─王冠を戴きながら、牢に繋がれた女王がいた。
この悲痛な姿を、歴史は「狂気」と記した。だがその名は、カスティーリャ王女フアナ。王位継承者にして、愛と裏切りに翻弄された女王である。
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この記事のポイント
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夫への愛と執着を“狂気”と解釈され、政治利用の末に幽閉されたフアナ
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母からカスティーリャ女王の位を受け継ぐも、王位はけして譲らず
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やがて、彼女の血を継ぐ息子が“日の沈まぬ帝国”を築いた
狂女フアナ像はこうして作られた──
もしあなたが初めてこの絵を見たら、『狂気の女王』という物語を信じてしまうかもしれない。それほどまでに強烈な演出が、この19世紀絵画には宿っている。

この絵は、19世紀の画家たちが“狂女フアナ”像を象徴的に描いた作品のひとつである。
薄暗い背景、沈んだ目元、乱れた衣服は、彼女を“狂気に陥った女王”としてロマン主義的に演出したものだ。しかし、この表現は史実というより“後世の想像”に近い。
当時の記録では、フアナは深い悲しみの中にあったが、完全に理性を失っていたわけではない。
棺の逸話と19世紀絵画の演出
19世紀の画家たちは、フアナが夫フィリップの死後、棺を抱えて旅し、“何度も彼が息を吹き返していないか確かめた”という逸話をドラマチックに描いた。
絵の中のフアナは憔悴し、女官たちは徹夜に疲れ果て、周囲には暗い修道院の廊下や重苦しい空気が広がる。だが、この情景の多くは後世の誇張だと考えられている。
同時代の一次資料には、ここまでの奇行を裏付ける詳細はほとんどなく、19世紀のロマン主義が作り上げた“狂気の女王”像が強調された可能性が高い。
では、絵の物語から離れ、史実のフアナを見てみよう。
内気で聡明だった王女時代
15世紀末、イサベル女王とフェルナンド王の間に生まれたフアナは、内向的で感受性が強い少女だった。
母の命に従い、熱心に宗教書を学び、礼拝に励む日々を送ったが、信仰そのものに深い関心を示すことは少なかった。家庭では静かに本を読み、言葉少なに過ごすことを好んだという。
王族の義務として嫁がされたのは、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の子、フィリップ美公。16歳でフランドルに到着したフアナは、そこで運命の出会いを果たす。
恋と結婚──理想と現実の狭間で

フィリップとフアナ (出典:Wikimedia Commons)
美公と呼ばれたフィリップは金髪碧眼の美貌に加え、愛想よく近づく魅力的な男性だった。フアナはたちまち心を奪われ、結婚生活に大きな期待を寄せた。
だがその希望は裏切られる。フィリップは享楽を愛し、宮廷には常に数多の女性たちがいた。
女官との関係を目撃したフアナが激昂し、相手を糾弾した場面は、あっという間に「狂女フアナ」の象徴として語られるようになる。
彼女の激情は、愛する者に裏切られた妻の反応にすぎなかった。
だが当時の宮廷では、女性の怒りはすぐに「理性を失った」と解釈された。感情の激しさは、精神異常の証とされたのだ。
女王の誇り──王位は手放さない
1504年、母イサベルが死去。フアナは正式にカスティーリャ女王となるが、遺言には「王権を行使できない場合、夫か父が代行する」との条項が付されていた。
この条項を根拠に、夫フィリップはカスティーリャの統治を自らのものにしようと試みる。だがフアナは断固拒否した。
議会でも、王権の公文書でも、彼女は自らが「唯一の正統なる王」であると主張し続けた。王位を手放さなかったその姿勢は、狂気ではなかった。
むしろ、王としての矜持と自負の現れだった。
夫フィリップの死去

出典:Wikimedia Commons
1506年、フィリップが突然の病で急逝する。
原因は飲料水による感染とも、毒殺説とも噂された。後世の年代記は、深い喪失に沈んだフアナが棺に寄り添い、語りかけ、亡骸を確かめようとしたと伝える。
ただし、これらの逸話は同時代の記録では詳細に確認できず、後世の脚色が加わった可能性も高い。
とはいえ、彼女の深い悲嘆が周囲に“異様”と映ったことは事実で、その姿はすぐに「狂気」の証拠として広まっていった。
背景には、ポルトガル王室との度重なる近親婚による体質の脆弱さや精神面の不安定さが王族に見られていたことも影響し、フアナの感情の乱れが過度に解釈された。
“狂女”の刻印を受けて
フアナもまた、その血を引く者だった。
スペインで育てられていた頃にはまだ顕著でなかった徴候が、フィリップとの結婚を機に、徐々にその輪郭を現し始める。
とりわけ1503年ごろから、フアナの情緒には不安定さが増し、そして1506年9月──愛する夫が突如この世を去ったとき、彼女はもはや正気とは言い難い状態にあった。
それでもなお、彼女は10年足らずの結婚生活の中で6人の子をもうけている。精神が乱れつつあっても、母胎は健全であったのか──その皮肉めいた健康さが、かえって哀しみを深くする。
幽閉された女王

© Habsburg-Hyakka.com
父フェルナンドは、政権掌握のためにこの「狂気」を利用し、フアナをトルデシリャスの城に幽閉してしまった。
王権を持ちながらも、誰に会うことも、政務に関与することもなく、彼女はただ“存在するだけ”の女王として、46年を過ごした。
だがその間も、彼女の名は王国の正統性の根拠であり続けた。息子カール(カール5世)は、フアナの血統を継ぎ、ヨーロッパ最大の帝国を築く。
彼女がいたからこそ、王権の連続性は保たれたのである。
まとめ
フアナが本当に狂っていたのか、それとも政治の犠牲者だったのか──。
愛し、嫉妬し、怒り、拒んだ。そんなごく普通の人間的な感情を、女性であるがゆえに「狂気」とされた時代。王権を守るために抗い続けたフアナの姿は、むしろ高貴な魂の証である。
狂っていたのは彼女ではない。彼女の声を封じ、王座を奪い取ったこの世界だったのかもしれない。そして彼女が遺したのは──
のちに“太陽の沈まぬ帝国”を築き上げる皇帝である。▶︎【カール5世 (カルロス1世)】“日の沈まぬ帝国”を築いた皇帝の孤独と決断
関連する物語:フィリップ美公─ハンサムゆえに歴史を動かした男と、狂気へ向かった女王フアナ
参考文献
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- ハプスブルク家の女たち 江村洋 (講談社現代新書)
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