【図解】トリアノン条約とは?ハンガリーが領土の3分の2を失った“屈辱の日”

(© Habsburg-Hyakka.com / AI generated image) 戦争・外交・条約
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1920年6月4日、フランスのヴェルサイユ宮殿のトリアノン宮で調印された一枚の条約が、ハンガリーという国の運命を大きく変えた。

この「トリアノン条約」によって、ハンガリー王国はかつての領土の3分の2を喪失。

国民の多くが“よその国”に取り残されることになる。だが、この条約は単なる国境線の引き直しではなかった。

それは、第一次世界大戦後に与えられた「敗者の烙印」であり、多民族国家だったハプスブルク帝国の瓦解と、「民族自決」の理想と現実の矛盾が浮き彫りになる瞬間だった。

この記事のポイント
  • トリアノン条約でハンガリーは「領土の3分の2を喪失」した
  • 結果として、国外に350万人のマジャール人が取り残されることとなった
  • 新しい国境線が、民族の絆を容赦なく断ち切った



共和国の誕生

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1918年、ハンガリー王国は「アウスグライヒ(オーストリアとの協調体制)」を解消し、独立を宣言。

共和制への移行とともに、新政府は旧領土の保持を目指すが、民族の離反は止まらなかった。

アウスグライヒ解消後、共和主義的な革命が起き、旧ハンガリー王国の領土を維持しようとする革命政権が独立を宣言。

しかし、国内の非マジャール系民族(ルーマニア人、スロヴァキア人など)は分離・独立を求めた。

政府はその説得に失敗する。

そして混乱

1919年3月、共産主義者のクン・ベラが政権を掌握し、「ハンガリー・ソヴィエト共和国」の誕生を宣言。

だが、隣国ルーマニアやチェコスロヴァキアとの軍事的対立が激化し、ルーマニア軍がブダペストに侵攻。

8月、政権は崩壊した。

その後、パリ講和会議において戦勝国が期待をかけた保守派のホルティ・ミクローシュが摂政に選ばれ、新政権の下でようやく講和交渉が始まることになる。



領土の喪失と“取り残された人々”

トリアノン条約によって、ハンガリーは以下の広大な地域を失った。

  • トランシルヴァニア(ルーマニアへ)
  • スロヴァキア、カルパティア・ルテニア(チェコスロヴァキアへ)
  • クロアチア、スラヴォニア(ユーゴスラヴィアへ)
トリアノン条約後の領地分割

トリアノン条約後の領地分割 (© Habsburg-Hyakka.com )

この結果、「約350万人のマジャール人(ハンガリー系住民)」が国外に取り残された。

これらの人々は、突如として“異国の民”となり、自らの言語や文化を守ることすら困難な状況に置かれた。

民族自決という名の“不平等”

アメリカ大統領ウィルソンの提唱した「民族自決」は、本来すべての民族が自由に進路を選べる理想であった。

だが、トリアノン条約ではチェコスロヴァキアやユーゴスラヴィアなどの新国家に対して自決が認められた一方、マジャール人自身の自決権は考慮されなかった。

ハンガリーではこれに対して、「否、否、絶対に!」というスローガンが流布し、条約は“国家の恥辱”として語り継がれることになる。

領土を大きく削られたハンガリーは、住民の9割以上がマジャール人という「民族国家」に近い形に変貌した。

だがその裏側には、失地回復への執念、そして周辺国への不信がくすぶり続ける。

こうした対立構造は、やがて第二次世界大戦前夜の動乱へとつながっていくのである。



まとめ

トリアノン条約は、単なる敗戦の清算ではなかった。それは、帝国の名を奪われた民が、地図の上で引き裂かれる瞬間だった。

ハンガリーが失ったのは領土の三分の二、だが真に奪われたのは「共に生きる」という信頼だった。

民族自決という理想の名のもとに、他者と共存する余地は狭められ、国境は傷のように人々の心を分断した。

その痛みはやがて、復讐と喪失の記憶として次の世紀へと受け継がれていく。書かれた条文が銃声よりも深く国を変える――

トリアノンの名は、いまなおハンガリーの地で“地図に刻まれた悲しみ”として語り継がれている。

さらに詳しく:
📖 【サンジェルマン条約とは】ペンで帝国を葬った“見えない戦争”
📖 第一次世界大戦とハプスブルク帝国の終焉|民族の叫びと帝国の崩壊

参考文献
  • 馬場優『ハプスブルク帝国—最後の皇帝と民族の解放』東京大学出版会
  • Treaty of Trianon (1920)
  • Hungarian National Archives
  • World War I Document Archive(Brigham Young University 提供)
  • (※)地図中の国境線は戦間期の概略的な区分を示しており、実際の行政境界とは異なる場合があります。



・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.
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