1587年2月8日、フォザリンゲイ城の石壁に、鈍い音が低く響いた。
スコットランド女王メアリー・ステュアートの首を落とすため、処刑人が振り下ろした斧。しかし、その一撃は骨を断ち切れない。場を包んだのは、寒気と沈黙──
そして、時代が変わる瞬間の気配だった。
世に知られる“美貌の女王の悲劇”としてのメアリー処刑。だが、その背後ではもうひとつの巨大な影が動き始めていた。
この記事のポイント
- 英に亡命後、幽閉されたスコットランド女王メアリー
- フェリペ2世は、彼女を「カトリックの後継者」として支援を画策した
- しかしイングランド女王暗殺の計画がばれた、処刑は三度の斧で完遂、天に召される至った
処刑台で何が起きたのか──
メアリー・ステュアートの最期ほど、残酷さと不完全さが重なった処刑は珍しい。伝えられるところによれば、1度目の斧は骨を外し、肩に深い傷を与えるだけだった。
観衆は息を呑み、処刑人は動揺する。2度目の斧も、再び失敗。うめき声が漏れ、場内はざわついた。3度目の斧で、ようやく首が落ちた。
そして──処刑人がその首を掲げた瞬間、かつらが外れ、白髪の本当の髪が露わになった。

出典:Wikimedia Commons
長年の幽閉と精神的消耗を経た“老いた女王の素顔”。その光景は、処刑を見守っていた者たちの心に深い衝撃を刻んだ。では、なぜこんな惨事になったのか?
歴史家の間では、
- 処刑人の技量不足
- メアリーの衣服の厚さ
- 同情による手の迷い
-
現場の緊張、などが指摘されている。
だが確かなのは、あの処刑台にいた誰よりも、当事者のメアリーが冷静だったということ。彼女は静かに祈り、毅然と斧を受け入れた。
この“斧の失敗”が、のちに「殉教者メアリー」を神話へと押し上げていく。しかし、なぜ彼女はここまで追い詰められたのか?
なぜメアリーは殺されねばならなかったのか──
メアリー・ステュアートは、単なる亡命女王でも、囚われの妃でもない。
彼女の血筋は「イングランド王ヘンリー7世」へと遡り、カトリック世界から“真の女王”として推される存在だった。対して、エリザベス1世はローマ教会から“庶子”の烙印を押され、その正統性には常に疑問符が付いていた。

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血筋と陰謀の必然
つまり「メアリーの存在そのもの」がエリザベス政権を揺るがす“火薬庫”だった。
さらに悲劇に拍車をかけたのが、1586年のバビントン陰謀事件 (メアリーを女王に据えるための暗殺計画が露見した事件)。
暗殺計画の暗号文が押収され、メアリーの関与が示されたとされた。
この“証拠”の扱いは今も議論があるが、エリザベスにとっては十分だった。女王が女王を裁く。この決断は、ヨーロッパの王権秩序を揺るがす極めて異例の事態だった。
女王が女王を裁く夜

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処刑令に署名した夜、エリザベス1世はこう言ったと伝えられる。
「私の手は、この署名の後に清らかでいられるだろうか。」
彼女はメアリーを憎んでいなかった。むしろ、王として最も避けたい判断だった。
- 国内のプロテスタント派の圧力
- 対外戦争への恐れ
-
王族の血を“自らの命令で”絶つという禁忌
これらがエリザベスを追い詰めた。しかし、処刑当日になると、彼女は“自分が命じたと知られたくない”かのように使者の派遣を渋り、責任を側近に押し付けようとする。
この矛盾した行動こそ、処刑が彼女自身の心を蝕んだ証拠である。だが──もっと大きな衝撃を受けた人物がいた。ハプスブルク=スペイン王フェリペ2世である。
メアリーの死で“帝国が動いた”──
メアリー・ステュアートの処刑を受け、フェリペ2世は激昂した。彼にとってメアリーは、
- カトリックの象徴
- 正統王権の象徴
-
かつて自らが統べた“イングランド王権”の延長
そのすべてを背負う存在だった。メアリーの死は、“神の秩序を壊した事件”として受け止められ、翌1588年へと続く。
そう──無敵艦隊(アルマダ)の出撃である。もちろん、艦隊準備はすでに始まっていた。
だが、メアリーの処刑はフェリペが戦争を正当化する最強の大義名分となった。メアリーは、死してなお“帝国を動かすカード”に変わってしまったのである。
なぜ彼女は神話化されたのか
メアリーの処刑には長く多くの伝説がつきまとう。
- 処刑されたのは影武者だった
- エリザベス1世は助けたかった
-
斧の失敗は意図的だった
どれも確証はない。しかし、こうした説が生まれた背景にはひとつの事実がある。メアリーは民衆に愛されすぎた。美貌、気高さ、悲劇的運命──

出典:Wikimedia Commons
三拍子そろった人物は、死後、物語と神話へと姿を変える。彼女の処刑は、王族の争いではなく“大衆の想像力が作り上げた悲劇”として永遠に語り継がれていった。
まとめ
メアリー・ステュアートが落とした首は、断頭台の上で終わらなかった。その影は、処刑を命じたエリザベス1世の心に生涯消えない裂け目として残り続ける。
歴史書は「政治的判断」と書く。だが人間としてのエリザベスは、あの日をどのように抱え、生きたのか。
メアリーを恐れ、彼女を惜しみ、それでも国家のために刃を選んだ女王──。“処刑のその後”を知るには、エリザベス1世の物語を覗かずにはいられない。
そこには、大陸から迫る帝国の影と、誰にも言えなかった孤独の正体がある。▶︎エリザベス1世とは?メアリー処刑とハプスブルク帝国との“孤独な対立”
さらに詳しく:
📖 【フェリペ2世と無敵艦隊の敗北】アルマダ海戦とスペイン帝国のほころび
📖 スペイン黄金時代と帝国の陰りを刻んだ王【フェリペ2世とは?】
参考文献
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高橋裕子『エリザベス女王とスコットランド女王メアリ』講談社現代新書, 1995
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