (Public Domain) Charles c. 1685

そして、成人後のカルロス2世。長く突き出した下顎、特徴的な口元。

こうした顔貌は、ハプスブルク家の肖像画に繰り返し登場する「ハプスブルク顎」と呼ばれる特徴とも重なる。

この特徴と近親婚との関連については、近年の研究でも検討されている。つまり、カルロス2世の肖像画は、単に「変わった顔の王」を描いたものではない。

家系図を重ねて見ることで、その顔が生まれた背景まで考えることができる。

望まれた王子

カルロス2世が生まれた1661年、父フェリペ4世はスペイン王として君臨していた。

しかし、カルロス2世が王になったのは、まだ4歳のときだった。

1665年、父フェリペ4世が死去。

幼いカルロスが王位を継ぎ、成人するまで母マリアナ・デ・アウストリアが摂政として政治を担った。

つまり、カルロス2世の治世は、最初から「王本人がすべてを動かす時代」ではなかった。

その後、カルロスは成長し、王として統治することになる。そして彼の治世で、スペイン・ハプスブルク家は最後の時代を迎えることになる。

二人の王妃と、途絶えた王統

カルロス2世は二度結婚した。

最初の王妃は、フランス王ルイ14世の姪にあたるマリー・ルイーズ・ドルレアン

1679年に結婚したが、1689年に死去し、二人の間に子どもは生まれなかった。

翌1690年、カルロス2世はマリアナ・デ・ネオブルゴと再婚する。

マリアナ (出典:Wikimedia Commons)

しかし、この結婚でも子どもは生まれなかった。ここで問題になるのが、「次の王は誰なのか」ということだった。

王位継承者がいない。それは、単なる一家族の問題ではない。

スペイン王位を誰が継ぐのかは、ヨーロッパ各国の勢力関係を左右する問題だった。

そして1699年、バイエルン選帝侯ヨーゼフ・フェルディナントが死去すると、継承問題はさらに複雑になっていく。

カルロス2世が選んだ人物

1700年、カルロス2世は遺言を残した。

その後継者として指名されたのが、フランス王ルイ14世の孫、フィリップ・ド・アンジューだった。

この遺言は、現在もスペインの公文書館に関連史料が残されている。そして1700年11月1日、カルロス2世は39歳で死去する。

ここで、スペイン・ハプスブルク家の男系は途絶えた。だが、歴史は終わらなかった。

フィリップ・ド・アンジューがスペイン王フェリペ5世として即位すると、その継承をめぐってヨーロッパ諸国が対立し、スペイン継承戦争へとつながっていく。

おわりに

カルロス2世の肖像画を見ていると、どうしてもその顔に目がいく。

けれど、そこに「滅びの予兆」を読み込む必要はない。

肖像画に描かれているのは、1700年まで実際に王として君臨した一人の人物である。

カルロス2世の肖像画(1681) 出典:Wikimedia Commons

彼の顔。彼の家系図、二度の結婚。そして、最後に残された遺言。

これらを一つずつつないでいくと、「最後の王」という言葉の意味が変わって見えてくる。

カルロス2世は、最初から「王朝を終わらせるために生まれた王」だったわけではない。彼の死によって王朝が終わったからこそ、後世から「最後の王」と呼ばれているのである。

そして、その最後の王を生んだ家系図をさらにさかのぼると、何世代にもわたる婚姻と血縁の重なりが見えてくる。

カルロス2世を知ることは、ひとりの王を見ることではない。その背後にあった、スペイン・ハプスブルク家という一つの家系の歴史を見ることでもある。

関連する物語:

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参考文献
  • Archivo General de Simancas(スペイン王室公文書館)
  • Alvarez, G., et al. (2009). “The Role of Inbreeding in the Extinction of a European Royal Dynasty.”
  • Kamen, Henry. “Spain’s Road to Empire: The Making of a World Power, 1492-1763.” (2002)
  • Walker, D. “Habsburg Jaw: A Study in Genetic Disorders.” (2015)