王妃は確信していた。「胎動を感じる」と。
だが、産声はいつまでも響かなかった。玉座の未来を背負わされた女たちは、時に“存在しない命”を宿したのだ――。
この記事のポイント
- 国家の未来を託された王妃たちに課せられた“妊娠という義務”
- 想像妊娠に苦しんだメアリー1世とマリア・テレーズの知られざる実像
- 「産めぬ身体」が晒された時代、王妃たちの孤独な祈りが語るもの
政治と出産の十字架、妊娠は王権だった
近世ヨーロッパにおいて、王妃の役割は明確だった――男子を産むこと。それは愛情でも幸福でもなく、「国の命運を担う機能」だった。
帝国の安定は、王位継承の確保にかかっていた。ハプスブルク家の皇妃たちも、カトリック的価値観のもとで「多産」が美徳とされた。
妊娠は祝福であり、同時に国家的義務であった。
その一方で、精神と肉体の疲労、不妊への不安、過度な期待――こうした要素が混じり合ったとき、奇妙な現象が起こる。
それが「想像妊娠」である。
王妃メアリー1世の沈黙
英国史上もっとも有名な「想像妊娠」の例は、チューダー朝の女王・メアリー1世だ。
スペインの王子フェリペ(のちのフェリペ2世)との政略結婚を通じ、英国にカトリックを復活させようと誓ったメアリー。1554年、妊娠の兆候が発表されると、混乱続きの政治に疲弊していた民衆は、待望の光明として熱狂した。
王妃の腹が膨らむたび、宮廷では男児誕生に備えた儀式や贈り物の準備が進んだ。
英国を包んだ“空白の10ヶ月”
だが、月日は流れども子は生まれず、医師たちも言葉を失った。ついには子宮に何の兆候もないことが明らかになり、1555年春、妊娠の「終結」が正式に宣言された。
想像妊娠は、本人の強い妊娠願望とホルモン変動により、身体が“現実”として反応する医学的症状である。
だが、16世紀の王権政治においては、それは失望と嘲笑の対象でしかなかった。
メアリーは深く落胆し、それでも「神の試練」として受け止め、再度の妊娠を試みたが、以後子を得ることはなかった。
この出来事は、宗教的・政治的に致命的なダメージを与えた。信仰と肉体を同一視していた時代に、「王妃の空の腹」は神の不在と重なり、プロテスタント勢力を勢いづけることとなる。
命を宿せぬ「罪」
想像妊娠という現象は、ハプスブルク家に限らず、近世ヨーロッパの王宮全体に共通する「王妃という制度」に根ざしたものである。
たとえばイングランド王妃アン・ブーリンもまた、出産への期待と焦燥の狭間で「存在しない命」と向き合った一人であった。
彼女は王に男子を産めなかったことで寵愛を失い、失脚の危機に瀕していた。ある時期、彼女は懐妊を主張し、王に「神の祝福が訪れた」と告げたが、その後、出産に至ることはなかった。
流産だったのか、そもそも妊娠していなかったのか、記録は曖昧である。だが当時の廷臣らは「王妃は子を宿していると信じたかったのだ」と語ったという。
希望の演出か、それとも信仰ゆえの自己暗示か――想像妊娠は、王妃という立場に置かれた女性の“孤独な叫び”でもあった。
“想像妊娠”という病、医学と信仰の狭間で
想像妊娠は現代でも診断される症状である。以下のような変化が見られる:
- 腹部の膨満
- 乳房の張り
- 吐き気、食欲の変化
-
月経停止
これはホルモンと心理的要因の相互作用によって起こる。
特に「妊娠したい」「妊娠しなければならない」という切迫した想いが、身体に妊娠に似た症状を引き起こす。これは虚構ではなく、心と身体が叫ぶような“実感”である。
しかし近世ヨーロッパでは、これは「神の奇跡」あるいは「悪魔の囁き」として捉えられた。王妃の身体は“国家の器”であり、真実よりも政治的演出が優先された。
医師は沈黙し、神父は祈り、侍女は仕え続けた。想像妊娠は、ある意味で「国家の嘘」にすら利用された。
妃たちの孤独と祈り
ハプスブルク家でも、妊娠の誤報や流産、出産失敗が幾度となく記録されている。
フェルディナント2世の妃マリア・アンナについても、懐妊と流産を繰り返したとされるが、詳細は公式記録に乏しく、「神の御心により…」など曖昧な表現にとどまっている。
マリー・アントワネットも、結婚後数年間妊娠しなかったことで「不妊では」と囁かれ、国外のパンフレットでは中傷の的となった。実際には王との性交が成立していなかった時期もあり、王太子誕生後には数度の流産も経験している。(※注1)
王妃たちの周囲には、医師、神父、侍女がいたが、誰ひとり「それは妊娠ではない」と明言することはなかった。「信じたい」王妃の想いを支えることが、彼らの忠誠であり、同時に沈黙の合意でもあった。
「空のゆりかご」を前に、彼女たちは祈った。その祈りは、神にではなく、自らの存在理由へと向けられていたのかもしれない。
まとめ
想像妊娠とは、虚構ではなく「心と身体の叫び」である。
その叫びを誰も理解せず、治療もなく、ただ「役目を果たさなかった」と責められる。そんな時代を、王妃たちは生き抜いた。
医学が進んだ今だからこそ、その症状を“哀れ”とも“滑稽”ともせず、「生きねばならぬ者の宿命」として静かに受け止めたい。
想像妊娠は、歴史の中で消えた幻ではなく、今もなお、社会に潜む“期待という名の圧力”の鏡なのかもしれない。
けれど――忘れてはならない。
では、妊娠が「果たせば報われる幸せの象徴」だったかといえば、そうではない。むしろその多くは、命を削る行為でもあった。王妃たちは、子を宿し、生むたびに、骨盤を砕き、膣を裂き、血を流した。
そして時に、褒美ではなく「死」をもってその務めを終えた者もいる。想像妊娠の裏には、「妊娠できたこと」それ自体が、決して終着点ではなかったというもう一つの真実がある。
その宿命を辿る先には、また別の物語がある――▶︎【産むたびに命を削った女たち】王家に生きた“母”の宿命
参考文献
- Rublack, Ulinka. The Astronomer and the Witch: Johannes Kepler’s Fight for his Mother. Oxford University Press, 2015.
- Wiesner-Hanks, Merry E. Women and Gender in Early Modern Europe, Cambridge University Press, 2008.
- Fraser, Antonia. The Wives of Henry VIII, Vintage, 1993.
- Warnicke, Retha M. The Rise and Fall of Anne Boleyn, Cambridge University Press, 1989.
- 河原温 編訳『マリア・テレジア 女帝の手紙』岩波書店、2016年
- (※注1) Marie Antoinette: The Journey 出版社:Weidenfeld & Nicolson, 2001 (該当箇所:第6章「Difficulties of Consummation」第9章「Heirs and Spares」)
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
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