愛されなかった王妃【マリー・テレーズとルイ14世の冷たい宮廷】

霧のように立ちこめる香の中、フランス宮廷の大広間に一人立つ王妃がいた。華やかな衣装の下で、彼女は自らの存在がすでに宮廷の背景と化していることを知っていた──

マリー・テレーズ・ドートリッシュ。

マリー・テレーズ (フェリペ4世の娘であり、ルイ伊14世の妃)

スペイン王女として生まれ、フランス王妃として生涯を終えたこの女性は、最も眩い王の傍らで、誰よりも深い孤独に耐え続けた。

この記事のポイント
  • フェリペ4世の娘として異国へ嫁いだ王女、マリーテレーズ
  • しかしフランス宮廷では冷遇され、愛妾モンテスパンの存在により王妃は孤立する
  • 異母弟カルロス2世の死は継承戦争を招き、やがてスペインはブルボン家に継承されることとなる

フェリペ4世の娘、マリー・テレーズ

その娘は、沈黙を美徳とする王宮に育った。

スペイン王フェリペ4世の長女、マリー・テレーズ。幼い頃から病弱で、祈りと服従を叩き込まれ、笑うことさえ憚られる環境にあった。そんな彼女に与えられた運命は──フランス王ルイ14世の王妃、というあまりにまばゆい役回りだった。

ルイ14世とマリー・テレーズ・ドートリッシュとの婚儀 (ルイ14世との婚儀)

けれど、太陽の下に立てば、影はより濃くなる。

王の愛は別の女に注がれ、彼女の名は歴史の片隅に押しやられていく。その生涯は、栄光でも幸福でもなく、「犠牲」と呼ぶほかなかった。

結婚──平和の代償としての花嫁

1648年の三十年戦争の終結後も、フランスとスペインの緊張は消えなかった。

その関係修復の象徴として選ばれたのが、両国王家の婚姻である。1660年、バスク地方のサン=ジャン=ド=リュズで、マリー・テレーズとルイ14世の結婚が執り行われた。

間を取り持ったのは、宰相マザランである。

だがこの結婚は、マリー・テレーズにとって「幸福」の始まりではなかった。フランス語もままならぬまま、異国の宮廷に嫁いだ彼女を待っていたのは、華やかだが冷淡な宮廷と、すでに別の女性に心を奪われつつあった夫だった。



宮廷での孤独──愛妾モンテスパンの影

モンテスパン夫人 (rルイ14世の寵姫) (寵姫、モンテスパン夫人)

ヴェルサイユ宮殿の回廊で、マリー・テレーズの姿はいつも孤立していた。ルイ14世は結婚当初こそ気遣いを見せたものの、ほどなく愛妾モンテスパン夫人に夢中となる。

モンテスパンは知性と才気に満ち、国王の寵愛を一身に集めただけでなく、宮廷の権力構造にすら影響を及ぼしていった。

王妃は公の場では表情を変えず、侮辱にも沈黙で応じた。しかし侍女たちは、彼女の祈りが日ごとに長くなっていくのを見逃さなかった。

信仰にすがることでしか、自我を保つことができなかったのだ。

ルイ14世がモンテスパンとの子を次々と認知する一方、マリー・テレーズの名は次第に記録からも消え、まるで「王妃」という肩書きだけが彼女の存在理由であるかのように扱われていた。

母としての苦悩──幼子の死とただ一人のドーファン

王妃は6人の子を産んだが、夭折が相次いだ。生まれてもすぐに亡くなり、王室は喪に暮れることさえ忘れるほど、短命が日常と化していた。

唯一、成人したのがルイ・ド・フランス──すなわちドーファンである。

ルイ・ド・フランス (マリー・テレーズの息子) (ルイ・ド・フランス)

マリー・テレーズはこの息子に深い愛情を注いだ。自らの愛情を注げる唯一の存在。

だが、ルイ14世は教育係や乳母に養育を任せ、王妃の関与は限られた。母でありながら、わが子の人生からも距離を置かれる。その悔しさは、祈りに沈む彼女の姿に刻まれていた。



静かな晩年──影として消えていく命

1683年、マリー・テレーズは病に倒れ、静かにこの世を去った。

臨終の床にはルイ14世も立ち会っていたが、ただ形式としての「看取り」でしかなかったとされる。王は「王妃が死んだが、誰も気づかなかった」とさえ語ったという。

その言葉は、彼女の生涯すべてを象徴していた。

彼女は常に沈黙のなかにあり、涙も怒りも見せなかった。最期まで「王妃であること」に忠実だったその姿勢こそが、皮肉にも誰の心にも届かなかったのである。

宮廷での孤独──寵姫たちの狭間で

ヴェルサイユ宮殿の回廊で、マリー・テレーズの姿はいつも孤立していた。

結婚当初こそ夫ルイ14世は王妃に敬意を払い、愛情を見せたが、それは束の間の幻想に過ぎなかった。まもなく彼の心は、寵姫ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール、続いてモンテスパン夫人へと移っていく。

モンテスパンは華麗な美貌と知略をもって宮廷の頂点に君臨し、王の寵愛を一身に集めただけでなく、政治的影響力すら持つ存在となった。そして晩年には、より敬虔なマントノン夫人が現れ、王の心を掴む。

こうして、王妃は次々と現れる愛人たちに囲まれ、居場所を失っていった。

王妃の居室は、王の寝室から最も遠い場所にあったと記録される。公の式典では王妃としての席が設けられていたが、その背後には常に“別の女”が王の視線を独占していた。

沈黙と信仰だけを武器に、マリー・テレーズはこの冷たい競争に耐え続けた。だがその心中には、屈辱と、耐えがたい孤独が積み重なっていたに違いない。



まとめ

マリー・テレーズは王妃である前に、スペイン・ハプスブルク家の王女だった。厳格な父フェリペ4世の教えを受け、沈黙と服従を身につけた彼女は、フランスという異国の宮廷に嫁ぎ、誇りを保ち続けた。

夫からは愛されず、子供の多くは早世し、王妃としての尊厳さえ寵姫たちに侵され続けた。それでも彼女は決して公に怒りを表さず、王妃としての責務を果たし、信仰を貫いた。

その姿は哀れにも見えるかもしれない。しかし、彼女がもたらしたスペインの血は、やがてブルボン家の王位継承をめぐる争いへと繋がっていく。

彼女の異母弟にあたるスペイン王カルロス2世──近親婚の果てに生まれた虚弱な王の死によって、ヨーロッパは再び火の海に包まれるのである。

carlos ii child (幼きカルロス2世の肖像画)

さらに詳しく:
📖 『ラス・メニーナス』の王女|ハプスブルクの血に縛られた少女の肖像
📖 カルロス2世|呪われた王とスペイン・ハプスブルク家の終焉
📖 ブルボン家とハプスブルク家の対立とは?

参考文献
  • 画像引用元:Wikipedia Commons (Public Domain) File:Diego Velázquez 030b.jpg, File:Beaubrun workshop – Françoise de Rochechouart, later Madame de Montespan, octogonal portrait.jpg, File:Hyacinthe Rigaud – Louis de France, Dauphin (1661-1711), dit le Grand Dauphin – Google Art Project.jpg, File:Louis XIV wedding.jpg
  • Lettres de Louis XIV à Madame de Maintenon, Bibliothèque nationale de France

  • Saint-Simon, Louis de Rouvroy, Mémoires

  • Mitford, Nancy. The Sun King. Hamish Hamilton, 1966.

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