ベラスケスの名画『ラス・メニーナス』に描かれた少女—マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ。スペイン・ハプスブルク家の王女として生まれ、幼くしてオーストリア皇帝レオポルト1世のもとへ嫁いだ。
絵画に永遠の微笑みを残した彼女の生涯は、政治の犠牲であり、「王家の血を継ぐための運命」でもあった。
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【愛された王妃と短すぎた生涯】マルガリータ・テレサの悲劇を読む▶
基本情報
| 称号 |
神聖ローマ皇后/オーストリア皇妃/スペイン王女
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| 出生 |
1651年7月12日(スペイン・マドリード)
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| 死去 |
1673年3月12日(オーストリア・ウィーン)
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| 享年 | 21 |
| 治世 | 皇后として:1666年〜1673年 |
| 伴侶 |
レオポルト1世(神聖ローマ皇帝/叔父)
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| 子女 | フェルディナント・ヴェンツェル |
| マリア・アントニア | |
| ヨハン・レオポルト | |
| マリア・アンナ | |
| 父親 | フェリペ4世(スペイン王) |
| 母親 |
マリアナ・デ・アウストリア(レオポルト1世の姉)
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人物の背景
マルガリータ・テレサは、スペイン王フェリペ4世と王妃マリアナ・デ・アウストリアの間に生まれた王女である。スペイン・ハプスブルク家とオーストリア・ハプスブルク家の血を併せ持ち、幼いころから「皇帝の花嫁」として育てられた。
当時、ヨーロッパのハプスブルク家は血統の純粋さを守るため、近親婚が常態化しており、マルガリータの婚約者は実の叔父にあたるレオポルト1世だった。
1659年、ベラスケスが描いた『ラス・メニーナス』では、彼女が5歳の頃の姿が永遠に封じ込められ、スペイン黄金世紀の象徴となった。1666年、15歳でウィーンに嫁いだ彼女は人々から「白い薔薇」と称えられるほどの美貌を持ちながらも、幾度もの出産と体調不良に苦しみ、21歳の若さで世を去った。
治世で起きた主要な出来事
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ハプスブルク家の婚姻政策(1660年代)
スペインとオーストリア両家の同盟を維持するための婚姻として、叔父レオポルト1世と結婚。ヨーロッパ外交においてハプスブルク勢力の結束を象徴した。 -
ウィーン宮廷での文化交流(1666〜1673年)
マルガリータはスペイン風の礼儀作法と衣装を持ち込み、ウィーン宮廷文化に影響を与えた。肖像画家によって数多くの絵が描かれ、彼女は“絵画の中の皇后”として後世に残る。 -
夭折と王朝の血の系譜
1673年、四度目の出産で命を落とす。彼女の血筋はのちのスペイン王カルロス2世へと受け継がれ、ハプスブルク家の近親婚による遺伝的衰退の象徴ともなった。
マルガリータ・テレサは、芸術に永遠を与えた少女であり、王朝の運命を背負わされた短命の皇后であった。彼女が残した穢れなき微笑みは、ハプスブルク帝国の栄光と衰退を映す鏡であり、『ラス・メニーナス』のキャンバスの奥で、今も時を止めている。

