【血まみれの女王と冷たい花婿】フェリペ2世とメアリー1世、政略結婚の果て

燃えるような情熱を抱いた女王と、氷のような微笑を浮かべた王子。二人の結婚は、国を救うはずだった──。

しかし、イングランドの空には血の匂いが立ち込め、女王の腹には子の姿がない。

イングランド女王 メアリー1世 (フェリペ2世の妻となった) (イングランド女王 メアリー1世)

フェリペ2世とメアリー1世。カトリックの理想のもとに結ばれたこの政略結婚は、果たして幸福だったのか、それとも破滅の序章だったのか。

この記事のポイント
  • カトリック再興を夢見たメアリー1世と、冷徹なスペイン王子フェリペ2世の政略結婚
  • その裏にあったのは、想像妊娠・片恋・宗教弾圧という悲劇だった
  • これは無敵艦隊へ続く歴史の幕開けとなる

影をつくったもの──メアリーの出自と孤独

メアリー1世は、ヘンリー8世と最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンの間に生まれた王女である。

カトリックの正統な王位継承者として育てられたが、父が離婚してアン・ブーリンと再婚したことで、メアリーの立場は急転した。「非嫡出子」とされ、王位継承からも一時外された。

メアリー1世とエリザベス1世の相関図 (家系図) (メアリー1世の家系図)

さらに彼女の母キャサリンは、断固として離婚に同意せず、屈辱のうちに没した。この母の運命が、少女メアリーに深い影を落とした。

以後、継母たちのなかで疎外され、冷遇されたメアリーは、若くして胃腸の不調・月経不順などの体調不良に苦しむようになる。生涯独身だったことも相まって、30代にしてすでに老け込んで見られたのは、病と孤独の積み重ねによるものであった。

政略結婚という名の希望と犠牲

1554年、スペイン皇太子フェリペ(後のフェリペ2世)とイングランド女王メアリー1世の政略結婚は、カトリック勢力の再興を目的として計画された。

プロテスタント勢力の拡大を憂慮したカール5世(神聖ローマ皇帝)は、イングランドを“信仰の砦”とするべく、息子フェリペにその使命を託したのである。

当時37歳のメアリーは、政治的孤立を恐れていた。スペイン王子との結婚は、信仰を守るため、そして何より王朝の継続のための「賭け」だった。

一方、当時26歳のフェリペにとっては、イングランドの王冠よりも、戦略的同盟と資金援助が主目的であり、メアリーに対する個人的愛情はほとんど存在しなかった。



妊娠と血の洗礼

フェリペはイングランドに渡り、表面上は礼儀正しく振る舞った。だがその冷淡さは、すぐに宮廷内にも広まった。

メアリーは懐妊を信じ、周囲も国を挙げて歓喜した。

だが、期待された男児は生まれず、数ヶ月後には妊娠が想像であったことが判明する。しかもその腹部の膨張は腫瘍であり、これが彼女の死因ともなる。

その裏で、フェリペは早くも次の一手を打っていた。資金援助を得るための一時帰国を口実に、メアリーのもとを離れ、以後ほとんど戻ることはなかった。

フェリペ2世の肖像画 (フェリペ2世の肖像画)

片恋と冷笑のすれ違い

フェリペ不在の間も、メアリーは手紙を送り続けた。彼女の執着は、もはや愛というより救済への祈りに近い。

しかしフェリペは、病に苦しむ妻に再訪の気配すら見せず、その裏でイングランド王位継承予定者エリザベスと接触を試みていた。結果的に、エリザベスはその誘いを断り、フェリペの策略は失敗に終わる。

やがてメアリーは孤独のうちに病死。フェリペはその葬儀にも参列しなかった。

国民からの愛と幻滅──戴冠式の対照

メアリー1世 (メアリー1世)

忘れてはならないのは、メアリーが即位した当初、イングランド国民から一定の支持を受けていたという事実である。 戴冠式ではロンドンの群衆が彼女の行列に喝采を送り、カトリック回帰への希望が広がった。

だが、フェリペとの結婚が報じられるや否や、風向きが変わる。

スペイン人による支配の懸念から、ワイアットの乱と呼ばれる反乱が発生。 結果的に鎮圧されたものの、反対派の中には、異母妹「エリザベス」も含まれていた。

メアリーはエリザベスをロンドン塔に幽閉したが、決定的な証拠はなく、ついに処刑には踏み切れなかった。 この出来事は、彼女の政権にとって精神的にも政治的にも大きな痛手となる。

メアリーの執念、フェリペの冷徹

この婚姻は、血の上に築かれた絆だった。メアリーはフェリペに愛を求め、フェリペは国家に忠誠を捧げた。

メアリーの政策により、プロテスタント弾圧が苛烈さを増し、死者は300名を超える。「ブラッディ・メアリー」との異名は、この結婚の代償とも言える。

だがその手を血に染めた理由もまた、彼女なりの“献身”であった。愛する男の国の信仰を、この島国に根付かせようとした──その一点において、彼女は誠実であった。



まとめ

政略結婚の果てに待っていたのは、女王の孤独死と王の無関心だった。信仰を守ろうとした女と、権力の均衡を保とうとした男。

そのすれ違いは、カトリックの夢の破綻を象徴していたとも言える。

だが、これは終わりではない。メアリー亡き後、王冠を継いだのは、かつてフェリペが結婚を持ちかけたエリザベス1世──そして彼女こそ、後に「スペイン無敵艦隊」を葬り去る女王となるのである。

さらに詳しく:
📖 【フェリペ2世と無敵艦隊の敗北】アルマダ海戦とスペイン帝国のほころび
📖 イングランド女王とフェリペ2世の対決|宗教戦争とアルマダの敗北
📖 スペイン黄金時代と帝国の陰りを刻んだ王【フェリペ2世とは】

参考文献
  • 『ハプスブルク家の人びと』 菊池良生/講談社現代新書
  • 『王妃メアリ・テューダーの肖像』C.ウィリアムズ/Yale University Press
  • 『美しきもの見し人は』中野京子/集英社文庫
  • Letters and Papers, Foreign and Domestic, of the Reign of Henry VIII (UK National Archives)
  • Tiziano Vecellio, “Portrait of Prince Philip of Spain” (Prado Museum Collection)
  • 画像出典:Wikipedia Commons (パブリックドメイン) File:Maria Tudor1.jpg , File:Emperor charles v.png, File:Mary I. Entry Into London.jpg  (パブリックドメイン)

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