1914年6月28日、ボスニアの都市サラエボ。晴れ渡る空の下、皇太子フランツ・フェルディナント大公と妻ゾフィーは、ボスニア視察へと赴いていた。
この旅は、決して彼の望みではなかった。政治的に緊張の高まる地域での行幸は、命を狙われる危険を孕んでいたからだ。
しかし彼は、帝国の“飾り”ではなく“調整者”になろうとしていた。多民族国家ハプスブルク帝国の将来を真剣に考え、「戦争せず、統治の形を変える」道を模索していたのである。
だがその理想は、一発の銃弾によって打ち砕かれた。
- 1914年のサラエボ事件は、偶然ではなく、民族主義と帝国の矛盾が生んだ必然だった
- 皇位継承者フランツ・フェルディナントは、戦争を避けたいと考えていた平和的な人物だった
- その死は、帝国の“終わりの始まり”となる第一次世界大戦を呼び寄せた
フランツ・フェルディナント
彼が「皇位継承者」となった背景には、帝国を揺るがす悲劇があった。1889年、皇帝フランツ・ヨーゼフの一人息子である皇太子ルドルフが自殺し、その後継の座が空白となった。

家系図:画像 Wikimedia Commons(Public Domain)を基に編集作成:©︎Habsburg Hyakka.com
さらに1896年には、次の継承者とされていたフランツ・フェルディナントの父「カール・ルートヴィヒ」が死去。こうしてフランツ・フェルディナントが、帝国の未来を担う存在として前面に押し出されることとなった。
皇太子は「強硬派」ではなかった
フランツ・フェルディナントは、彼をよく知る者の間では“融通が利かない頑固者”として知られていた。宮廷内でも悪評は尽きなかったが、その一方で、しばしば語られる「戦争好きの軍人」というイメージとは真逆の一面を持っていた。
彼は、軍の近代化を唱える一方で、安易な戦争を強く戒めていた。
なぜなら、帝国が抱える内的矛盾──民族ごとの独立運動や、各地の腐敗した貴族層への反発──を、軍事ではなく制度の改革こそが解決すると信じていたからである。
「連邦化を通じて民族間の対立を和らげる」。
この構想は後に誇張されがちだが、少なくとも現状維持に安住しようという発想ではなかった。彼の政治的な視線は、他の宮廷人よりもずっと地に足がついていたのだ。
サラエボ事件は本当に“偶発的”だったのか?
事件の日、サラエボ市内には「青年ボスニア」と呼ばれる民族主義者たちが密かに潜んでいた。彼らはセルビア民族の独立を渇望し、帝国の象徴である皇太子の殺害を“大義”としていた。
しかし、事件には「甘さ」と「偶然」が多く絡んでいた。最初の暗殺計画は失敗。爆弾は別の車に命中し、大公夫妻は九死に一生を得た。
だがその後、見舞いに行こうと進路変更した車が、たまたまもう一人の暗殺者プリンツィプの目の前に停車してしまう。運命のいたずらか、奇跡的な偶然が重なったのか。
プリンツィプは迷うことなく引き金を引いた──ゾフィーとフランツ・フェルディナント、二人はその場で息絶えた。
帝国が選んだのは「平和」ではなく「威信」だった
暗殺の報がウィーンへ届いたとき、帝国の上層部はある意味で“待っていた”と言える。なぜなら、この事件は「帝国を脅かすセルビアを叩く絶好の口実」だったからだ。
皇太子はすでにいない。
帝国中枢で“戦争を止める重し”となっていた彼の不在によって、タカ派が一気に勢力を伸ばした。
歴史家クリストファー・クラークは「列強は夢遊病者のように戦争へ突き進んだ」と言った。だがハプスブルクに限っては、“自分の意志で動いた者たち”がいた。彼らは戦争を望み、挑発し、突き進んだのである。
1914年7月28日。オーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに宣戦布告。世界は、破滅的な戦争の渦に放り込まれた。
まとめ
フランツ・フェルディナントの死は、単なる“偶発的暗殺”で終わらなかった。それは、自らの弱さと矛盾を抱えきれなくなった帝国が、最後に踏み外したステップだった。
もし彼が生きていれば──帝国の連邦化は実現したか?第一次世界大戦は起こらなかったか?
歴史に「もし」は禁物だが、少なくとも彼が帝国で唯一「戦争を恐れた後継者」だったことだけは確かである。戦争は「偶然」ではなく、「選択」から始まる。それは1914年も、いまも変わらない。▶︎ 第一次世界大戦とハプスブルク帝国の終焉|民族の叫びと帝国の崩壊
さらに詳しく:
📖 「皇后になれなかった花嫁ゾフィ」──貴賤結婚が開いた宮廷の暗部
📖カール1世|ハプスブルク家最後の決断と亡命の道
参考文献
- 村上亮『20世紀のオーストリア・ハプスブルク家』(山川出版社)
- Christopher Clark, “The Sleepwalkers: How Europe Went to War in 1914”
- Samuel R. Williamson Jr., “Austria-Hungary and the Origins of the First World War”
- Manfried Rauchensteiner, “Der Erste Weltkrieg und das Ende der Habsburgermonarchie”
- 伊藤隆司『ハプスブルク家と近代ヨーロッパ』(講談社学)
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.
