【スペインハプスブルク家とは?】オーストリア家との分岐で生まれた“二つの帝国”

カール5世とフェルディナンド1世 (スペインハプスブルク家との分岐) 出来事で読む帝国の運命
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一つの王家から、二つの帝国が生まれた。「スペイン・ハプスブルク家」と「オーストリア・ハプスブルク家」──。

その分かれ道に立っていたのは、皇帝カール5世と弟フェルディナンド1世だった。神聖ローマ帝国を統べたハプスブルク家。

だが、彼らが抱えた領土はあまりにも広大で、一つの王家の力では到底支えきれなかった。この記事では、兄弟が分け合った“帝国の地図”と、そこから生まれた二つのハプスブルク家の運命をたどる。




スペイン・ハプスブルク家とは?

16世紀初頭、ハプスブルク家はヨーロッパの覇権を握っていた。

祖父マクシミリアン1世の婚姻政策によって、オーストリアからブルゴーニュ、スペイン、ネーデルラント、さらには新大陸までが“結婚によって結ばれた帝国”の一部となっていた。

そして1500年、フランドルの都市ガンで生まれたのがカール(のちのカール5世)である。

(English Edition :

(マクシミリアン1世からカール5世までの家系図(クリックで拡大/詳細表示)English Edition: Family tree from Maximilian I to Charles V)

彼は母フアナからスペイン王位を、父フィリップからブルゴーニュ公国を、祖父から神聖ローマ帝国の継承権を受け継ぎ、まさに「世界を継いだ皇帝」となった。

その3年後、スペインのアルカラ・デ・エナーレスで生まれた弟フェルディナンドもまた、王家の血を引く俊才だった。兄弟は共に帝国の理想を背負いながらも、やがて“異なる道”を歩むことになる。

カール5世が築いた「太陽の沈まぬ帝国」

Map of Charles V's power in the 16th century

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カール5世の治世下で、ハプスブルク家の勢力は頂点を迎える。

スペイン、ネーデルラント、イタリア、オーストリア、ハンガリー、さらにはアメリカ大陸の植民地──。地球上のどこかで必ず太陽が昇ることから、「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれた。

だがその理想は、同時に帝国の矛盾を抱え込むことになる。

宗教改革が勃発し、フランスのフランソワ1世、オスマン帝国のスレイマン1世が外から圧迫。“神の下の普遍的秩序”という理念は、現実の政治と戦争の中で崩れていった。

彼は晩年、帝国の統治に疲れ果て、スペインの修道院で静かに隠棲 (いんせい) する。そのとき彼が下した決断が、ヨーロッパ史を変えることになる。



弟フェルディナンド1世──オーストリア帝国の始祖

スペインハプスブルク家、オーストリアハプスブルク家の家系図

家系図:©︎Habsburg Hyakka.com

カール5世は、自らの帝国を二つに分ける決断を下した。

西方のスペイン・ネーデルラント・新大陸は息子フェリペ2世に、東方のオーストリア・ボヘミア・ハンガリーは弟フェルディナンドに継がせた。

この“帝国の分割”こそが、ハプスブルク家を二系統に分けた瞬間である。

フェルディナンドは現地の貴族と対話し、行政改革と法整備を進め、多民族国家としての安定を築いた。

オスマン帝国の侵攻にも冷静に対処し、第一次ウィーン包囲では見事に防衛を果たす。彼の治世は、後の「オーストリア・ハプスブルク家

──のちのオーストリア帝国・オーストリア=ハンガリー帝国の礎となった。

二つのハプスブルク家の違い

兄弟の分岐以降、両ハプスブルク家は異なる道を歩む。

  • スペイン・ハプスブルク家
     カトリックの守護者を自任し、宗教弾圧と征服戦争に力を注いだ。フェリペ2世の時代、スペインは黄金期を迎えるが、次第に閉鎖的で保守的な国家へと傾く。

  • オーストリア・ハプスブルク家
     多民族・多宗教の現実を受け入れ、妥協と調停を重んじた。この柔軟な統治姿勢が、のちの「帝国の延命」を可能にする。

同じ“ハプスブルク”の名を冠しながら、両者の政治文化は対照的であった。前者は「信仰の帝国」、後者は「統治の帝国」とも呼ばれる。

血のゆがみと断絶への道(スペイン・ハプスブルク家の終焉)

カルロス2世の死

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華麗な婚姻政策はやがて、悲劇の種を育てていった。近親婚を繰り返した結果、スペイン・ハプスブルク家の血統は次第に濃く、脆くなっていく。

17世紀、フェリペ4世と姪マリアナの間に生まれたカルロス2世は、重い障害と病に苦しみながら成長した。彼の死(1700年)によって、スペイン・ハプスブルク家は断絶。

これがヨーロッパ全土を巻き込むスペイン継承戦争の火種となった。



まとめ

カール5世の夢は「神の下に一つの帝国」だった。しかしその理想は、弟フェルディナンドによる分割という現実の判断によって、二つの帝国に姿を変える。

一方は“血と信仰の帝国”として断絶し、もう一方は“調停と統治の帝国”として近代へ生き延びた。兄弟が分けたのは領土ではなく、ヨーロッパの運命そのものだった。

その分岐点にこそ、「スペイン・ハプスブルク家」という言葉の真の意味がある。▶︎ 【図解】スペイン・ハプスブルク家の家系図|断絶までの全系譜

▶ 関連記事:【芸術の影で帝国は蝕まれた】フェリペ4世とスペイン・ハプスブルク家最後の栄光

参考文献
  • Carlos V: una biografía (Manuel Fernández Álvarez)

  • Karl V.: Der Kaiser und die Reformation (Heinz Schilling)

  • 『世界の歴史10 スペイン・ハプスブルク』(講談社)

  • 村上陽一郎訳『カール五世の手紙』(岩波書店)

  • Harold B. Johnson, “Charles V: The World Emperor”

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Family tree from Maximilian I to Charles V|マクシミリアン1世からカール5世までの家系図

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・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.



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