【芸術の影で帝国は傾く】フェリペ4世と スペインハプスブルク最後の栄光

絵の中の王は、完璧である。背筋は伸び、威厳に満ち、国を統べる者として一点の曇りもない。

──しかし、それはベラスケスの筆が描き出した理想にすぎない。現実のフェリペ4世は、敗戦と喪失に苛まれ、帝国の傾きをひとり背負う、孤独な君主だった。

フェリペ4世 (ベラスケスによるフェリペ4世の肖像画)

この王こそ、スペイン・ハプスブルク家の最後の輝きである。芸術という鏡に映された“栄光”の影で、国家は音もなく崩れていった。

📖 フェリペ4世の基本情報はこちら ▶

この記事のポイント
  • 1605年、フェリペ3世の子として生まれ、17歳でスペイン王に即位する
  • オリバーレス伯に国政を委ね、芸術を庇護し宮廷文化を栄華させる
  • 度重なる戦争と財政難の末、息子カルロス2世へ帝位を継承する

若き王、重すぎる帝国を継ぐ

1605年、スペイン王フェリペ3世の息子として生まれたフェリペ4世は、わずか16歳で王位を継いだ。

父王の代から膨張した帝国は、イベリア半島のみならずネーデルラント、イタリア、アメリカ大陸、フィリピンにまで及んでいた。いわば「日の沈まぬ帝国」の象徴である。

若き王には才覚があったとされるが、あまりにも広大な領土、あまりにも多すぎる敵、そしてあまりにも強大な神聖ローマ皇帝フェルディナント2世という「ハプスブルク家の同族」が隣にいた。

フェリペ4世は早くも、選択を間違えた。

宰相オリバレスと「改革という名の混乱」

フェリペ4世の治世前半を支えたのが、宰相ガスパール・デ・グスマン、通称オリバレス伯である。彼は情熱的で野心家、王に代わって国政を引き受け、改革を推し進めた。

税制の是正、軍備の増強、そして中央集権化。だが、改革はつねに反発を招く。地方貴族、カタルーニャ、ポルトガルなど、諸勢力が次々に離反した。

1640年にはポルトガルが独立を宣言、ハプスブルク支配下から完全に離脱した。それは帝国にとって致命的な損失であり、王の心に大きな傷を残した。

同時期、三十年戦争の戦費もスペインを圧迫していた。かつての軍事的覇権国家は、もはや戦うたびに“痛み”だけが残る存在になりつつあった。

芸術に託した“もう一つの現実”

現実の王国が崩れ始めるなか、フェリペ4世はひとつの“幻想”を手に入れる──宮廷画家ディエゴ・ベラスケスである。

ベラスケスは、他のどの画家よりも正確に、王の理想像を描き出した。だがその“正確さ”とは、現実をそのまま写すのではなく、「王にあるべき威厳」を絵のなかに宿らせるという意味での忠実さだった。

王はベラスケスに特権を与え、国外への旅を許し、制作を最優先させた。国家が傾くその時でさえ、絵を描くことが王の慰めであり、誇りでもあった。

ラス・メニーナス (参考:ラス・メニーナス 王夫妻は中央にある鏡の中に描かれている)

『ラス・メニーナス』、王の娘マルガリータを中心に据えたこの名作は、遠く鏡のなかにフェリペ4世と王妃の姿を映している。画面の主役ではない──だが、あくまで中心にある。それが彼の願った「理想の存在」であった。

家族と血統、政治の道具としての婚姻

王としてのフェリペ4世は、20人以上の庶子を持ったことで知られる。

だが正妃イサベル・デ・ボルボーンとの間に生まれた王女「マリー・テレーズ」は、政治の道具として運命を背負わされた。

三十年戦争後、スペインとフランスは熾烈な敵同士であったが、1660年、バスク地方のサン=ジャン=ド=リュズで両国の和解の象徴としてマリー・テレーズはルイ14世へ嫁いだ。

これが後にフランス・ブルボン家のスペイン継承権主張を生む。さらに、フェリペ4世は再婚相手マリアナ・デ・アウストリアとの間に一人息子──カルロス2世をもうける。

carlos ii child (幼きカルロス2世の肖像画)

だが、近親婚を繰り返してきたハプスブルク家の“遺伝的限界”が、ついに露呈した。

カルロスは知的・身体的障害を抱え、後継ぎをもうけることなく、在位中も国政は混迷を極めた。父王が苦労して繋ぎ止めた帝国は、わずか一代で崩壊寸前となる。

最後の栄光と、その果て

フェリペ4世は1665年、静かに息を引き取る。享年60。

彼の葬儀は壮麗を極めたが、王が守り抜こうとした帝国は、すでに内側から崩れ始めていた。葬儀のあと、ベラスケスの描いた王の肖像は、宮廷の壁に飾られた。

絵の中の彼は、威厳と静謐に満ちている。敗戦の苦悩も、家族の悲劇も、絵のなかではまるでなかったかのように。だが、現実は冷酷である。

息子カルロス2世の死によって、スペイン・ハプスブルク家は断絶。マリー・テレーズの息子であるルイ14世の孫フェリペが「フェリペ5世」としてスペイン王に即位し、ブルボン家が新たな王朝となった。

皮肉なことに、フェリペ4世の“最後の栄光”──それは芸術でもなく、改革でもなく、「フランス王家にスペインを譲ったこと」だったのである。



まとめ

フェリペ4世 (フェリペ4世の肖像画)

歴史が彼を敗者として記すとしても、絵の中のフェリペ4世は、いまだにこちらを見つめている──威厳を宿したまま、決して崩れぬ姿で。

だがその絵の裏で、帝国の骨組みは静かに崩れ落ちていた。次に王座を継ぐのは、病に苦しむ幼い息子カルロス──血の宿命を背負わされた“最後の王”。

帝国の終わりは、すでに始まっていたのである。

さらに詳しく:
📖 『ラス・メニーナス』の王女|ハプスブルクの血に縛られた少女の肖像
📖 カルロス2世|呪われた王とスペイン・ハプスブルク家の終焉
📖 ブルボン家とハプスブルク家の対立とは?

参考文献
  • 画像出典:Wikipedia Commons (Public Domain (パブリックドメイン)
  • Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
  • Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
  • Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
  • Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
  • Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.
・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.

コメント

タイトルとURLをコピーしました