神に選ばれし皇帝。その選出に、人間の手が加わっていたなどと誰が信じよう。
だがそれは、神聖ローマ帝国という“矛盾の帝国”においては当然のことだった。皇帝を戴冠させる影の支配者たちがいたのだ。その名は「選帝侯」。
王でもなければ皇帝でもない。だが彼らこそが、帝国の未来を決する鍵を握っていた。
この記事のポイント
- 1356年、カール4世が金印勅書により選帝侯制度を制定した
- それにより、選帝侯7名が、皇帝選出と帝国内政治に強い影響力を持つ
- 1806年、フランツ2世退位により制度は歴史から姿を消す
“選ばれる皇帝”の矛盾
神聖ローマ帝国は、西ローマ帝国の正統な後継者を自称した。しかしながら、その皇帝は決して自動的に継承されるものではなく、“選ばれる存在”だった。
「皇帝とは、キリスト教世界における唯一の支配者であり、王(キング)とは違い並立が許されない存在である」──この常識があるにもかかわらず、帝国には皇帝を選ぶ仕組みがあった。
まさに、神と人の狭間で成立した政治体制である。
選帝侯制度の誕生と金印勅書
(金印勅書の図解)
1356年、神聖ローマ皇帝カール4世は「金印勅書」を公布し、皇帝を選ぶ者=選帝侯の構成と手続きを法的に固定化した。
これによって、帝国の根幹をなす“皇帝選出”が明文化され、誰が票を持つのかが明確になった。
当初の選帝侯は以下の7人である。
【聖職選帝侯】
- マインツ大司教
- トリーア大司教
- ケルン大司教
【世俗選帝侯】
- プファルツ伯
- ザクセン公
- ブランデンブルク辺境伯
【特別枠】
- ボヘミア王
ボヘミア王を除けば、すべてはドイツ系諸侯である。これらの選帝侯は、皇帝候補者を選出する投票権を持ち、その決定は帝国全体に影響を及ぼした。
ハプスブルク家と選帝侯の攻防
ハプスブルク家は、この選帝侯制度において初めから有利な立場にはなかった。
金印勅書によって選帝侯の地位から外されていたため、彼らが皇帝となるには、7人の選帝侯たちの支持を得なければならなかったのである。
ルドルフ4世は自らの家門の権威を高めようと「大特許状」を偽造するが、これが認められることはなかった。
それでもハプスブルク家は、婚姻政策や領地拡大によって着実に勢力を伸ばし、以後は事実上の“世襲皇帝”としての地位を築いていく。しかし、制度上は常に選帝侯の承認が必要であり、彼らに逆らうことはできなかった。
皇帝選挙の実態と選帝侯の力
皇帝選挙は、神聖な儀式としてローマ帝国の伝統を踏襲していたが、現実は熾烈な政治闘争であった。買収、裏取引、脅迫──あらゆる手段で票が動いた。
選帝侯たちは、単なる儀礼的な存在ではなく、各地に強い実権を持ち、軍事・外交・宗教政策にも関与する“帝国の柱石”であった。特にマインツ大司教は選挙召集権を持ち、事実上の“帝国の門番”であった。
選帝侯の票をめぐる争いは、帝国の内外で激化し、フランス、スペイン、バイエルンなどが介入することも珍しくなかった。
帝国の終焉と選帝侯の消滅
1806年、ナポレオンの圧力のもと、神聖ローマ皇帝フランツ2世は皇帝位を放棄し、帝国は事実上消滅した。
それとともに選帝侯制度も姿を消した。
以後のドイツには「皇帝を選ぶ者たち」は存在しない。選帝侯は、神聖ローマ帝国という“選ばれる帝国”を支えた独自の制度であり、帝国の栄光と終焉を共にしたのである。
まとめ
選帝侯とは、帝国における見えざる主役であった。皇帝を決定するその力は、神の名の下に行使されつつも、現実には人間の欲と計算が渦巻いていた。
ハプスブルク家がいかに権威を誇っても、選帝侯の支持なくしては“神の代理人”にはなれなかった。彼らの存在は、神聖ローマ帝国という未完成の帝国が持つ、永遠の矛盾を象徴している。
さらに詳しく:
📖 金印勅書とは?選挙王制を定めた帝国の憲法
📖 ルドルフ4世 vs カール4世 | 大特許状を巡る帝国最大の駆け引き
参考文献
- Friedrich Heer, The Holy Roman Empire, 1967
- Peter H. Wilson, Heart of Europe: A History of the Holy Roman Empire, 2016
- Thomas Brady Jr., German Histories in the Age of Reformations, 2009
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