命を救った家を裏切る?【フリードリヒ大王とハプスブルクの宿怨】

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フリードリヒ大王© Habsburg-Hyakka.com / AI generated image)

フリードリヒの父、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は「兵隊王」と呼ばれた。規律と軍務をすべてに優先し、息子を「軍人」として育てようとした。

けれど、若いフリードリヒは、音楽と本を愛する、静かな気質の少年だった。

父の厳しさはしつけの域を超え、暴力に近かったと言われる。やがて彼は、親友カッテと共に国外へ逃げようとする。

計画はすぐに露見し、カッテは処刑。
フリードリヒは長い孤独の中で、自分の行く末を考えるしかなかった。

そして――意外な場所から救いの手が伸びる。

宿敵ハプスブルク家の皇帝カール6世が、プロイセン王へ恩赦を求める書状を送ったのだ。その一言が、彼の命をつないだ。

この“借り”が返される日は、けっして来なかった。

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この記事のポイント
  • フリードリヒ大王は命を救ったハプスブルク家へ侵攻、シュレージエン戦争を勃発。
  • マリア・テレジアは改革と軍備強化で反撃、対立は七年戦争へ。
  • 芸術を愛する哲人王は現実主義で国家を拡大、プロイセンを列強へ。 



王冠とともに変わった運命

1740年、父王の死により、フリードリヒはプロイセン王フリードリヒ2世として即位する。
即位からわずか数週間――

ヨーロッパに衝撃が走った。ハプスブルク家のカール6世が急逝したのである。あとを継ぐのは若い女大公、マリア・テレジア

彼女の地位は法律で守られていたが、多くの諸侯はそれを無視し、「これを機に領土を奪おう」と動き始めた。

その先頭に立ったのが――かつて命を救われたフリードリヒだった。

彼が狙ったのは、豊かな鉱山と産業で知られるシュレージエン。「ここを取れば、プロイセンは列強になれる」そう確信していた。

シュレージエンへ向かった軍隊

右側の赤色部分がシュレージエン (© Habsburg-Hyakka.com)

フリードリヒはマリア・テレジアに取引を持ちかけた。

「領地の一部を分けてくれたら、あなたの継承を認めよう」

若い女帝はこの要求を拒んだ。その瞬間、フリードリヒは軍を動かす。冬の雪を踏みしめ、プロイセン軍はシュレージエンへ進軍。

第一次シュレージエン戦争が始まる。

プロイセン軍は素早い動きと集中した火力でオーストリア軍を圧倒した。1742年、マリア・テレジアはやむなく領土を譲りわたす。

フリードリヒは一気に“ヨーロッパの注目すべき王”となった。

織物業と鉱山で栄える豊かな地域は、プロイセンにとって垂涎の的であった。


女帝の反撃

だが、マリア・テレジアはあきらめなかった。敗北のあと、彼女は国内の制度を立て直し、軍の訓練、財政の改革をすすめ、国を強くしていく。

そうして起きたのが第二次シュレージエン戦争。さらに続く七年戦争へ――

ふたりの対立は二十年に及び、ヨーロッパ全体を巻き込むほど大きくなった。

七年戦争では、マリア・テレジアは大胆な外交政策をとる。なんと、長年の敵国フランスと同盟を結んだのだ。

さらにロシアも参戦し、プロイセンは包囲網( 3枚のペチコート作戦ともいわれる)の中心に追い込まれた。

3枚のペチコート作戦 図解 (© Habsburg-Hyakka.com)

© Habsburg-Hyakka.com

それでもフリードリヒは戦い続けた。

戦場では冷徹、宮廷では哲学者

フリードリヒは、戦場では容赦がなかった。

「王の第一の務めは、国の利益である」そう言い切り、勝つための判断を迷いなく選んだ。

だが宮廷では別人のようだった。

フルートの音色を好み、哲学者ヴォルテールと手紙を交わし、芸術や思索に身をひたした。

この“二つの顔”が、後の人々を惹きつける。ロシアの女帝エカチェリーナ2世は、彼を「理想の君主」と称え、改革の手本としたという話もある。

敵でありながら憧れを抱く―そんな稀有な王だった。七年戦争では、プロイセンは滅亡寸前まで追い詰められる。

だがロシアの女帝が急死し、新しい皇帝がプロイセン寄りの政策を取ったことで、情勢は逆転。

歴史家が「プロイセンの奇跡」と呼ぶ生き残りを果たした。

裏切りか、現実主義か

フリードリヒを救ったハプスブルク家。

その家に、彼は自らの手で刃を向けた。裏切りだったのか、国家のための選択だったのか――人々の評価はいまも分かれる。

ただひとつ確かなのは、この対立がヨーロッパの勢力図を大きく変えたということだった。

プロイセンは列強へと躍進し、ハプスブルク家は新しい時代の国家へと形を変えていく。

ふたりの戦いは、ただの国境争いではなく、“ヨーロッパの未来を決めた宿怨”だったのである。


まとめ

フリードリヒ2世は、かつて命を救った家に剣を向けた。その決断は裏切りか、それとも国王としての宿命か――。

だが確かなのは、この屈辱がマリア・テレジアを覚醒させたということである。

彼女は涙を拭い、財政を改革し、軍備を整え、外交戦でプロイセンを孤立させるべく動き出す。

次なる舞台は「七年戦争」。ヨーロッパ全土を巻き込む最大の決戦が、いま始まろうとしていた。▶︎ なぜ女帝は敵と手を結んだのか?【七年戦争と外交革命】

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References
  • Blanning, T. C. W. Frederick the Great: King of Prussia. Random House, 2016.
  • Clark, Christopher. Iron Kingdom: The Rise and Downfall of Prussia, 1600–1947. Penguin, 2007.
  • Crankshaw, Edward. Maria Theresa. Longmans, 1969.
  • Ingrao, Charles. The Habsburg Monarchy, 1618–1815. Cambridge University Press, 1994.
  • Primary sources: Pragmatic Sanction of 1713; records of the Hungarian Diet (1741).
  • Österreichische Nationalbibliothek (Austrian National Library, digital archives).
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