ルイ16世 (フランス国王)

ルイ16世 他王家・その他の人物
ルイ16世の肖像画 (出典:Wikimedia Commons Public Domain)

フランス王国の絶対王政が崩壊する激動の時代に即位したルイ16世。

誠実で温厚な性格ながら、複雑な政治情勢に翻弄され、フランス革命の波に飲み込まれていった。財政危機と民衆の怒り、王権の崩壊を象徴するその生涯は、「王の時代の終焉」を体現している。



基本情報

称号 フランス王(ルイ16世)
出生
1754年8月23日(フランス・ヴェルサイユ宮殿)
死去
1793年1月21日(フランス・パリ、コンコルド広場)
享年 38
治世 1774年〜1792年
伴侶
マリー・アントワネット(オーストリア大公女)
子女 マリー・テレーズ
ルイ・ジョセフ(夭折)
ルイ17世(名目的)
ソフィー(夭折)
父親
ルイ・フェルディナン(フランス王太子)
母親 マリア・ヨゼファ・フォン・ザクセン
後継者
王政廃止により空位(のちにルイ18世が即位)

人物の背景

ルイ16世は、若くしてフランス王位を継いだが、即位当初から国家財政は破綻寸前であり、王妃マリー・アントワネットの浪費と相まって民心は離反していた。

マリア・テレジアの家系図 (16人の子女が生まれた)

家系図:Wikimedia Commons(Public Domain)を基に編集作成:©︎Habsburg Hyakka.com

政治的手腕に欠け、改革派の大臣を活かしきれず、貴族・聖職者・平民の対立を深めたまま1789年のフランス革命に突入。議会に王権を奪われ、逃亡にも失敗した彼は「国王」ではなく「市民カペー」として革命裁判にかけられた。

彼の死は、ブルボン王朝の象徴的終焉を意味し、その遺骸はのちに王政復古後にサン・ドニ大聖堂に改葬された。



治世で起きた主要な出来事

  • フランス財政の危機と改革の試み(1770年代〜1780年代)
    七年戦争やアメリカ独立戦争への軍費負担が財政を悪化させ、改革派のテュルゴーやネッケルを登用するも、特権階級の反発で失脚させるなど、改革は挫折。財政赤字は深刻化し、国民の不満が爆発した。

  • 三部会招集と革命の序章(1789年)
    1614年以来となる三部会招集で事態打開を図るが、第三身分(平民)が国民議会を宣言。やがてバスティーユ襲撃が起こり、国家権力は急速に弱体化していく。

  • ヴァレンヌ逃亡事件(1791年6月)
    革命から逃れて国外に脱出しようと企てるが、途中のヴァレンヌで発覚・捕縛。国王の“裏切り”は民衆の怒りを激化させ、王政廃止と共和制樹立につながった。

  • 裁判と処刑(1793年1月)
    ルイ16世は国家への反逆罪で有罪判決を受け、ギロチンにより処刑された。最後の言葉は「私は冤罪である」。その声はルイ17世に託されたが、ほどなくして断たれることとなる。

ルイ16世の治世は、“国家と王権が完全に決裂した時代”だった。無力さと誠実さを併せ持つその人間性は、暴君ではなく「時代の犠牲者」としての悲劇を際立たせている。

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