1494年──ルネサンスの光が最も輝くイタリア半島に、突如として戦雲が立ち込めた。フランス王シャルル8世がアルプスを越え、ナポリを目指して進軍。
それは単なる遠征ではなく、ヨーロッパの覇権をかけた「最初の大戦争」の始まりであった。この戦争は、ハプスブルク家とフランス王家という二大勢力の因縁の幕開けでもある。
以後300年にわたり、イタリアは両者の戦場となり続けることになるのだ。
この記事のポイント
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富と文化の宝庫イタリアは、分裂状態ゆえに外征軍の格好の標的となった
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フランス王シャルル8世の進軍が、イタリア戦争の火蓋を切った
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ハプスブルクとフランスの覇権争いは、以後300年にわたるヨーロッパの宿命的対立へと発展した
イタリア戦争の背景|ルネサンスと欲望の半島

(© Habsburg-Hyakka.com / AI generated image)
15世紀末のイタリアは、文化と富の中心地であった。フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノ、ナポリ、そしてローマ──
どの都市国家も芸術と商業で栄え、ヨーロッパ中から憧れられていた。しかし政治的には分裂しており、強大な「国王」は存在しない。
この“無防備な宝石箱”は、列強にとって垂涎の的であった。フランス王シャルル8世は、アンジュー家を通じてナポリ王位の継承権を主張。
ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァは、ライバルのナポリ王家を牽制するためフランス軍を引き入れた。こうして複雑な利害関係が絡み合い、戦争の火蓋が切られたのである。
シャルル8世の進軍と衝撃
1494年、シャルル8世は最新鋭の大砲を備えた大軍を率いてアルプスを越えた。その進軍は稲妻のように早く、ミラノは彼を歓迎し、フィレンツェは降伏。
ローマも和平を受け入れ、ついに1495年、シャルルはナポリに入城する。「フランスがイタリアを征服した」かに見えたが、事態は逆転する。
ハプスブルク家のマクシミリアン1世、スペイン、ヴェネツィア、教皇国が「神聖同盟」を結成。フォルノーヴォの戦いでフランス軍は辛うじて撤退し、栄光は一瞬で潰えた。
ハプスブルク vs. フランスの長い戦いの始まり

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イタリア戦争はこれで終わらなかった。むしろこの一連の戦役は、フランスとハプスブルク家の世紀を超える対立の序章である。
次の世代では、フランス王フランソワ1世と神聖ローマ皇帝カール5世という二人の若きライバルが、イタリア半島とヨーロッパ全土の覇権をかけて激突する。
パヴィアの戦い、ローマ劫掠──
それはルネサンスの都を血で染め、帝国の運命をも揺るがす激闘の時代となる。
まとめ
イタリア戦争は、ルネサンスの光に包まれた都市国家が持つ「富と文化」が、かえって外征軍を呼び寄せた皮肉な戦争であった。
シャルル8世の稲妻のごとき進軍は、イタリアの無防備さと同時に、国王という強固な権威を持たぬ分裂国家の脆弱さを露わにした。
この戦争の教訓は明白である。華やかな文化も、堅牢な軍事と政治基盤なくしては守れない。
そして、このとき生まれたハプスブルクとフランスの宿命の対立は、やがて若き二人の巨星――フランソワ1世とカール5世――を歴史の舞台に引きずり出すことになる。帝国と王国が正面からぶつかり合う「帝国対決の時代」は、もうすぐそこまで迫っていた。
この記事のポイント
- Michael Mallett & Christine Shaw, The Italian Wars: 1494–1559 (Pearson, 2012)
- J.R. Hale, War and Society in Renaissance Europe, 1450–1620 (McGill-Queen’s University Press, 1985)
- Geoffrey Parker, The Military Revolution: Military Innovation and the Rise of the West, 1500–1800 (Cambridge University Press, 1988/1996)
- 山川出版社『世界歴史大系 フランス史1』
- 佐藤彰一『ヨーロッパ中世の終焉』講談社現代新書
- 高山博『中世シチリア王国と地中海世界』山川出版社

