なぜブルボン家とハプスブルク家は争った?地図を塗り替えた二大王朝の宿命

confronting one another—the decisive clash between the Bourbon and Habsburg dynasties スペイン王位をめぐり向き合う──ブルボン家とハプスブルク家の宿命的対立 出来事で読む帝国の運命
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太陽と鷲が同じ空に昇ったとき、ヨーロッパは静かに軋み始めた。

“朽ちゆく帝国”ハプスブルク家。
“昇りゆく王朝”ブルボン家。

これは、ただの王位争いじゃない。結婚が国を動かし、遺言ひとつが戦争を生み、ひとつの王冠が大陸のかたちを変えていく──

ヨーロッパを揺るがした宿命の物語である。

この記事のポイント
  • スペイン王カルロス2世の死が、大きな争いの始まりだった

  • ブルボン家とハプスブルク家の思惑がぶつかり、ヨーロッパ全体を巻き込む戦争に発展した

  • その対立は、地図と勢力バランスを大きく書きかえる結果を生んだ



王冠ひとつで世界が揺れた

1700年、スペイン王カルロス2世が子を残さずに崩御した。その遺言は、まるで大陸に火を投げ込むかのような一文だった。

「フランス王ルイ14世の孫フェリペを、スペイン王に指名する」

これに対し、神聖ローマ皇帝レオポルト1世は声を上げる。「スペイン・ハプスブルクの血を継ぐのは、我が家門だ」

Genealogical chart linking Felipe V and Leopold I in the context of the Spanish Succession. スペイン継承戦争におけるフェリペ5世とレオポルト1世の血統関係を示す系図

English version here © Habsburg-Hyakka.com 

こうしてフェリペ (ブルボン) と カールと (ハプスブルク)が一つの王冠をめぐって対峙することとなる。争いはすぐに大陸へ広がった。イギリス、オランダ、プロイセン――各国の思惑が重なり、ヨーロッパは再び戦火の中へ沈んでいく。

ウトレヒト条約と地図の書き換え

十年以上続いた戦争の果てに、1713年、和平が結ばれる。「ウトレヒト条約」である。その内容は、誰にとっても“完全な勝利”ではなかった。

  • フェリペ5世(ブルボン) はスペイン王に
  • しかしフランス王位との兼任は禁止
  • ハプスブルク家は南ネーデルラントとイタリアの広大な領土を獲得

王座はブルボンへ、領地はハプスブルクへ。条約の紙片が乾くと同時に、ヨーロッパの地図は静かに、しかし決定的に姿を変えた。

スペイン継承戦争後の地図 (オーストリアハプスブルク家領)

スペイン継承戦争後の地図 (オーストリアハプスブルク家領)



女帝の登場と再燃

だが、二大王家の対立はここでは終わらない。

1740年、神聖ローマ皇帝カール6世が亡くなり、後継者として娘 マリア・テレジア を指名すると、ブルボン家はこれを認めず、再び大陸がざわめいた。

「女帝を認めるつもりはない。」

こうして始まるのが オーストリア継承戦争。フランスとスペインはブルボン側に立ち、
若き女帝を排するために動き出す。

対するマリア・テレジアは、出産と国家の危機のあいだを行き来しながら、帝国の瓦解を必死で食い止めた。ハプスブルク家の威信を、ただひとりで背負って。

王朝の終焉と、新しいヨーロッパ

ブルボン家とハプスブルク家の争いは、ナポレオンの時代によって静かに幕を閉じる。

革命の炎が王家の世界を揺るがし、ナポレオン戦争が大陸の秩序を焼き直したのだ。「ウィーン会議」で再構築された“新しいヨーロッパ”では、両家はもはや直接争う存在ではなくなる。

王朝の時代は終わりを迎え、国民国家の時代が始まろうとしていた。



まとめ

スペイン継承戦争の象徴として対峙するフェリペ5世(ブルボン家)とレオポルト1世(ハプスブルク家) Philip V of Spain and Leopold I facing each other, symbolizing the Bourbon–Habsburg rivalry in the War of the Spanish Succession

レオポルト1世とフェリペ5世 出典:Wikimedia Commons

ブルボン家とハプスブルク家の対立は、単なる家同士の争いではない。

王冠が地図を動かし、婚姻が国境を変え、ひとりの王の遺言が大陸の運命を揺るがした物語である。そして、この長い対立の根には、ひとつの“静かな終わり”がある。

それは、スペイン・ハプスブルク家を終わらせた王──カルロス2世の物語 である。

次の記事では、「呪われた王」と呼ばれた彼の生涯と、王家を終わらせた“血の宿命”へと踏み込んでいく。▶︎ スペイン・ハプスブルク家断絶の理由|カルロス2世の死がもたらした崩壊

関連する物語:フェリペ5世とは? “断絶後”のスペインを託された最初のブルボン王
📖 【スペイン継承戦争の真相】なぜ一人の死が世界を燃やしたのか?

参考文献
  • 『図説 ハプスブルク家』河出書房新社
  • 高橋弘道『カール五世――ハプスブルク帝国の栄光』講談社現代新書
  • Thomas A. Brady Jr., German Histories in the Age of Reformations, Cambridge University Press, 2009
  • Primary source materials from the Peace of Utrecht (1713), Österreichisches Staatsarchiv
・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.

 

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