1620年11月8日、プラハ郊外――
白く霧に包まれた丘。そこに立つ数千の兵士たちは、凍える手で銃を握りしめていた。
「神は我らと共にあらん」ボヘミアの民はそう祈った。だが、その祈りが届くことはなかった。
わずか二時間の戦いで、彼らの“自由の国”の夢は潰える。後に「白山の戦い」と呼ばれるこの敗北が、ヨーロッパを三十年にわたる血の戦争へと引きずり込む――。
この記事のポイント
白山の戦い(1620)は、ボヘミア反乱軍がハプスブルク帝国に敗れた戦い
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信仰と自由を掲げた「冬の王」フリードリヒ5世の夢は一瞬で崩壊
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この敗北が、ヨーロッパ全土を巻き込む三十年戦争の始まりとなった
反乱の火種 ― プラハ窓外放擲事件
発端は1618年。
ハプスブルク家の支配下にあったボヘミア(現チェコ)では、カトリックの弾圧に反発したプロテスタント貴族たちが、プラハ城の窓から皇帝代理人を突き落とした。
――この衝撃的事件が「三十年戦争」の導火線である。反乱軍は新たな王を選出する。
彼の名はフリードリヒ5世。プファルツ選帝侯で、信仰に厚い若きプロテスタント。人々は彼を「冬の王」と呼んだ。
だがその栄光は、ひと冬も続かなかった。
皇帝フェルディナント2世の逆襲
一方、ウィーンでは静かに怒りが燃えていた。皇帝フェルディナント2世――
熱心なカトリック信徒にして、「信仰の敵には容赦せぬ」と誓った男。彼は教皇とスペイン・ハプスブルクの支援を得て、旧教連合軍を結成。
指揮官には名将ティリー伯を任命した。帝国軍の旗には金の十字が輝き、その背後にヨーロッパの運命が揺れていた。
白山の丘 ― たった二時間の戦い

白山の戦い (© Habsburg-Hyakka.com / AI generated image)
1620年11月8日早朝。プラハ郊外の「白山」に両軍が対峙する。
ボヘミア側は未熟な義勇兵と外国傭兵あわせて約2万。信仰に燃えるが、訓練も統率も欠いた軍だった。対するハプスブルク側は旧教連合軍およそ2.5万。
練度高く、豊富な火器と騎兵を備えていた。
開戦の号砲が響くと、霧の中を砲弾が裂いた。だが反乱軍の指揮は混乱。士気の低下とともに、最前線が崩壊していく。午後、ティリーの騎兵が左翼を突破した。
雪のような煙の中、反乱軍は一斉に退いた。戦闘はわずか二時間。丘に残ったのは、祈りの言葉と散った命だけだった。
「冬の王」の逃走とプラハの陥落
フリードリヒ5世は敗報を聞くと、王妃エリザベスとともに急ぎ逃亡。雪の中を北へ――亡命先はオランダだった。
彼の治世はわずか一年にも満たなかった。
皇帝軍はすぐにプラハへ突入し、街の教会には再びミサが戻る。
反乱指導者27名が処刑され、民衆の前で刃が振り下ろされるたび、自由の夢は冷たい石畳に血として染み込んでいった。
帝国の秩序、そして暗い長い戦争へ
白山の勝利により、ハプスブルク家の支配は確立した。ボヘミアは完全にカトリック化され、チェコ語の書物は焚書され、貴族の多くが亡命する。
だが、それは平和の到来ではなかった。この戦いを機に、北欧・フランス・オランダが次々と参戦。
ヨーロッパ全土を巻き込む三十年戦争が始まる。
勝利した皇帝フェルディナント2世の顔にも、安堵はなかった。彼が守ったのは“信仰”か、それとも“恐怖による秩序”か――。
まとめ
白山の戦いは、銃弾でなく“信仰”が引き金を引いた戦いだった。
自由を求めた民が、祈りとともに沈んだ丘。だがその犠牲は、ヨーロッパに「宗教と国家の分離」という未来を刻んだ。
正義も信仰も、力を持たなければ守れない。
次の記事では――この戦いを皮切りに燃え広がった三十年戦争の全貌を追う。
神を掲げて戦った帝国たちの、終わりなき悲劇である。▶︎ 宗教戦争の仮面をかぶった国家間戦争
参考文献
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Parker, Geoffrey. The Thirty Years’ War. Routledge, 1997.
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Wedgwood, C.V. The Thirty Years War. New York Review Books, 2005.
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Evans, R.J.W. The Making of the Habsburg Monarchy 1550–1700. Oxford University Press, 1979.
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Wilson, Peter H. Europe’s Tragedy: A History of the Thirty Years War. Penguin, 2010.

