カルロス2世の死は偶然か必然か?スペインハプスブルク家の断絶の理由

carlos ii 皇帝の物語
カルロス2世の肖像画 (出典:Wikimedia Commons Public Domain)

1661年、マドリードの王宮に産声が上がった。だが、その小さな命に寄せられたのは歓喜ではなく、深い憂慮だった。

カルロス2世――生まれながらに「死に瀕していた」と形容される王。ハプスブルク家の「純血主義」によって作られた、奇跡ではなく呪いの結晶だった。

歪んだ顎、閉じきったまぶた、よだれを垂らす口元。王族の威厳とは程遠く、まるで「宮廷の慰み者」とさえ見なされる姿。

それでも彼は王子であり、やがて王冠を戴く運命にあった。

この記事のポイント
  • 1661年、カルロス2世が誕生、深刻な身体的・精神的障害を抱えて即位する
  • 統治能力を持たぬまま王位にあり続け、宮廷では陰謀と迷信が支配する混乱の政治が続く
  • 1700年の死去でスペイン・ハプスブルク家が断絶し、継承問題がスペイン継承戦争を引き起こす
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スペインハプスブルク家、最後の王

カルロス2世は、神聖ローマ皇帝カール5世の直系、スペイン・ハプスブルク家の最後の王である。

1556年、カール5世の退位とともに、ハプスブルク家はオーストリア系とスペイン系に分裂した。

スペインは中南米から莫大な富を吸い上げ、海洋帝国として栄華を極めたが、その栄光は「血の純潔」を守ろうとする異常なまでの近親婚によって、内側から崩れていった。

Family tree of the House of Habsburg (blood of the family)

スペインハプスブルク家系図 出典:Wikimedia Commons(Public Domain)を基に編集作成:©︎Habsburg Hyakka.com

ウィーンとマドリードを結ぶ婚姻線は、やがて「祖母が叔母であるような奇怪な家系図」を生み、遺伝的退行は不可避となった。


幼少期と「病む王」

カルロスの生誕は、すでに医療記録に「異常」と記された。

骨はもろく、乳歯も生えず、歩行すらままならぬまま4歳を迎えた。知能の発達も著しく遅れ、精神年齢は終生幼児の域を出なかった。

結婚は2度行われた。

フランスから迎えたマリー・ルイーズは華やかな宮廷から陰鬱なマドリードに衝撃を受け、心を病み若くして没した。2人目の王妃マリア・アンナも同じく、夫との生活に絶望した末に病に倒れた。

何より決定的だったのは、カルロスに子をなす力がなかったことである。それは、「王朝の終焉」を意味していた。

「死の匂い」が漂う宮廷と、沈みゆく大国

carlos ii episode

カルロス2世の肖像画 (出典:Wikimedia Commons Public Domain) 

カルロスの治世は、スペインの黄昏だった。中南米から運ばれていた金銀はすでに底をつき、続く戦争で国の財政は破綻寸前。

借金はふくらみ、国王の信用も失われた。農業は衰え、町もにぎわいを失っていった。

さらに異教徒や移民を追い出したことで、働き手までもがいなくなった。海の向こうでは、イギリスやフランスが勢いを増し、かつての支配地だったネーデルラントは独立。

ついにはポルトガルまでが離反し、スペインは大国の座から滑り落ちてゆく。

その中心にあるマドリードの宮廷では、陰謀と足の引っ張り合いが日常茶飯事。実権を握ったのは、神ではなく、祈祷師や占星術師。

国王は寝室に閉じこもり、国の舵取りは“魔術と迷信”に任されていた。

王位継承と、迫りくるヨーロッパ戦争

跡継ぎのいない王の死は、王朝の終わりではなく、大陸全体の新たな火種であった。

カルロスは遺言で、フランス王ルイ14世の孫フィリップを後継に指名した。だがこれに異を唱えたのがオーストリア・ハプスブルク家である。

1700年、カルロスの死を合図に、「スペイン継承戦争が勃発。ヨーロッパを二分するこの大戦で、フランス・ブルボン家とオーストリア・ハプスブルク家は激突し、イギリスとオランダも参戦。

13年の激戦の末、1713年のユトレヒト条約によって、フィリップはスペイン王として認められるも、「フランスとの王位併合は禁ず」という条件が課せられた。

スペインはブルボン朝となり、ハプスブルク家はイベリアから姿を消した。

 (スペイン継承戦争後の地図 緑はスペイン領) ©️ハプスブルク百科

(1713年 スペイン継承戦争後の地図 オレンジ色部分がハプスブルク家領 ©️Hapsburg Hyakka.com 一次資料を元に編集・作成



まとめ

カルロス2世の生涯は、衰退する王国の象徴として語り継がれる。だが、その裏には「血の純潔」に固執しすぎた王家の宿命があった。

カルロスの顔に刻まれた「ハプスブルク顎」は、一族の宿命を物語っている。

職務中のカルロス2世の肖像画

職務中のカルロス2世の肖像画 (出典:Wikimedia Commons Public Domain)

王とは時代を背負う存在である。しかしこの王は、呪いのような血を受け継ぎ、生まれながらにして終焉を運命づけられていた。

しかし、ハプスブルク家そのものは滅びなかった。帝冠はオーストリアに引き継がれ、近代国家の中で姿を変えながら、今日までその血脈を保ち続けている。王冠は消えても、名は残る──。

それがハプスブルク家のもう一つの物語である。▶︎ 【ハプスブルク家のその後】一族の行方、巨大帝国の末裔たちは今

関連する物語:
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参考文献
  • Bartolomé Bennassar, Carlos II: el Rey Anhelado, Editorial Crítica
  • John Lynch, The Hispanic World in Crisis and Change 1598–1700, Blackwell Publishing
  • José Luis Comellas, Historia de España Moderna y Contemporánea, Ediciones Rialp
  • 菊池良生『神聖ローマ帝国』講談社学術文庫
  • 高橋哲雄『スペイン史』山川出版社
  • 名画で読み解くハプスブルク家 12の物語 中野京子

English version available here : Charles II of Spain: How Did One King End a Dynasty?

・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.
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