メアリー1世は、ヘンリー8世とキャサリン・オブ・アラゴンの娘として生まれ、イングランド初の女王として即位した。
宗教改革下で迫害され続けた幼少期を乗り越え、即位後はカトリック信仰の復活を目指し、激動のイングランドを導いた。
だが治世は短く、宗教弾圧や政策の失敗から「血まみれのメアリー」とも呼ばれた。
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メアリー1世はなぜフェリペ2世と結婚したのか?“血まみれの女王”の選択とその代償 ▶
基本情報
| 称号 | イングランド王 |
| アイルランド王 | |
| 出生 | 1516年2月18日(グリニッジ宮殿) |
| 死去 |
1558年11月17日(セント・ジェームズ宮殿)
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| 享年 | 42 |
| 治世 | 1553年〜1558年 |
| 伴侶 | |
| 子女 | なし (偽妊娠・想像妊娠を経験) |
| 父親 | ヘンリー8世(イングランド王) |
| 母親 |
キャサリン・オブ・アラゴン(スペイン王女)
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| 前任者 |
エドワード6世(異母弟)
※即位直後にジェーン・グレイの短期簒奪(9日間)があった。 |
| 後継者 | エリザベス1世(異母妹) |
人物の背景
メアリーは、ヘンリー8世とキャサリン・オブ・アラゴンの唯一の存命の子として生まれた。
幼少期は王位継承者として育てられたが、父とキャサリンの離婚後、王女の地位を剥奪され、非嫡出子として扱われる過酷な時代を過ごす。

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宗教的には熱心なカトリックであり、父ヘンリー8世と弟エドワード6世が進めたイングランド宗教改革に終生反対した。
1553年、エドワードの死後、ジェーン・グレイの即位を覆し、国民の支持を受けて王位に返り咲く。
女王即位後はカトリック回復を最優先し、スペイン王フェリペ2世と結婚したが、嫡子が生まれず、のちに二度の想像妊娠を経験。治世後半は体調悪化と政策の失敗が重なり、若くしてこの世を去った。
治世で起きた主要な出来事
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カトリック信仰の復活と宗教弾圧(1553〜1558)
ヘンリー8世・エドワード6世の改革を逆転させ、ローマ教皇との関係を回復。プロテスタント指導者の処刑(約280名)により「血まみれのメアリー」と呼ばれる。 -
スペイン王フェリペ2世との結婚(1554)
ハプスブルク家との婚姻は外交的には強化策だったが、国内では不人気。スペインとの政治的結びつきが強まった一方で、独立性を失うとの批判も多かった。 -
偽妊娠(1555・1557)
二度の想像妊娠により国家が後継者不在のまま混乱。王位継承問題は治世後半の政治不安定を加速させた。 -
カレー喪失(1558)
百年戦争以来保っていた“イングランド最後の大陸領”カレーをフランスに奪還される。メアリーの威信に大きな打撃を与えた。 - エリザベス1世への王位継承決定
フェリペ2世の政治的思惑もあり、プロテスタントのエリザベスを後継に認める。これにより、イングランドは再び宗教改革の道へ進むことになる。
メアリー1世の治世は、宗教と国家の運命が激しく揺れ動いた5年間だった。
彼女の政策は短命に終わったが、後継者エリザベス1世の黄金時代に至る“宗教と王権の綱引き”の中で、重要な転換点を形成している。

