ウィーン体制はなぜ崩れた?『諸国民の春』が告げた新時代

1848年。静寂に見えたヨーロッパが、突如として沸騰した。

きっかけはフランス二月革命。王政を打倒した民衆の叫びは、国境を越えて稲妻のように広がり、ウィーン、ベルリン、ブダペスト、ミラノへと飛び火する。

怒る民衆の画像

それは単なる反乱ではなかった。三十年にわたり抑え込まれてきた「自由」と「民族」の声が、いま一斉に噴き出したのである。後に歴史家が「諸国民の春」と呼ぶこの嵐は、ウィーン体制の基盤そのものを揺さぶった。

この記事のポイント
  • ウィーン体制下で抑圧された自由と民族の声が1848年に爆発
  • ウィーンでは市民蜂起によりメッテルニヒが失脚し体制崩壊
  • ハンガリー・イタリアの民族運動が帝国の多民族支配を揺るがした



ウィーンに迫る嵐

「静けさ」は、実のところ恐怖と沈黙の産物だった。

出版は検閲され、集会は禁止され、民族の誇りは封じられた。しかし、人々の心にはまだ火が残っていた。ナポレオンが撒いた「自由・平等・国民国家」という理念。

それは地下水脈のように流れ続け、ついにフランスからの革命の報せによって火花を散らしたのだ。

メッテルニヒの動揺

1848年3月、宰相メッテルニヒは、王宮の執務室で不穏な報告を次々と受け取っていた。「学生が街頭でデモを……」「市民が武装を始めています」

老宰相は苛立ちを隠さなかった。

愚か者どもが! 静寂こそ帝国の秩序だ。自由など幻想に過ぎぬ!

だが、その怒りの裏には焦りがあった。多民族を抱える帝国にとって、民族自決の思想は毒だったからである。



王宮を揺さぶる声

3月13日、ウィーンの街は黒煙と叫びで揺れていた。

学生たちはバリケードを築き、市民も加わる。パン職人、職人ギルドの仲間たち――声なき人々が、自由と憲法を求めて武器を取った。

「我らに言論を!」「集会の自由を!」

声は王宮に届いた。窓越しにその怒声を聞いた皇帝フェルディナント1世は震えていた。生来病弱で政治の手腕も乏しい彼にとって、民衆の怒りは恐怖以外の何ものでもなかった。

メッテルニヒと、フェルディナントのイメージ画像

「……宰相、どうすればよいのだ」フェルディナントの問いに、もはやメッテルニヒは答える術を失っていた。

老宰相の失脚

その夜、事態は決した。王宮に押し寄せた群衆の圧力に屈し、フェルディナントはメッテルニヒを解任。老宰相は密かに馬車に乗り込み、夜のウィーンを脱出した。

「体制の象徴」が崩れ落ちた瞬間であった。ウィーンの石畳には人々の歌声が響き渡り、自由の幻影が街を包んだ。

民族の爆発 ― ハンガリーとイタリア

だが嵐はウィーンにとどまらない。

ハンガリーではマジャル人が独立政府を樹立し、皇帝の命令を拒んで軍備を整え始めた。詩人ペテーフィ・シャーンドルは「自由と祖国」の歌を掲げ、人々を熱狂させた。

ロンバルディア=ヴェネツィアではイタリア人が蜂起し、ミラノでは一時、オーストリア軍を撤退させるほどの勢いを見せた。

帝国は「多民族の結束」という弱点を突かれ、一気に揺らぎ始めたのである。



まとめ

1848年の「諸国民の春」は、ウィーン体制の仮初めの安定を吹き飛ばす民衆の大爆発だった。自由と民族の声は、帝国を覆う静けさを切り裂き、老宰相を国外へと追い出した。

ハプスブルク帝国はかろうじて体裁を保ったが、深い亀裂は残り、やがて「二重帝国」や1918年の崩壊へとつながっていく。

抑え込まれた声は、もう誰にも封じられなかった。そしてその重荷を背負うのが、若きフランツ・ヨーゼフ1世である――。

さらに詳しく:
📖 フランツ・ヨーゼフ1世|ハプスブルク最後の栄光、その代償は
📖 【ウィーン会議とは?】権力と欲望が踊った“ヨーロッパ再建の舞台裏”

参考文献
  • Jonathan Sperber, “Revolutionary Europe, 1780–1850”, Routledge, 2000
  • Mark Mazower, “The Balkans: A Short History”, Modern Library Chronicles, 2000
  • 成瀬治 他『世界歴史大系 オーストリア・ハンガリー史』山川出版社
  • ジャン・トゥラール他『ナポレオンから第三共和政へ』白水社
  • 酒井健『ナポレオンと近代ヨーロッパ』講談社選書メチエ
・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.

 

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