沈黙は敗北を意味した。フェルディナント2世はそれを知っていた。
彼が背負うのは、神聖ローマ帝国という広大な共同体の秩序、そしてカトリック信仰そのもの。退けば帝国は分裂し、神の家は崩れる。
進めば血が流れる。だが彼は、躊躇わなかった。
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この記事のポイント
- 神に選ばれし皇帝フェルディナント2世、信仰のため戦う決意
- ビーラー・ホラの戦いでボヘミアを奪還、帝国に再カトリック化
- グスタフ・アドルフ参戦で戦局激化、帝国は血と妥協の時代へ
神に選ばれし少年
1578年、グラーツの小さな城で生まれたフェルディナント。彼の母方にはスペイン・ハプスブルクの血が流れ、幼いころからイエズス会士に囲まれて育った。
彼の一日は祈りと告解から始まる。「神は私を試している」――少年はそう信じていた。
学友たちが遊ぶ時間に、彼は教会でひざまずいていた。やがてその眼差しは、ひとりの王ではなく「神の戦士」のそれになっていった。
王冠と十字架を背負う日
1617年、ボヘミア王に即位。翌年にはハンガリー王。
だが王冠は輝かず、重くのしかかった。帝国は宗教改革以降、カトリックとプロテスタントの対立で火薬庫と化していた。
1618年、プラハ。怒れるプロテスタント貴族が、皇帝派の使者を窓から突き落とした――「プラハ窓外投擲事件」。その瞬間、ヨーロッパ全土に火花が散った。

プラハ窓外放擲事件 (AI ganerated image)
皇帝となり、運命を引き金に
翌1619年、皇帝マティアスが崩御。
フェルディナントは神聖ローマ皇帝に選出されるが、ボヘミア諸身分は彼を拒み、プファルツ選帝侯フリードリヒ5世を新王に推した。
二人の王、二つの正義。帝国は真っ二つに割れた。フェルディナントは跪かず、祈りのあとに軍を動かした。
1620年11月8日、ビーラー・ホラの丘。戦場を見渡した彼は、ひとり十字を切ったと伝えられる。戦いは数時間で決着し、フリードリヒは亡命。
「冬王」と呼ばれ、ボヘミアは再び皇帝のものとなった。
カトリックの復権と帝国の裂け目
勝利は祝福だったが、同時に帝国に深い亀裂を残した。反乱貴族は処刑され、土地は没収、ボヘミアでは強制的な再カトリック化が始まる。
だが、帝国全土が従ったわけではなかった。1629年、フェルディナントは「復旧勅令」を公布し、宗教改革以降に失われた教会財産の返還を命じる。
それは信仰の勝利だったが、同時に諸侯の怒りに火をつけ、帝国は再び分裂へと突き進んでいく。
北方の獅子、嵐とともに現る
混乱の帝国に、新たな嵐が襲う。
1630年、スウェーデン王グスタフ・アドルフが参戦。彼は雷鳴のごとき突撃で皇帝軍を破り、1631年のブライテンフェルトでは帝国軍が壊滅。
「神はどちらに味方しているのか」――宮廷は動揺した。
フェルディナントは再びヴァレンシュタインを呼び戻すが、指揮系統は乱れ、1632年リュッツェンでグスタフを討ち取るも、帝国軍も深手を負った。
勝利と孤独
1634年、ノルトリンゲン。スペイン軍との連携で大勝利を収めたとき、フェルディナントは再び帝国の未来を信じた。
しかしその勝利が、フランスを呼び寄せる。ルイ13世と宰相リシュリューがプロテスタント側として参戦し、戦争は宗教戦争から「欧州覇権戦争」へと変貌する。
さらに宮廷では、ヴァレンシュタインが専横を強めたとして暗殺される。フェルディナントは祈りの場で、もう二度と彼の名を呼ばなかったという。
神の秩序は果たされず
1637年、フェルディナント2世は静かに息を引き取った。
その瞳には、まだ戦火が映っていた。彼の死後も戦争は続き、1648年ヴェストファーレン条約によって、帝国は領邦の独立と信仰の自由を認める新しい秩序へと変わった。
そこには、彼が夢見た「神の下にひとつの帝国」はもはや存在しなかった。
まとめ
フェルディナント2世は、信仰のために戦った最後の皇帝だった。
彼の選んだ道は血にまみれ、多くの命を奪ったが、彼の決断がなければ帝国はもっと早く瓦解していたかもしれない。その遺志は息子フェルディナント3世に受け継がれる。
だが息子が選んだのは剣ではなく、交渉のテーブルだった――そして帝国は、血の時代から「外交と妥協の時代」へと進んでいく。▶︎ 「戦争の炎を鎮めた男」フェルディナント3世と帝国再建の軌跡
関連する出来事:
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参考文献
-
岩崎周一『ハプスブルク帝国』(講談社現代新書)
-
Peter H. Wilson, The Thirty Years War: Europe’s Tragedy(Harvard University Press, 2009)
-
Geoffrey Parker, Europe in Crisis 1598–1648(Blackwell, 2001)
- ハプスブルク家を知るための60章 (川成 洋 (編集, 著))
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.