「ヨーロッパを制するのは誰か」――17世紀末から18世紀初頭、フランスの“太陽王”ルイ14世とハプスブルク家は、覇権をめぐって幾度も剣を交えた。
(ルイ14世の肖像画)
宗教の時代は過ぎ、舞台は王朝の継承と領土の分配へ。「スペイン継承戦争」を頂点とする百年の抗争は、ヨーロッパの秩序を塗り替え、近代国際関係の原型を生んだ。
この記事のポイント
- 「余は戦争を愛しすぎた」と自称するルイ14世は、ヴェルサイユから欧州征服を狙った
- スペイン継承戦争で孫フィリップがスペイン王として擁立されるもフランス王との兼任は禁止された
- 夢破れるが、新たなブルボン朝スペインが誕生することとなった
ルイ14世の登場、“太陽王”の輝き
1661年、フランス王ルイ14世は宰相マザランの死をきっかけに親政を開始した。
「朕は国家なり」――その言葉に象徴されるように、王権神授説を掲げた絶対君主制を打ち立て、ヴェルサイユ宮殿を権力の舞台とした。
だが、彼の野望は国内の統一にとどまらなかった。
ブルボン家をヨーロッパの覇者に押し上げ、ハプスブルク家の支配を凌駕すること――それがルイ14世の目指した「栄光」だった。
ネーデルラントをめぐる戦い
1667年、ルイ14世はスペイン・ハプスブルク家の領地ネーデルラントに侵攻した(ネーデルラント継承戦争)。
「王妃マリー・テレーズの継承権」を名目としたが、実態はフランスの勢力拡大である。
この時、神聖ローマ皇帝レオポルト1世は「侵略の正体」を見抜き、オランダ・イギリスとともに反フランス同盟を結成。やがてこの動きは「ハプスブルク対ブルボン」という世紀の対立構造を決定づけていく。
スペイン王位継承問題
1700年、スペイン王カルロス2世(生涯独身で子どもなし)が崩御。ここで勃発したのが スペイン継承戦争(1701–1714) である。
カルロス2世は遺言で、フランス王ルイ14世の孫フィリップを後継に指名した。
これに対し、皇帝レオポルト1世は「娘マリア・テレジアの婚姻条項に反する」と猛反発。スペイン領を分割するか、それともブルボン家が一括相続するのか――ヨーロッパの覇権が文字通り“一枚の遺言”をめぐって争われたのである。
戦火に立つ皇帝レオポルト1世
レオポルト1世は、このときすでに高齢だった。彼にとって最後の大勝負が、このスペイン継承戦争であった。
「ヨーロッパの自由を守るのは我らの責務」――彼は書簡でそう記し、イギリス・オランダと大同盟を結成。フランスに対抗する一大戦線を築いた。
戦場では、マールバラ公(イギリス)やプリンツ・オイゲン(オーストリア)の名将たちが活躍し、「ブレンハイムの戦い」でフランス軍を撃破。ルイ14世の“無敵神話”に初めて陰りが差した。
ルイ14世の執念と老境の影
戦局は一進一退を続け、フランス国内は財政破綻と飢餓に苦しんだ。それでもルイ14世は降伏を拒み、「孫フィリップの権利は譲らない」と言い張った。
その執念はやがて報われ、1713年「ユトレヒト条約」でブルボン家のフィリップがスペイン王フェリペ5世として即位することが認められる。ただし、フランスとスペインの王冠を兼ねることは禁じられ、ヨーロッパの均衡は維持された。
一方で、ハプスブルク家もまた大きな領土を獲得した。オーストリアは、イタリアのミラノ公国・ナポリ王国・ネーデルラント(南部)を相続し、地中海と西欧への影響力を強めた。
つまり、この戦争は「ブルボンとハプスブルクが並び立つ」新秩序を生んだのである。
まとめ
ルイ14世の野望とハプスブルク家の抵抗は、単なる王家の争いではなかった。それは、ヨーロッパ全体の秩序を左右する「覇権戦争」であり、後の「勢力均衡外交」の原型となった。
勝者は一人ではなかった。
ブルボン家はスペインを手にし、ハプスブルク家は領土を拡大。ヨーロッパは“分かち合われた覇権”の時代へと進んでいった。
だが、その舞台裏で犠牲になった王妃がひとりいた。スペイン・ハプスブルクの王女にしてルイ14世の妃――マリー・テレーズ。彼女の婚姻は、愛よりも政略の道具として扱われ、国事詔書をめぐる混乱やスペイン継承戦争の遠因ともなった。
王妃の影に刻まれた“犠牲の物語”は、やがてオーストリアのマリア・テレジアへと連なり、ハプスブルク家の運命を大きく変えていくのである。
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📖 カルロス2世- 呪われた王とスペイン・ハプスブルク家の終焉
参考文献
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Heinz Duchhardt, Balance of Power und Pentarchie: Internationale Beziehungen 1700–1785
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ウェストファリア条約一次資料(1648年)
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『ヨーロッパ史における帝国と国家』(山川出版社)
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学習まんが『ハプスブルク家のライバル②ルイ14世』(集英社)
- ルイ14世自身の回想録『王の覚え書き(Mémoires pour l’instruction du Dauphin)』
- 1668年「アーヘン条約」全文(Treaty of Aix-la-Chapelle, 1668)
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