いつの時代も、皇帝の影には王妃がいた。しかし歴史は、王たちの名を刻むことに忙しく、彼女たちの物語を語ろうとはしない。
これは、ひとりの若き王妃──マリア・ブルゴーニュの物語である。夫は「中世最後の騎士」と呼ばれた男、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世。
(マクシミリアンの妃 マリー)
だが、その栄光の陰には、短くも激しい愛と別れがあった。彼女は、愛と帝国を遺して逝った。その人生は、やがてヨーロッパの地図を塗り替えることになる──。
この記事のポイント
- マクシミリアンとマリアの結婚は帝国拡大の転機となった
- 政略婚を超えて、ふたりは深い絆で結ばれるも、マリアは妊娠中に事故で亡くなってしまう
- ブルゴーニュ公女マリアの急逝が新たなハプスブルク支配を生んだ
「帝妃」の幻想と現実
その婚姻は、夢だった。オーストリアの若き王子マクシミリアンと、ヨーロッパ随一の富を誇ったブルゴーニュ公国の公女マリア。
フリードリヒ三世は、その名の通り“地味な皇帝”に終始した。だが、息子マクシミリアンは違った。行動力と魅力を兼ね備え、帝国を動かす器だった。
母エレオノーレは、夫との愛を諦め、夢を息子に託した。
「この子だけは、帝国の光となってほしい」──その願いは、時を超えてマリアとの結婚によってひとつの形をとる。
運命の出会い
父フリードリヒ三世の窮乏する宮廷で育ったマクシミリアンは、質素な生活の中で武芸を磨き、知識を蓄え、母の記憶を胸に成長した。
そして見初められたのが──ブルゴーニュ公国の公女、マリア。
マリアの父、シャルル突進公は大帝国の夢に取り憑かれた男だった。だが唯一の後継者マリアを託す相手を、軽んじてはならない。
彼がフリードリヒの息子・マクシミリアンと対面したとき、その生気みなぎる若き騎士に、すぐさま心を奪われたという。
(マリーとマクシミリアンの対面)
フランドルの白鳥とドナウの騎士
政治の駆け引きなど超えて、ふたりの結婚は「ふさわしい者同士」の出会いだった。
マクシミリアンは銀の甲冑に身を包み、愛馬にまたがって、愛する人のもとへ現れた。それはまるで、中世の伝説に登場する「白鳥の騎士」ローエングリンのようだった。
一方、マリアもまた、最も華やかな文化と富に包まれたブルゴーニュ公国に生まれ育ちながら、騎士のような伴侶を夢見ていた。夢が、現実となったのだ。
1477年、ガンの聖バボ教会。控えめながらも厳かな婚礼のもと、ふたりは結ばれた。
至福の日々──そして破局
それからの数年間、マクシミリアンとマリアの生活は幸福そのものだった。乗馬に狩猟、舞踏に読書──ふたりは常にともにあった。
一人目の王子フィリップ、そして王女マルガレーテが生まれ、プリンセンホフの宮廷には子どもたちの笑い声が満ちていた。
しかし運命は、あまりにも残酷だった。結婚からわずか5年後の春──
マリアは懐妊中にもかかわらず、夫の狩りに同行した。早春の風を受けながら馬を駆る彼女の姿は、まさにブルゴーニュの自由そのものだった。
だが、一羽の白鷺に目を奪われたその瞬間──彼女は馬から投げ出され、落下。馬が倒れ込んだその下敷きになった彼女は、致命的な怪我を負った。
最後のブルゴーニュ公女
傷ついた体で彼女は、死の床に遺言をしたためた。
「子どもたちを守ってください。夫マクシミリアンに忠誠を」
1482年3月27日、マリア・ブルゴーニュ、24歳。その死とともに、ブルゴーニュ公家は断絶した。
彼女の死を悼み、1万5千人もの人々がブリュージュの寺院に詰めかけたという。貴族も市民も涙した。そしてマクシミリアンの心には、深い喪失だけが残った。
後に彼は皇帝となり、政略上の再婚も果たすが、マリアを超える愛は二度と得られなかった。それは、彼女が「愛と帝国を遺して逝った」からである。
もうひとつの物語
……そして、もうひとつ、語られることの少ない物語がある。
そしてこの婚姻が生んだ血統は、やがて“もうひとつの遺産”をもたらす。後世、「ハプスブルク顎」と呼ばれる下顎前突の特徴──その兆候は、実はこの頃からすでに現れていた。
(マクシミリアンと家族)
マクシミリアンとマリアの子孫たち──前列左がフェルディナント1世、真ん中に描かれているのがカール5世。彼らが並ぶ肖像画には、すでに「面長で突き出た下顎の形」が見てとれる。
もし「いつから始まったのか」と問われれば、答えはこの時代なのかもしれない。帝国を築いた愛の結晶は、同時に遺伝という“血の記憶”もまた刻み始めていたのだ──。
まとめ
マリア・ブルゴーニュの死は、ひとりの若き王妃の悲劇であると同時に、ヨーロッパの地図を塗り替える、歴史の転換点でもあった。
彼女が遺した息子フィリップ美公は、やがてスペイン王女フアナと結ばれ、その血統は、ハプスブルク家を「日の沈まぬ帝国」へと導く。娘マルガレーテは、神聖ローマ皇帝カール5世の摂政として、時代の舵を握ることとなる。
マリア自身は、その未来を知ることなく24歳で逝った。だが、彼女の存在は確かに、ハプスブルク家を世界帝国へと押し上げた──
その礎となったのは、名誉でも野望でもなく、ただ愛だったのかもしれない。
さらに詳しく:
📖 カール5世 (カルロス1世)|太陽の沈まぬ帝国、その始祖の孤独
📖 ハプスブルク家の家系図でたどる、650年の王朝史
📖 マクシミリアン1世と婚姻政策|結婚で築かれた帝国
参考文献
- 江村洋『ハプスブルク家の女たち』講談社現代新書
- 芝修身『ハプスブルク帝国〈上〉』中公新書、2001年
- 柴田三千雄監修『世界の歴史15 ハプスブルクの多民族帝国』中央公論社、1997年
- アンドリュー・ウィートクロフト『ハプスブルク家の人びと』刀水書房、1996年
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.
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