ヘンリー8世は、テューダー朝の国王としてイングランドを統治し、王妃との離婚問題から宗教改革を引き起こしたことで知られる。
6人の王妃との結婚・離婚、修道院解散、中央集権化など、近代イングランドの基盤をつくった王である。
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ヘンリー8世と最初の王妃キャサリン─離婚が変えた王国の行方とは? ▶
基本情報
| 称号 | イングランド王 |
| アイルランド王 | |
| 出生 | 1491年6月28日(グリニッジ宮殿) |
| 死去 | 1547年1月28日(ホワイトホール宮殿) |
| 享年 | 55 |
| 治世 | 1509年〜1547年 |
| アイルランド王 (1541年 〜1547年) | |
| 伴侶 | キャサリン・オブ・アラゴン |
| アン・ブーリン | |
| ジェーン・シーモア | |
| アン・オブ・クレーヴズ | |
| キャサリン・ハワード | |
| キャサリン・パー | |
| 子女 | メアリー1世(母キャサリン) |
| エリザベス1世(母アン・ブーリン) | |
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エドワード6世(母ジェーン・シーモア)
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| 父親 | ヘンリー7世(テューダー朝初代王) |
| 母親 | エリザベス・オブ・ヨーク |
| 前任者 | ヘンリー7世 |
| 後継者 | エドワード6世 |
人物の背景
ヘンリー8世は、「テューダー朝」の創始者ヘンリー7世の次男として生まれ、本来は王位を継ぐ予定ではなかった。
しかし兄アーサーの早世によって、父王の後継者となり、17歳でイングランド王に即位した。

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若くしてルネサンス文化を深く愛し、文武両道の“理想の王”と称されたが、王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚をローマ教皇に拒否されたことを契機に、ローマ教皇庁と決裂。
「国王至上法」により自らを「イングランド教会の最高首長」と位置付け、宗教改革を進めた。
その後の結婚・離婚、王妃たちの処刑、財政のための修道院解散は、国制と宗教組織を大きく変え、イングランドの歴史に決定的な影響を与えることになった。
治世で起きた主要な出来事
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イングランド宗教改革(1530年代)
ローマ教皇と決裂し、国王を教会の首長とするイングランド国教会を成立させた。 -
修道院解散(1536〜1541)
修道院の財産を没収し、国家財政を強化。地方統治も中央集権化され、国王の権力が拡大。 -
6度の結婚と王位継承問題
男子継承者を求めて結婚を重ね、王妃アン・ブーリンやキャサリン・ハワードを処刑。後継には息子エドワード6世、そしてのちに娘メアリー1世・エリザベス1世が王位を継ぐ。 -
アイルランド政策(1542)
アイルランドを正式に「王国」とし、イングランド王をアイルランド王とすることで領域支配を強化。 -
対外戦争(フランス・スコットランド)
フランスとの戦争(イタリア戦争)やスコットランドとの「荒らし回り戦争」を展開し、軍事力を強化した。ヘンリー8世の治世は、宗教・政治・社会が大転換した時代であった。
6人の王妃をめぐる決断、教会との断絶、中央集権化の推進は、娘エリザベス1世の時代につながる「近代国家イングランドの基盤」を形づくった。

