“青い血”は、貴族や王家の血統を象徴する言葉である。
しかし、その血の純潔さを保とうとすることが、かえって王朝の未来を危うくすることがあった。血友病はその象徴的な病であり、ハプスブルク家もこの病を決して他人事とは思わなかった。
この記事のポイント
-
ハプスブルク家では血友病の発症例はないが、婚姻政策で常に警戒されていた
-
「王家の病」はヴィクトリア家から広がり、スペイン・ブルボン家やロシア皇帝家を悩ませた
-
近親婚は血友病こそ避けたものの、別の遺伝的問題(ハプスブルク顎、男子の早世)を引き起こした
ハプスブルク家と血統へのこだわり
中世以来、ハプスブルク家は婚姻政策によって広大な領土を拡大し、同時に血統の純潔を守ろうとしてきた。
16〜17世紀のスペイン・ハプスブルク家では、「いとこ婚」や「おじ姪婚」が繰り返され、最終的にカルロス2世の代で深刻な近親婚の影響が表面化した。
彼の不妊や病弱さは王朝断絶を引き起こし、ヨーロッパ中に“ハプスブルク家は血の代償を払った”という印象を残した。この苦い経験から、18〜19世紀のウィーン宮廷では婚姻相手の選定にいっそう慎重さが求められた。
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と皇后エリザベートは「いとこ婚」ではあったが、血縁度の計算や健康面への配慮は常に意識され、近親度が過度に高まらないよう調整されていた。
その結果、記録上、ハプスブルク家で血友病の症例は報告されていない。
「王家の病」との遭遇:ヴィクトリア家とブルボン家

英国王室とロマノフ王朝の繋がり 家系図:Wikimedia Commons(Public Domain)の画像を基に編集作成:©︎Habsburg Hyakka.com
19世紀、イギリスの女王ヴィクトリアの家系から始まったとされる「血友病」は、ヨーロッパ王室を震撼させた。ヴィクトリアの娘アリスとベアトリスは保因者で、その子孫がドイツ、ロシア、スペインに嫁ぐことで病は広がった。
男子が成人する前に亡くなれば、継承順位は乱れ、王朝は不安定化する。
実際に、ロシア皇帝ニコライ2世の皇太子アレクセイは重症の血友病に苦しみ、母アレクサンドラは祈祷師ラスプーチンに救いを求めた。この出来事が宮廷政治に影響を与え、帝政末期の混乱の一因ともなった。
血友病がもたらした恐れ
また、象徴的なのはスペイン王室への波及である。アルフォンソ13世の妃ヴィクトリア・ユヘニー(ヴィクトリア女王の孫娘)は保因者で、息子のうち数人が発症した。
三男ゴンサロ王子は1934年、自動車事故で負った怪我の出血が止まらず、わずか19歳で亡くなった。かつてハプスブルク家が治めたスペインが、別の王家の血を通して“王家の病”に苦しんだのは、歴史の皮肉にも思える。
婚姻政策への影響
病はしばしば国家機密として扱われた。
だが噂が外に漏れれば、「王家は呪われている」と囁かれ、王権への信頼が揺らぐ。第一次世界大戦後の激動期には、その情報が政敵の攻撃材料ともなった。
19世紀末以降、王室どうしの婚姻交渉では、血友病家系かどうかが真剣に検討されるようになった。とくにヴィクトリア系との結婚は、後継者の健康を左右する重大な問題とされた。
19世紀末の王室と医学の変化

© Habsburg-Hyakka.com / AI generated image)
この時代、ヨーロッパ王室はかつての「政略結婚」から次第に「愛と血統のバランス」を求める方向へ変化していた。しかし血友病の恐怖は、再び政治的計算を前面に押し出させた。
娘や孫の婚姻に際しては、家系に血友病の履歴がないかを徹底的に調べる。婚約が破談になることも珍しくなく、王室の花嫁たちは「愛か義務か」という選択を迫られた。
同時に、医学も前進していた。19世紀末には輸血が徐々に臨床で試みられ、20世紀初頭には血液型の発見によって安全性が向上する。
それでも血友病に対する根本治療は存在せず、発症した王子の命は「小さな傷一つ」に左右された。宮廷は常に緊張に包まれ、医師たちは最新の知識と祈りの両方にすがるしかなかった。
ハプスブルク家の選択と「血の代償」
血友病を免れたことは、ハプスブルク家にとって大きな幸運だった。
しかし、近親婚がもたらした遺伝的問題は依然として重く、スペイン系の家系では男子の早世と王朝断絶を招いた。つまりハプスブルク家は「青い血」を守ろうとした結果、別のかたちで血の代償を払ったと言える。
遺伝学の進歩と現代の視点
20世紀後半になると、血友病の原因は遺伝子レベルで解明された。
2009年にはロマノフ家の遺骨解析によって、アレクセイ皇太子が「血友病B(第IX因子欠乏症)」であったことが判明。いまや保因者診断も可能となり、王室の婚姻もかつてほど「血の宿命」に左右されなくなっている。
まとめ
「青い血」は、誇りとともに重い代償を背負ってきた。
血友病は、王家の血統を守ろうとした結果として生じた、避けられない現実だったとも言える。次の記事では、この「血の重荷」がもっとも色濃く現れた例として、スペイン・ハプスブルク家の近親婚とその帰結――
「ハプスブルク顎」と呼ばれる顎の突出や身体的異形、そして王朝断絶の歴史を取り上げる。▶︎ 【なぜハプスブルク顎は生まれたのか?】近親婚がもたらした遺伝的異常と代償
関連する物語:
📖 帝国を蝕んだ“想像妊娠”【女性たちの心と身体の医療史】
📖 【産むたびに命を削った女たち】王家に生きた“母”の宿命
参考文献
-
Heinz Duchhardt, The House of Habsburg: A European Dynasty (2018)
-
Richard Aspin, “Haemophilia in European Royalty,” Journal of Medical Biography 21(4), 2013
-
Wikipedia(英語版): Haemophilia in European royalty
-
DNA解析報告: Rogaev et al., “Genotype analysis identifies the cause of the ‘royal disease’,” Science, 2009

