エレオノーレ・フォン・ポルトゥガル (神聖ローマ皇后)

Eleonore von Portugal 基本情報まとめ
エレオノーレの肖像画 (出典:Wikimedia Commons Public Domain)

大航海時代の幕開けを前に、ポルトガル王室から神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世に嫁いだエレオノーレ・フォン・ポルトゥガル。

イベリア半島と神聖ローマ帝国を結ぶ外交の架け橋となった彼女は、15世紀後半のハプスブルク家に新しい血統をもたらし、のちのマクシミリアン1世を生んだ“帝国の母”である。



基本情報

称号 神聖ローマ皇后
出生
1434年9月18日(ポルトガル・トレス=ヴェドラス)
死去
1467年9月3日(オーストリア・ウィーン)
享年 32
治世 皇后として:1452年〜1467年
伴侶 フリードリヒ3世(神聖ローマ皇帝)
子女 マクシミリアン1世
クリストフ他4名
父親 ドゥアルテ1世(ポルトガル王)
母親
レオノール・デ・アラゴン(カスティーリャ王女)

人物の背景

エレオノーレは、ポルトガル王ドゥアルテ1世とカスティーリャ王女レオノールの間に生まれたイベリアの王女である。

1452年、父の親戚関係と外交バランスのため、神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世との縁談が整い、皇后としてウィーンへ渡る。この結婚は、ハプスブルク家にとって初めて“海外王家(ポルトガル)の血統”を迎え入れた意味を持ち、以降のヨーロッパ支配図に大きな影響を与えた。

彼女は美貌と文化的教養を兼ね備え、ドイツ王国の宮廷生活に“南の陽気さ”をもたらしたと伝えられている。しかし、帝国での生活は彼女にとって苦難の連続で、32歳という若さでこの世を去った。

フリードリヒ3世、息子の結婚までの家系図

マクシミリアン1世の家系図:©︎Habsburg Hyakka.com

治世で起きた主要な出来事

  • 神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世との結婚(1452年)
    ローマでの戴冠式と同時にフリードリヒ3世と結婚。ハプスブルク家で2世紀ぶりに行われたローマでの戴冠式は、帝国権威を再確認する場となり、エレオノーレは正式な皇后として認められた。

  • マクシミリアン1世を出産(1459年)
    4人の子をもうけたが、唯一成人したマクシミリアン1世は、のちに帝国を統一し、“ヨーロッパの縁組政策”を推し進める基礎を築く。彼女はその“帝国の母”として歴史に名を残す。

  • 文化的影響と宮廷生活
    イベリア文化を持ち込み、当時保守的だったハプスブルク宮廷に新たな風を吹き込んだ。楽器演奏や詩の会合を開き、宮廷文化の再活性化に貢献したとされる。

エレオノーレ・フォン・ポルトゥガルは、短い生涯の中でハプスブルク帝国にヨーロッパの広がりと血統の新風をもたらした皇后であった。彼女の系譜は帝国の黄金時代を築く礎となり、その血はのちのヨーロッパ諸国にも脈々と受け継がれていく。



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