フランス革命の嵐の中、王太子として生まれながら王冠に届かなかった少年──ルイ17世。
ルイ16世とマリー・アントワネットの子として誕生し、父の処刑後に名目上の国王とされたが、実際には幽閉され、幼くして命を落とした。彼の短い生涯は、王政崩壊の悲劇を象徴している。
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基本情報
| 称号 |
フランス王太子(ドーファン)/名目上のフランス王ルイ17世
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| 出生 |
1785年3月27日(フランス・ヴェルサイユ宮殿)
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| 死去 |
1795年6月8日(フランス・パリ、タンプル塔)
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| 享年 | 10 |
| 治世 |
名目上:1793年〜1795年(革命下で実権なし)
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| 王朝 | ブルボン朝 |
| 父親 | ルイ16世(フランス王) |
| 母親 | マリー・アントワネット |
| 称号継承 |
1793年1月21日、父の処刑により「ルイ17世」として即位(亡命王党派による承認)
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| 後継者 | ルイ18世(叔父) |
人物の背景
ルイ・シャルルは、フランス王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの次男として生まれ、兄の死後に王太子となった。幼少期はヴェルサイユの小宮廷で大切に育てられ、母マリー・アントワネットの深い愛情を受けていた。
しかし、フランス革命が勃発すると王家はパリへ移送され、王政廃止後は家族とともにタンプル塔に幽閉される。1793年、父ルイ16世が処刑されると、亡命貴族や諸外国の王室は彼を「ルイ17世」として承認したが、実際には囚われの身だった。
王妃マリー・アントワネットの処刑後、彼は革命政府の手によって孤立させられ、劣悪な環境の中で次第に衰弱していった。わずか10歳で病死したとされるが、その死には今も多くの謎が残る。
治世で起きた主要な出来事
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ルイ16世の処刑と“名目上の即位”(1793年)
父ルイ16世が処刑されたのち、王党派は幼いルイ・シャルルを「ルイ17世」として即位させる。しかし革命政府はこれを認めず、彼は実質的な囚人となった。 -
タンプル塔での幽閉生活(1792〜1795年)
革命政府の監視下で厳しく隔離され、教育も宗教も禁じられる。看守による虐待の記録も残されており、少年王の苦しみは多くの記録者の筆に涙を誘った。 -
“ルイ17世生存説”の広がり(19世紀)
死後、遺体の確認が不十分だったため、「脱出して生き延びた」という伝説がヨーロッパ中に広がった。後にDNA鑑定により、タンプル塔で死亡した少年が実際にルイ17世であることが確認されている。
ルイ17世の短い生涯は、革命という時代の暴力と無垢の対比を象徴している。彼の墓標には「王冠を戴かずして王であった」と刻まれ、今もなお、フランス史の悲劇的記憶として語り継がれている。

