なぜレパントの海戦は“キリスト教世界の勝利”と呼ばれるのか?

レパントの海戦 戦争・外交・条約
レパントの海戦 (© Habsburg-Dynasty.com / AI generated image)

1538年、プレヴェザ沖でハプスブルク帝国はオスマンに敗れた。

だが、スペイン王フェリペ2世にとってその敗北は父カール5世の無念でもあった。三十余年後、1571年。彼はついに“復讐の艦隊”を組織する。

しばしばレパントの海戦はプレヴェザと混同されるが、両者の立場は正反対だ。プレヴェザではキリスト教世界が敗れ、レパントでは勝利する。

この戦いは単なる海戦ではなく、地中海の覇権と信仰の誇りを懸けた文明の衝突だった。

この記事のポイント
  • 1571年、フェリペ2世の命で神聖同盟艦隊が結成される

  • 1571年10月7日、ドン・フアン率いる連合艦隊がレパント沖でオスマン艦隊を撃破

  • 戦後、地中海の制海権がキリスト教側に傾き、オスマンの拡大が抑止された



フェリペ2世の「聖戦」

1570年、オスマン帝国はキプロス島を侵攻。オスマンの新皇帝セリム2世は、父スレイマン1世の遺志を継ぎ、地中海を完全に“トルコの海”にしようとしていた。

これに対し、スペイン王フェリペ2世はローマ教皇ピウス5世とヴェネツィア共和国を結集。「神聖同盟」が結成され、総司令官には若き王の異母弟――ドン・フアン・ダ・アウストリアが任命された。

年わずか24。だが彼は、冷徹な王に代わって、神の名のもとに剣を掲げた。それは“父の敗北”を雪ぐ戦いでもあった。

レパント湾、運命の朝

1571年10月7日、ギリシャ西岸・レパント湾。秋の風が静かに吹き、水平線の向こうから無数の帆が現れる。両軍合わせて500隻以上、十万を超える人々がこの海に命を賭けた。

オスマン艦隊を率いたのは、提督アリ・パシャ。

プレヴェザの英雄バルバロスの後継者にあたる男である。一方の同盟軍は、スペイン・ヴェネツィア・教皇庁が並び、中央にはドン・フアンの旗艦「レアル号」が輝いていた。

ドン・フアンは士気を高めるため、艦上に十字架を掲げ、全員に聖体を与えたという。その瞬間、風が静まり――

ドン・フアンとレパントの海戦 (© Habsburg-Hyakka.com  / AI generated image)

(© Habsburg-Hyakka.com / AI generated image)

後に「聖母の風」と呼ばれる追い風が、同盟艦を押し出した。

血と祈りの交錯

戦いは正午前に始まった。

砲撃の轟音が響き、海は黒煙に包まれる。ヴェネツィアの重ガレー船が突撃し、両軍は接舷戦に突入。旗艦同士の死闘は凄惨を極めた。

ドン・フアンの「レアル号」がアリ・パシャの旗艦「スルタン号」に接舷。白兵戦の末、アリ・パシャが討たれ、その首が掲げられた瞬間

――オスマン艦隊の士気は崩壊した。

数時間後、海は難破船と血に染まり、200隻以上のオスマン艦が沈んだ。プレヴェザ以来、初めてキリスト教世界が海で勝利を収めたのだ。



勝利の光と影

(© Habsburg-Hyakka.com / AI generated image)

勝利の報は瞬く間にヨーロッパを駆け巡った。ローマでは鐘が鳴り響き、教皇ピウス5世は涙を流して祈った。それは“信仰の勝利”と呼ばれた。

だが、現実は複雑だった。フェリペ2世は慎重すぎて戦果を追わず、翌年にはオスマンがキプロスを奪回。結局、地中海の勢力図はほとんど変わらなかった。

レパントの勝利は、政治的にはわずかな一瞬の栄光――だが象徴的には“文明の抵抗”の証として、今も語り継がれている。

神はどちらの側にいたのか

レパントの戦いの勝者は確かにキリスト教世界だった。

しかし、誰もが知っていた。この戦いで失われた命の数――4万人以上。信仰は人を奮い立たせもするが、同時に盲目にもする。

フェリペ2世はこの勝利を“神の証”と信じ、やがて大西洋でイギリスに挑む「無敵艦隊」計画を進める。だが、その結末もまた、海が決めることになる。



まとめ

レパントの海戦は、プレヴェザの敗北から始まった復讐の物語だった。

フェリペ2世の信仰、ドン・フアンの勇気、そして“聖母の風”がもたらした勝利。しかし、その輝きは短く、海は再び沈黙を取り戻す。

信仰も栄光も、理解なき勝利には続きがない。

次の記事では――フェリペ2世の“無敵艦隊”が、北の嵐に挑む。「レパントの勝者が、大西洋で敗者となる瞬間」を追う。▶︎【フェリペ2世と無敵艦隊の敗北】アルマダ海戦とスペイン帝国のほころび

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参考文献
  • 岩崎周一『ハプスブルク帝国』(講談社現代新書)

  • Garrett Mattingly, The Armada (1959)

  • Fernand Braudel, The Mediterranean and the Mediterranean World in the Age of Philip II

  • John Julius Norwich, A History of Venice

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