マリー・アントワネットは、まずハプスブルク家の皇女であった。その血は、ヨーロッパの帝国と王国を結びつけ、そして引き裂いた。
彼女が嫁いだ先、フランス王家ブルボンの運命は、やがてその血の中で終焉を迎える。1795年、パリの塔の中で、一人の少年が息を引き取った。
その名はルイ=シャルル――名目上のルイ17世。革命の正義と怒りが渦巻くその塔の中で、いったい何が起きていたのか。
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この記事のポイント
- アントワネットの息子ルイ17世は、革命の混乱の中で孤立し、監禁と虐待の末に命を落とした
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彼はハプスブルクとブルボンという二大王家の血を継ぐ“最後の王子”であったともいえる
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その死は、王権と血統の時代が終わり、「民衆の時代」が始まる象徴となった
ハプスブルクの娘が見た“もうひとつの王国”
ウィーンで音楽と礼節を学び、母マリア・テレジアの庇護のもとに育ったアントワネットが、フランス王家に嫁いだのは十四歳のときである。
それは単なる結婚ではなく、ハプスブルク家とブルボン家――二つの大国の関係を修復するための外交的な架け橋だった。
だが、運命は皮肉だった。十八世紀末、ヴェルサイユの光はやがて燃え尽き、彼女の生んだ王子ルイ=シャルルが、その血の終着点となるとは、誰が予想しただろうか。
王政崩壊と“囚われの家族”
1789年のフランス革命。
王権は民衆の怒りに包まれ、ヴェルサイユ宮殿の華やかな回廊は、たちまち憎悪の象徴に変わった。
1791年のヴァレンヌ事件 (逃亡失敗) を経て、ルイ16世一家はパリのタンプル塔に幽閉される。当初は家族で同室に過ごしたが、1793年1月、国王が処刑されると状況は一変。
母マリー・アントワネットも同年10月に断頭台に消え、残されたのはわずか8歳の少年――
ルイ17世であった。彼はもはや“王太子”ではなく、“旧体制の象徴”として革命政府にとって最も危険な存在となった。
靴屋シモン夫妻の“再教育”
少年の監視を命じられたのは、靴職人アントワーヌ・シモンとその妻だった。
政府の命はひとつ――「王の息子を市民に作り変えよ」。それは教育ではなく、屈服の訓練であった。

牢獄の中のルイ17世 (© Habsburg-Hyakka.com / AI generated image)
彼は侮辱の言葉を浴びせられ、「父は裏切り者だ」と繰り返し叫ばされた。酒を強いられ、粗末な食事を投げつけられ、時に殴られ、時に放置された。(※)
同時代の記録には、彼が壁に怯えながら独り言を呟いていたとある。彼の世界は、塔の狭い部屋と、絶え間ない恐怖だけだった。
沈黙の中の死
1794年、ロベスピエールの失脚とともにシモン夫妻は任を解かれる。
しかし、それは少年にとって救いではなかった。新たな監視下で彼は完全に孤立し、窓は釘で打ちつけられ、外界との接触を絶たれた。
部屋には悪臭が立ちこめ、糞尿を処理することもままならなかったという。医師ペルタンが残した検視記録にはこうある。
「全身に瘡と浮腫、腹部には痣多数。痩せ衰え、声を発することもなく、静かに息を引き取った。」
1795年6月8日――少年王ルイ=シャルル、わずか10歳。その遺体は“名もなき少年”として共同墓地に葬られた。
血と祈りの終焉
200年後、保存されていた彼の「心臓」がDNA鑑定にかけられ、母マリー・アントワネットの遺髪と一致することが確認された。
つまり、あの塔で死んだ少年こそが、本物のルイ17世であったのだ。
ハプスブルクとブルボン――二つの王家の血は、パリの暗い塔の中で静かに途絶えた。彼は王座に就くことも、王冠を戴くこともなかった。
だが、その死は「血統という秩序」の終焉を象徴した。革命の炎は王を倒しただけでなく、王という存在そのものを、ひとりの子どもの命の中で焼き尽くしたのである。
まとめ
ルイ17世の短い生涯は、「血統による支配」から「民意による時代」への橋渡しであった。
革命が奪ったのは一人の命でありながら、同時に“王”という概念そのものでもあった。
この物語が問いかけるのは、
「正義」が子どもを犠牲にしてまで貫かれるべきものだったのか――
という、時代を超えた倫理の問題である。
ハプスブルク家が育んだ秩序と信仰、ブルボン家が象徴した権威と栄華。そのどちらも、小さな命の沈黙によって終焉を迎えた。
そして次の記事では、王妃の死が、いかにしてこの“少年王”の運命を決定づけたのかをたどる。▶︎ 【王妃はなぜ憎まれたのか】マリー・アントワネットとフランス革命の悲劇
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参考文献
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Philippe Delorme, Louis XVII, la biographie, Éditions de l’Archipel, 2000.
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John Hardman, Louis XVI, Yale University Press, 2016.
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Jean Tulard (dir.), Dictionnaire Napoléon, Fayard, 1989.
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Saint-Simon, Mémoires.
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Archives Nationales, “Dossier du Dauphin Louis-Charles, Temple, 1793–1795.”
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桐生操訳『マリー・アントワネット伝』中央公論社, 1993年.
(※) 注釈 ただし、これらの証言の一部は後世の回想録や報道に基づくもので、当時の司法記録には詳細な記述は見られない。※ルイ17世の監禁生活については、19世紀以降に多くの脚色や伝説が加えられており、史料による検証が求められる。本記事では、「フランス国立公文書館所蔵の記録」および「近年の研究」をもとに再構成している。

