なぜスペインは海で敗れたのか?―プレヴェザの海戦と帝国の傲慢

しばしばレパントの海戦 (1571年) と混同されるが、プレヴェザの海戦はそれより30年以上前、1538年に起きた。

この戦いは、スペイン王カール5世率いる神聖同盟艦隊が、オスマン帝国の皇帝スレイマン1世とその提督ハイレッディン・バルバロスに挑んだ、地中海覇権をめぐる最初の大決戦である。

1538年9月28日、ギリシャ西岸のプレヴェザ沖。青い海原を埋め尽くす大艦隊の帆が風をはらみ、太陽は砲煙を透かして輝いていた。

この戦い――プレヴェザの海戦。それは「太陽の沈まぬ帝国」ハプスブルク家のスペイン王が、オスマンの知略に敗れた瞬間だった。

この記事のポイント
  • 1538年、スペイン王カール5世率いる神聖同盟艦隊がオスマン帝国に敗北

  • スレイマン1世と提督バルバロスの連携が、地中海の覇権を決定づけた

  • この敗北が後のフェリペ2世による「レパントの海戦」へとつながる

陸の覇者、海を狙う

16世紀のカール5世は、ハプスブルク家の栄光を極めていた。スペイン、ネーデルラント、イタリア、そして新大陸を支配し、「太陽の沈まぬ帝国」を築いた皇帝。

だがその栄光の陰に、地中海を支配するもう一つの巨人――スレイマン1世率いるオスマン帝国が立ちはだかっていた。

オスマン艦隊は北アフリカからエーゲ海までを支配下に収め、ヨーロッパの商船を襲撃。カール5世は陸ではウィーンを守ったが、海では手を焼いていた。

彼は教皇パウルス3世とヴェネツィア共和国に呼びかけ、「神聖同盟艦隊」を結成その総司令官に選ばれたのが、スペイン副王アンドレア・ドーリアだった。

立ちはだかる“海の赤ひげ”

赤ひげバルバロス (© Habsburg-Hyakka.com / AI generated image)

対するオスマン帝国の提督は、伝説の海賊から昇りつめた男――ハイレッディン・バルバロス。彼の名は「赤ひげ」としてヨーロッパ中に恐れられていた。

もとはアルジェリアの私掠船長であったが、スレイマン1世に忠誠を誓い、やがて帝国海軍の最高司令官「カプダン・パシャ」となる。

バルバロスの戦術は、重厚な船団で押し合う西欧式とは正反対。彼は潮流と風を読み、軽快なガレー船を自在に操る――まさに「海を読む者」だった。

その直感は気象学者すら舌を巻くほど正確だったと言われる。



プレヴェザの海に吹く風

1538年9月、プレヴェザ沖で両艦隊が対峙した。神聖同盟艦隊は約300隻、オスマンは200隻余。
数では優っていたスペイン側だったが、風向きはオスマンに味方した。

慎重なドーリアは、敵の挑発に乗らずに防御隊形を維持。しかしその間に、バルバロスは潮流を利用して左翼を包み込み、ヴェネツィア艦を分断。

昼過ぎには同盟側の艦が次々と炎上し、煙が海を覆った。

夕暮れ、ドーリアは撤退を決断。バルバロスは追撃せず、静かに海を支配した。こうして、地中海の覇権はオスマン帝国の手に渡った。

カール5世の誤算

プレヴェザの海戦

プレヴェザの海戦 (© Habsburg-Hyakka.com / AI generated image)

プレヴェザの敗北は、カール5世の権威を大きく傷つけた。ヨーロッパのキリスト教世界は海の覇権を失い、以後30年間、オスマンが地中海を支配する。

なぜ敗れたのか?その答えは単なる軍事力ではない。

カール5世の帝国はあまりに広大で、財力も兵力も分散していた。新大陸の金銀は陸戦に費やされ、海軍は慢性的な資金不足。

さらに同盟艦隊の指揮系統はバラバラで、ドーリアはジェノヴァの利益を最優先。「神聖同盟」とは名ばかり――実際には利害の寄せ集めだった。

その隙を突いたのが、スレイマンとバルバロスの連携だった。二人は宗教や名誉よりも「戦略」を優先したのである。

海を制した者、世界を制す

勝利の報を受けたスレイマン1世は、イスタンブールで凱旋式を開き、バルバロスに黄金の軍旗を授けた。彼はその後もオスマン艦隊を率い、北アフリカを征服し、地中海の“青い帝国”を完成させる。

一方、敗北を知ったカール5世は沈黙した。だが、この海戦が彼の息子フェリペ2世に“ある決意”を残す。――スペインは再び海を支配する。

その決意は、数十年後の「無敵艦隊(アルマダ)」として結実する。しかし、それはまた別の悲劇の始まりであった。



まとめ

プレヴェザの海戦は、陸の覇者が海の論理を軽んじた代償だった。カール5世の時代、帝国は世界を手中に収めたかに見えた。

だが、海というもう一つの戦場では、スレイマンの知略がすべてを凌駕していた。権力は拡張によってではなく、理解によって維持される。

次の記事では――息子フェリペ2世が挑む「レパントの海戦」。父の敗北を超えようとした帝国の、栄光と転落を追う。▶︎レパントの海戦とは?キリスト教世界を救った歴史的勝利の意味

この記事のポイント
  • Crowley, Roger. Empires of the Sea: The Siege of Malta, the Battle of Lepanto, and the Contest for the Center of the World. Random House, 2008.

  • Braudel, Fernand. The Mediterranean and the Mediterranean World in the Age of Philip II. Harper & Row, 1972.

  • Guilmartin, John F. Gunpowder and Galleys: Changing Technology and Mediterranean Warfare at Sea in the Sixteenth Century. Cambridge University Press, 1974.

  • Wheatcroft, Andrew. The Enemy at the Gate: Habsburgs, Ottomans and the Battle for Europe. Random House, 2009.

タイトルとURLをコピーしました