ナポレオンの妻は幸せだったのか?マリー・ルイーズという生贄皇女の真実

1810年3月27日、コンピエーニュ城の謁見室で18歳の皇女マリー・ルイーズは初めてナポレオン一世と対面した。

ナポレオンとマリー・ルイーズの結婚式 (ナポレオンとの結婚式)

父フランツへの手紙に記した言葉は「私は義務を果たします」――胸にあったのは恋ではなく、国家へ捧げる従順の覚悟である。

この記事のポイント
  • 皇女マリー・ルイーズ、講和でナポレオン皇后となり運命に翻弄される
  • ナポレオン退位後は、片眼のナイペルク伯と結ばれパルマで慈善統治を実践し国を再生へ
  • 早逝のナポレオン二世を悼み母と慕われ剣なき勝利を収める晩年に

ウィーンの娘――砲声を子守歌に

1791年12月12日、シェーンブルン宮で産声を上げた彼女を抱き上げたとき、父フランツ2世は前年に亡くした長女の面影を見て胸を締めつけられた。

夜な夜な執務室で電報を読み返す皇帝は、「この子を敵へ差し出す悪夢がよみがえる」と震える筆で日記に刻む。

妹レオポルディーネとの笑い声さえ、大理石の廊下に吸われて消えていった。父はその小さな背に憂いを滲ませ、書斎で「娘の笑顔を奪うのは余か」と独り嘆いたという。

 戦争の代償――政略結婚の幕開け

1809年7月、ヴァグラム敗戦が帝国を沈黙させる。宰相メッテルニヒは「講和の代価は皇女の手」と進言し、皇帝は震える手で署名した。

1810年3月の代理結婚式、花婿のかわりに置かれた熾天使杖と勲章に口づけした彼女は仏語で「私は父の望みに従います」と囁く。

宝飾の輝きは檻の錠前に見え、扉陰の父は唇をかみ、誰にも悟られぬ涙を拭った。

氷の王冠――フランス皇后の日々

チュイルリー宮殿で彼女を包んだのは金箔の光と凍える孤独だった。

夫ナポレオンは夜毎戦況図を広げ、彼女の言葉を待たない。侍女ピアチェンツァは回想録に「夜ごと聖母像の前で枕を濡らした」と書く。

1811年、皇太子ナポレオン・フランソワが誕生し、パリの祝砲が百一発鳴り響いた。だが母の手紙には〈務めを果たしました〉の六文字だけ。

──この幼子は後に祖父フランツのもとで「ライヒシュタット公」という新しい名を与えられ、数奇な運命を歩むことになる。金箔の回廊より夫婦の心は遠かったが、母と子を結ぶ糸だけはまだ温かく震えていた。

マリー=ルイーズとナポレオン2世 (フランソワ・ジェラール画) (マリー=ルイーズとナポレオン2世)

帝国崩壊――冷たい別れ

1814年、ナポレオン退位。

マリー・ルイーズは涙を見せず〈私は父の娘に戻ります〉と打電し、パリを発つ。三歳の皇太子ライヒシュタット公と別れる階段で、凍った涙が一粒だけ頬を滑った。

百日天下でも帰還を拒み、夫の凋落より解放の鎖音に安堵した。

幽閉された希望と母の盾

皇太子ナポレオン・フランソワは、1814年にウィーンへ送られたのち、祖父フランツ二世から「ライヒシュタット公」という称号を授けられた。華やかな“ナポレオン二世”の名は封印され、若き公爵は宮廷の奥で静かに監視下の青春を過ごす──

母の手紙は検閲で黒塗りになり、愛は行間で息絶えた。1832年、結核に倒れた公は「母上、もう戦えません」と囁き短い生を閉じる。

彼女は一夜泣き、翌朝孤児院の寄付帳に署名した。悲しみを行動で封じる、それが彼女の盾だった。

パルマ女公――剣なき統治と最初の伴侶

ウィーン会議は皇女にパルマ公国を与え、片眼の将軍アーダム・ナイペルク伯を総督として送る。雪解け前の峠で馬車が難破したとき、伯は彼女を守る盾となり、監視役と被監視の壁が崩れた。

二人は屋上に登り夕日に染まるティレニア海を眺めて未来を語り合い、三児をもうける。女公は運河を掘り病院と学校を建て、刺繍工房で女性を雇用した。

地元紙は「女公は剣を取らず心を制す」と讃えた。

 二つ目の支え――ボンベル伯との晩年

1829年にナイペルク伯が逝くと、メッテルニヒは穏やかな官僚カール・ボンベル伯を派遣する。恋の炎はないが、伯は慈善計画を支え、女公は毎朝届く嘆願書に赤インクで返信した。

『パルマ日報』は「女公は夜を祈りに、朝を働きに捧ぐ」と書き、市民は城門前で頭を垂れた。

1847年12月15日、寝室に聖歌が流れる中、彼女は「務めは果たされました」と微笑み息を引き取る。棺を囲む列には農民も貴族も並び、ラベンダーとパルマ産チーズが手向けられた。

王冠も剣もいらなかった。彼女は人々の心に王座を築いた。墓石は質素だが命日には赤いカーネーションが山のように積まれる。

花を置く者の多くは名も残らぬ庶民だ。

まとめ

ナポレオンの妻は幸せだったか。皇后としての彼女は孤独だった。

(マリー・ルイーズと息子)

しかしパルマ女公として慈善と芸術を育み、人々に慕われる穏やかな勝利を得た。剣で帝国を震わせた男の影で、剣を持たず心を征した女。

マリー・ルイーズの物語は、力を奪われた者でもしなやかさで歴史を動かせると示している。今も彼女の名は、小さく強い希望の灯として胸に残る。

参考文献
  • Österreichisches Staatsarchiv, Verlobungs‑ und Heiratsakten Marie‑Louise
  • K. W. von Metternich, Briefe an Kaiser Franz I., Bd.3
  • Archivio di Stato di Parma, Atti del Governo di Maria Luigia
  • A. von Neipperg, Lettere private
  • Dr. G. Malocchetti, Rapporto medico sul duca di Reichstadt
・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.

 

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