スペイン・ハプスブルク家の王女として生まれ、フランス王ルイ14世の王妃となったマリー・テレーズ・ドートリッシュ。
政略結婚により両国の和平を象徴する存在となったが、華やかな宮廷では孤独な年月を過ごした。敬虔で穏やかな性格の彼女は、王の野心の陰で静かにフランス王家を支え続けた。
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愛されなかった王妃【マリー・テレーズとルイ14世の冷たい宮廷】 ▶
基本情報
| 称号 | フランス王妃 |
| ナバラ王妃 | |
| 出生 |
1638年9月10日(スペイン・エル・エスコリアル)
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| 死去 |
1683年7月30日(フランス・ヴェルサイユ)
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| 享年 | 44 |
| 治世 | 王妃として在位:1660年〜1683年 |
| 伴侶 | ルイ14世(フランス王) |
| 子供 | ルイ・ド・フランス |
| アンヌ・エリザベート | |
| マリー・テレーズ・オブ・フランス | |
| フィリップ・シャルル | |
| ルイ・フランソワ | |
| 父親 | フィリペ4世(スペイン王) |
| 母親 | イサベル・デ・ボルボン |
| 前任者 | アンヌ・ドートリッシュ(ルイ13世妃) |
人物の背景
マリー・テレーズは、スペイン王フィリペ4世とフランス王妹イザベル (エリザベート) の娘として生まれた。幼少期から厳格なカトリック教育を受け、修道女のような敬虔さで知られた。
1659年のピレネー条約によってフランスとスペインの和平が成立すると、その象徴としてルイ14世と結婚。1660年、バスク地方の国境に架かる「双子の橋」で両国の王が会見し、二人は華やかに結ばれた。
しかしヴェルサイユ宮廷では、王の愛妾モンテスパン夫人らの存在によって孤立。国王から深く敬われながらも、真の愛情を得ることはなかったといわれる。それでも彼女は慈善事業や宗教活動に力を注ぎ、穏やかで慎み深い王妃として人々から敬愛された。
治世で起きた主要な出来事
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ピレネー条約による政略結婚(1659〜1660年)
フランスとスペインの長年の戦争を終結させる和平の一環として、マリー・テレーズはルイ14世に嫁ぐ。結婚は両国の友好を象徴する歴史的儀式であった。 -
フランス王妃としての儀礼と孤立(1660〜1683年)
王妃としての役割を忠実に果たすが、ヴェルサイユの華やかな宮廷では存在感を失いがちであった。敬虔な信仰心と慎ましさは、野心的な宮廷社会とは対照的であった。 -
スペイン継承問題の火種
王妃の死後、彼女の孫にあたるフェリペ5世(ブルボン家)がスペイン王位を継承し、後にスペイン継承戦争の引き金となる。マリー・テレーズの婚姻は、結果的にヨーロッパの王朝地図を変える伏線となった。

ルイ14世没後の家系図 :Wikimedia Commons(Public Domain)を基に編集作成:©︎Habsburg Hyakka.com
マリー・テレーズ・ドートリッシュは、政治の道具として結ばれながらも、王妃としての品位と信仰を生涯失わなかった。彼女の静かな生涯は、太陽王ルイ14世のまばゆい光に隠れながらも、ハプスブルクとブルボンを結ぶ“歴史の糸”として今も輝きを放っている。

