フリードリヒ2世 (プロセイン王)

フリードリヒ2世の肖像画 関連人物(政的・家臣・その他)
フリードリヒ2世の肖像画 (出典:Wikimedia Commons Public Domain)

フリードリヒ2世は「フリードリヒ大王」として知られ、プロイセンをヨーロッパ列強へ押し上げた名君である。

啓蒙専制君主として軍事と文化を両立させたその治世は、プロイセン国家の黄金時代と呼ばれる。

基本情報

称号 プロイセン王
オーストリア大公
ボヘミア王
ハンガリー王
クロアチア王
スラヴォニア王
ガリツィア・ロドメリア王
出生 1712年1月24日(ベルリン)
死去
1786年8月17日(ポツダム・サンスーシ宮殿)
享年 74
治世 1740年〜1786年(プロイセン王)
伴侶 エリザベート・クリスティーネ
子女 なし
父親
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(兵隊王)
母親
ゾフィー・ドロテア・フォン・ハノーファー
前任者 フリードリヒ・ヴィルヘルム1世
後継者 フリードリヒ・ヴィルヘルム2世

人物の背景

フリードリヒ2世は「兵隊王」と呼ばれた父フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の長男として生まれた。

少年時代は音楽や哲学を愛する繊細な性格で、軍事一辺倒の父と激しく対立したといわれる。若き日の反抗と友人カッテの悲劇的処刑は、彼の心に深い影を落とした。

しかし王位継承後は現実主義者として国政を担い、軍事・行政・文化のすべてに改革を加え、プロイセンを強国へと変貌させた。

治世で起きた主要な出来事

  • オーストリア継承戦争(1740〜1748年)
     即位直後、マリア・テレジアのハプスブルク家継承に挑戦し、シュレージエンを獲得。プロイセンの版図拡大の第一歩となった。

  • 七年戦争(1756〜1763年)
     オーストリア・フランス・ロシアなど列強を相手に戦い抜き、シュレージエンの領有を確定。軍事的天才として名声を確立した。(18世紀) マリア・テレジアの時代のハプスブルク家領 (1740-80年) (Map) Habsburg Territories in the 18th Century: The Era of Maria Theresa (1740–1780)

      © Habsburg-Hyakka.com
  • 啓蒙専制と国内改革
     法典の整備、農業振興、宗教寛容令、行政効率化などを推進。サンスーシ宮殿に哲学者ヴォルテールを招き、啓蒙思想を重んじた文化的君主でもあった。

フリードリヒ2世の治世は、戦争と改革、理性と現実主義のバランスによってプロイセンを「ヨーロッパの新しい強国」へと押し上げた時代である。彼の死後、プロイセンは列強としての地位を固め、のちのドイツ統一への道を開いた。

タイトルとURLをコピーしました