ヘンリー8世 (イングランド王)

ヘンリー8世の肖像画 他王家・婚姻関係人物
出典:Wikimedia Commons

ヘンリー8世は、テューダー朝の国王としてイングランドを統治し、王妃との離婚問題から宗教改革を引き起こしたことで知られる。

6人の王妃との結婚・離婚、修道院解散、中央集権化など、近代イングランドの基盤をつくった王である。



基本情報

称号 イングランド王
アイルランド王
出生 1491年6月28日(グリニッジ宮殿)
死去 1547年1月28日(ホワイトホール宮殿)
享年 55
治世 1509年〜1547年
アイルランド王 (1541年 〜1547年)
伴侶 キャサリン・オブ・アラゴン
アン・ブーリン
ジェーン・シーモア
アン・オブ・クレーヴズ
キャサリン・ハワード
キャサリン・パー
子女 メアリー1世(母キャサリン)
エリザベス1世(母アン・ブーリン)
エドワード6世(母ジェーン・シーモア)
父親 ヘンリー7世(テューダー朝初代王)
母親 エリザベス・オブ・ヨーク
前任者 ヘンリー7世
後継者 エドワード6世

人物の背景

ヘンリー8世は、「テューダー朝」の創始者ヘンリー7世の次男として生まれ、本来は王位を継ぐ予定ではなかった。

しかし兄アーサーの早世によって、父王の後継者となり、17歳でイングランド王に即位した。

Family tree of Henry VIII and his first queen, Catherine of Aragon, tracing Catherine’s lineage from the “Catholic Monarchs” Ferdinand II of Aragon and Isabella I of Castile to the English royal h

© Habsburg-Hyakka.com

若くしてルネサンス文化を深く愛し、文武両道の“理想の王”と称されたが、王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚をローマ教皇に拒否されたことを契機に、ローマ教皇庁と決裂。

「国王至上法」により自らを「イングランド教会の最高首長」と位置付け、宗教改革を進めた。

その後の結婚・離婚、王妃たちの処刑、財政のための修道院解散は、国制と宗教組織を大きく変え、イングランドの歴史に決定的な影響を与えることになった。

治世で起きた主要な出来事

  • イングランド宗教改革(1530年代)
     ローマ教皇と決裂し、国王を教会の首長とするイングランド国教会を成立させた。

  • 修道院解散(1536〜1541)
     修道院の財産を没収し、国家財政を強化。地方統治も中央集権化され、国王の権力が拡大。

  • 6度の結婚と王位継承問題
     男子継承者を求めて結婚を重ね、王妃アン・ブーリンやキャサリン・ハワードを処刑。後継には息子エドワード6世、そしてのちに娘メアリー1世・エリザベス1世が王位を継ぐ。

  • アイルランド政策(1542)
     アイルランドを正式に「王国」とし、イングランド王をアイルランド王とすることで領域支配を強化。

  • 対外戦争(フランス・スコットランド)
    フランスとの戦争(イタリア戦争)やスコットランドとの「荒らし回り戦争」を展開し、軍事力を強化した。

    ヘンリー8世の治世は、宗教・政治・社会が大転換した時代であった。
    6人の王妃をめぐる決断、教会との断絶、中央集権化の推進は、娘エリザベス1世の時代につながる「近代国家イングランドの基盤」を形づくった。



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