なぜ西洋絵画を見ていると、ハプスブルク家に出会うのか?

ハプスブルク家とは?

西洋絵画を見ていると、ときどき「また、この名前が出てきた」と思うことがある。

マリー・アントワネット。
マリア・テレジア。
カール5世。
フェリペ2世。

それぞれ名前は知っている。

でも、「この人たちは、いったいどういう関係なの?」「なぜスペインの王家とオーストリアの王家が、こんなにも深くつながっているの?」

「そもそも、神聖ローマ帝国とハプスブルク家って何なの?」そう聞かれると、急に難しくなる。

その原因のひとつが、ハプスブルク家の複雑な家系図だ。

結婚、親子、兄弟、相続――。
人と人とのつながりをたどっていくと、いつの間にかスペイン、オーストリア、フランス、ブルゴーニュ、そして神聖ローマ帝国までつながってくる。

けれど、逆に言えば、この家系図をたどっていけば、バラバラに見えていた人物や絵画が、一本の線でつながっていく。

ハプスブルク家を知ることは、一つの王家を覚えることではない。人と人とのつながりをたどりながら、ヨーロッパの歴史を知っていくことなのだ。

この記事では、一枚の家系図を手がかりに、ハプスブルク家の歴史をたどってみよう。

ハプスブルク家の始まり

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ハプスブルク家の歴史を大きく見るなら、重要な転機となるのが1273年である。 この年、ルドルフ1世が神聖ローマ帝国の王に選ばれた。

当時のハプスブルク家は、まだ後世のような巨大な王家ではなかった。

しかし、ルドルフ1世の時代を境に、ハプスブルク家はオーストリアを中心に勢力を広げ、やがてヨーロッパを代表する王朝へと成長していく。

その過程で大きな役割を果たしたのが、戦争だけではない。 「結婚」である。 王家と王家が結婚する。 その子どもが、また別の王家と結婚する。

こうした婚姻が何世代も積み重なることで、ハプスブルク家の家系図には、ヨーロッパ各地の王家が次々とつながっていった。 そのつながりが、やがて一人の人物のもとに大きく集まることになる。

オーストリアとスペイン系の分岐

ハプスブルク家の歴史が一気に複雑になるのが、スペインとのつながりである。

「オーストリアのハプスブルク家なのに、なぜスペイン?」 そう思うかもしれない。 ここで家系図を見ると、その理由が見えてくる。

マクシミリアン1世は、ブルゴーニュ公女マリーと結婚した。 この結婚によって、ハプスブルク家はブルゴーニュとの結びつきを強める。

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そして、その子どもたちの結婚によって、今度はスペイン王家との関係が生まれていく。

オーストリアとスペイン。
地図の上では遠く離れた二つの地域が、家系図の上では一本の線でつながっていく。

その線の先に現れるのが、カール5世である。

カール5世への因果―

カール5世は、父にフィリップ美公、母にスペイン王女フアナを持つ。 つまり、ハプスブルク家とスペイン王家、二つの系譜を受け継いで生まれた人物だった。

さらに、祖父母の世代から受け継いだ王位や領地が重なり、カール5世のもとにはスペイン、ネーデルラント、オーストリアなど、広大な支配領域が集まることになる。

ここでカール5世だけを見ていると、 「なぜ一人の君主に、これほど多くの領地が集まったのだろう?」 と不思議に思う。 けれど、家系図をよくよく見て欲しい。

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父は誰か。 母は誰か。 祖父母は誰か。 そして、その人たちは誰と結婚したのか。

そうやって線を一本ずつたどっていくと、答えが見えてくる。 カール5世の巨大な勢力は、彼一人の時代に突然生まれたものではなかった。

何世代にもわたる結婚と相続の積み重ねが、彼のもとで一つの大きな形になったのである。 だからこそ、カール5世はハプスブルク家を理解するうえで、とても重要な人物になる。

彼の肖像画を見たとき、その背後には一人の王の姿だけでなく、何世代にもわたる家系図が広がっている。

二つの系統へ

しかし、カール5世の死後、その広大な支配領域が一人の後継者にそのまま受け継がれたわけではない。 ハプスブルク家は、やがて大きく二つの系統へ分かれていく。

スペインを中心とする系統。 そして、オーストリアを中心とする系統である。

ここから、同じハプスブルク家でありながら、それぞれ異なる歴史を歩んでいく。 家系図を見ると、この分岐がはっきりと見えてくる。

そして、ここから先に登場する人物たちも、実はすべて一本の線でつながっている。

スペイン・ハプスブルク家とフェリペ2世

スペインでは、カール5世の息子フェリペ2世が王位を継ぐ。フェリペ2世の時代、スペインはヨーロッパでも屈指の大国となっていた。

フェリペ2世の肖像画や、彼を取り巻く宮廷の絵画を見ると、その巨大な権力を感じることができる。

しかし、ここでも家系図をたどってみたい。

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誰の息子なのか。
誰と結婚したのか。
その結婚によって、どの王家と結びついたのか。

人物を一人ずつ覚えようとすると、ハプスブルク家の歴史は複雑に見える。けれど、線をたどっていくと、人物同士の関係が見えてくる。

そして、肖像画の中にいる人物も、「この人は、誰なのか」、「この人は、この家系図のどこにいるのか」という視点で見ることができるようになる。

ここに、ハプスブルク家を家系図から見る面白さがある。

オーストリア家とマリア・テレジア

一方、オーストリア側のハプスブルク家も、皇帝位とその世襲領を中心に勢力を保ち続けた。

そして18世紀、この系統に大きな転機が訪れる。その中心となる人物が、マリア・テレジアである。

ここまで家系図をたどってくると、最初に登場した「マリア・テレジア」という名前も、少し違って見えてくるはずだ。彼女は、突然現れた人物ではない。

何世代にもわたって続いてきたハプスブルク家の系譜、その先にいる人物なのである。

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そして、マリア・テレジアの時代になると、家系図はさらに大きく広がっていく。

彼女には多くの子どもがいた。その子どもたちは、ヨーロッパ各地の王家や有力な家との結婚によって、それぞれ新たな線を家系図に加えていく。

その一人が、後にフランス王妃となるマリー・アントワネットだった。

マリー・アントワネットはいかに

「オーストリアの皇女が、なぜフランス王妃に?」

ここでも、答えは家系図の中にある。

一人の結婚をたどると、別の王家につながる。その王家をさらにたどると、また別の人物が現れる。

こうして見ていくと、フランスとオーストリアの関係も、単なる「外国同士の外交」ではなく、王家と王家、人と人とのつながりとして見えてくる。

そして、マリー・アントワネットの肖像画を見るときにも、「フランス王妃」という肩書きだけではなく、「マリア・テレジアの娘であり、ハプスブルク家の家系図の中にいる人物」ということが見えてくる。

絵画の見え方が、少し変わってくるのである。

650年の家系図をたどって

1273年のルドルフ1世から始まり、カール5世、フェリペ2世、マリア・テレジア、マリー・アントワネットへ。

さらにその先には、19世紀のフランツ・ヨーゼフ1世や皇妃エリザベートの時代が続いていく。そして1918年、第一次世界大戦の終結とともに、ハプスブルク家による帝国の歴史は幕を閉じた。

およそ650年。
けれど、そのすべてを暗記する必要はない。むしろ大切なのは、人物を一人ずつ覚えることではない。

「この人と、この人がつながっている」その関係を知ることである。

一枚の家系図を眺めてみる。そこには、結婚があり、相続があり、王位があり、戦争があり、そして、その時代を生きた人々がいる。

線を一本たどるだけで、一つの王家の歴史から、ヨーロッパ全体の歴史が見えてくる。そして、それは絵画を見るときにも同じである。

「この人は誰なのだろう?」

そう思ったところから家系図をたどってみる。

すると、その人物の父母が見え、その結婚相手が見え、その先に別の王家が見えてくる。

気づけば、一枚の肖像画から、スペインへ、オーストリアへ、フランスへ、そしてヨーロッパ全体へと歴史がつながっていく。

それが、ハプスブルク家を家系図から見る面白さなのだ。

「西洋絵画を見ていると、なぜハプスブルク家に出会うのか。」

その答えは、一枚の絵の中だけにはない。

絵の向こう側にある家系図をたどっていくと、そこには王朝、結婚、相続、芸術、戦争、そしてヨーロッパ650年の歴史がつながっている。

だから、ハプスブルク家を知ることは、単に一つの王朝を知ることではない。絵画の中に描かれた人物たちが、どのようにつながっていたのかを知ること。

それは、ヨーロッパの歴史を「人物」ではなく、「線」で見ていくことでもある。

さらに詳しく:
📖 血統はなぜここまで閉じた?スペインハプスブルクの系譜考察
📖 地図で見る、ハプスブルク家の支配域 | ヨーロッパ650年を動かした領土のすべて

【家系図の制作について】
本文中にある家系図は、各種史料・研究資料をもとに、人物・婚姻関係・血縁関係を一つずつ確認しながら、編集部が独自に作成したものです。なお、本文中にある、本家系図の作成には、生成AIおよび生成AIによる画像生成は使用しておりません。転載する場合は、必ずリンク付けをお願いします。
参考文献

 

・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.
この記事を書いた人 Author
舟島 (Funejima)

国際的な業務に携わり10年以上。

英語などを用いた資料調査・翻訳に対応。
一次史料、海外の学術論文・専門書などをもとに複数資料を照合し、歴史的事実を検証したうえで執筆しています。

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ハプスブルク家とは?