エリザベス1世は、テューダー朝最後の君主としてイングランドを統治し、宗教的対立と対外戦争が渦巻く時代を乗り越えた王である。
巧みな外交と強固な統治によって国家の安定をもたらし、“エリザベス朝ルネサンス”と呼ばれる黄金期を築いた。
彼女は結婚せず独身を貫き、「処女王」として歴史に名を残した。
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エリザベス1世とは?メアリー処刑とハプスブルク帝国との“孤独な対立” ▶
基本情報
| 称号 | イングランド女王 |
| アイルランド女王 | |
| 出生 | 1533年9月7日(グリニッジ宮殿) |
| 死去 | 1603年3月24日(リッチモンド宮殿) |
| 享年 | 69 |
| 治世 | 1558年〜1603年 |
| 伴侶 | なし |
| 父親 | ヘンリー8世 |
| 母親 | アン・ブーリン(2番目の王妃) |
| 前任者 | メアリー1世(異母姉) |
| 後継者 |
ジェームズ1世(スコットランド王ジェームズ6世/ステュアート朝)
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人物の背景
エリザベスは、ヘンリー8世とアン・ブーリンの娘として生まれた。

© Habsburg-Hyakka.com
母アン・ブーリンは王妃の地位を失い処刑されたため、幼いエリザベスは非嫡出子として育てられることになる。
しかし、若くして語学、政治、哲学に優れ、後に「学問の王女」と呼ばれるほど高度な教育を受けた。
1558年、姉メアリー1世の死によって王位を継承。国内はカトリックとプロテスタントの宗教対立で揺れていたが、エリザベスは「イングランド国教会の確立(エリザベス宗教和解)」により国内の一定の安定を取り戻した。
外交面では繊細な均衡政策をとり、フランス・スペイン・スコットランドと緊張関係を管理しながら、イングランドの国力を高めた。
エリザベスの治世は芸術・科学も飛躍し、シェイクスピアやマーロウが活躍した“黄金の時代”となった。
治世で起きた主要な出来事
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エリザベス宗教和解(1559)
国教会を復活させ、カトリックとプロテスタントの対立を緩和。信仰の枠組みを国家が管理する体制が確立された。 -
メアリー・ステュアートの処刑(1587)
イングランド王位を主張したスコットランド女王メアリーを国家反逆罪で処刑。これはスペインとの対立を決定的にし、後の無敵艦隊戦へつながる。 -
スペイン無敵艦隊(アルマダ)の撃破(1588)
フェリペ2世率いるスペイン艦隊の侵攻を撃退し、イングランドの海軍力が躍進。
ティルベリーでのエリザベスの名演説は今なお語り継がれる。 -
対スコットランド・対フランス外交
スコットランドの内乱を巧みに利用してプロテスタント勢力を支援。フランスとの対立と交渉を並行し、大陸政治の均衡を保った。 -
エリザベス朝ルネサンス
シェイクスピア、スピンサー、マーロウらが活躍し、文学・演劇が世界的文化へと発展。国内経済も安定し国力が増した。エリザベス1世の治世は、宗教的対立、国内政治、国際戦争を見事に乗り越えたテューダー朝の頂点であった。
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外交と統治の才能によりイングランドを強国へ押し上げ、彼女の死によってテューダー朝は閉幕し、「ステュアート朝」へと王統が受け継がれた。

