大航海時代の幕開けを前に、ポルトガル王室から神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世に嫁いだエレオノーレ・フォン・ポルトゥガル。
イベリア半島と神聖ローマ帝国を結ぶ外交の架け橋となった彼女は、15世紀後半のハプスブルク家に新しい血統をもたらし、のちのマクシミリアン1世を生んだ“帝国の母”である。
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沈黙の皇妃、失望の帝国へ嫁ぐ|マクシミリアン1世の母エレオノーレを読む ▶
基本情報
| 称号 | 神聖ローマ皇后 |
| 出生 |
1434年9月18日(ポルトガル・トレス=ヴェドラス)
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| 死去 |
1467年9月3日(オーストリア・ウィーン)
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| 享年 | 32 |
| 治世 | 皇后として:1452年〜1467年 |
| 伴侶 | フリードリヒ3世(神聖ローマ皇帝) |
| 子女 | マクシミリアン1世 |
| クリストフ他4名 | |
| 父親 | ドゥアルテ1世(ポルトガル王) |
| 母親 |
レオノール・デ・アラゴン(カスティーリャ王女)
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人物の背景
エレオノーレは、ポルトガル王ドゥアルテ1世とカスティーリャ王女レオノールの間に生まれたイベリアの王女である。
1452年、父の親戚関係と外交バランスのため、神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世との縁談が整い、皇后としてウィーンへ渡る。この結婚は、ハプスブルク家にとって初めて“海外王家(ポルトガル)の血統”を迎え入れた意味を持ち、以降のヨーロッパ支配図に大きな影響を与えた。
彼女は美貌と文化的教養を兼ね備え、ドイツ王国の宮廷生活に“南の陽気さ”をもたらしたと伝えられている。しかし、帝国での生活は彼女にとって苦難の連続で、32歳という若さでこの世を去った。

マクシミリアン1世の家系図:©︎Habsburg Hyakka.com
治世で起きた主要な出来事
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神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世との結婚(1452年)
ローマでの戴冠式と同時にフリードリヒ3世と結婚。ハプスブルク家で2世紀ぶりに行われたローマでの戴冠式は、帝国権威を再確認する場となり、エレオノーレは正式な皇后として認められた。 -
マクシミリアン1世を出産(1459年)
4人の子をもうけたが、唯一成人したマクシミリアン1世は、のちに帝国を統一し、“ヨーロッパの縁組政策”を推し進める基礎を築く。彼女はその“帝国の母”として歴史に名を残す。 -
文化的影響と宮廷生活
イベリア文化を持ち込み、当時保守的だったハプスブルク宮廷に新たな風を吹き込んだ。楽器演奏や詩の会合を開き、宮廷文化の再活性化に貢献したとされる。
エレオノーレ・フォン・ポルトゥガルは、短い生涯の中でハプスブルク帝国にヨーロッパの広がりと血統の新風をもたらした皇后であった。彼女の系譜は帝国の黄金時代を築く礎となり、その血はのちのヨーロッパ諸国にも脈々と受け継がれていく。

