1500年、ガン。
カルロス1世は、スペイン王家とハプスブルク家の血を受け継ぎ、その誕生からすでに大陸の行方を左右する存在だった。
叔母キャサリン・オブ・アラゴンをめぐるイングランド王ヘンリー8世の離婚問題は、やがて彼の治世にも重くのしかかる。
だが、彼の物語の核心は別にある。母の狂気、家族の喪失、果てしない戦い――“太陽の沈まぬ帝国”の頂点で、彼はどれほど深い孤独と向き合ったのか。
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この記事のポイント
- マクシミリアン1世の孫として誕生し帝国の遺産を継承する
- 1519年、神聖ローマ皇帝カール5世として即位と統治を開始、その後スペイン王も継承
- 1556年、帝位を弟へ譲り修道院で静かな晩年を過ごす
太陽の遺産を受け継いだ子
カルロスは、父フェリペ大公と母フアナ王女のあいだに生まれた。父は神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の息子、母はスペインの「カトリック両王」イサベル1世とフェルナンド2世の娘。

前列の中央に描かれた若き日のカルロス 出典:Wikimedia Commons
生まれながらにして、ブルゴーニュ、神聖ローマ帝国、スペイン、そして新大陸──広大な領土を継ぐことが約束された少年だった。
しかし、このまぶしい遺産は喜びだけを運んできたわけではない。
叔父フアンは結婚式の最中に急死し、姉イザベルも出産をきっかけに命を落とした。母フアナは父フェリペの突然死を境に心を病み、深い闇のなかへ沈んでいく。
カルロスが王へ至る道は、祝福よりも、喪失がそっと積み重なる道だった。
幽閉された母と、幼い妹
1517年、17歳のカルロスは姉エレオノーレとともにスペインへ向かった。
スペイン王として歩み始めるための最初の仕事は──長く幽閉されていた母、フアナ女王との再会だった。トルデシーリャス城に閉じこめられた母。
かつては王家の誇りを背負っていたはずの人が、今は光の届かない部屋で静かに日々を過ごしている。

© Habsburg-Hyakka.com
そばにいたのは、当時わずか10歳の妹カタリーナだけ。幼い手で母を支え続けていた。カルロスは妹を連れ出そうとするが、母は激しく取り乱し、城は騒然となった。
“王とは、孤独に耐える者なのだろうか?”その問いは、この少年の胸に深く刻まれた。
フランドルとスペインのあいだで揺れる王
スペイン王として即位したカルロスを迎えたのは、温かな祝福ではなく“警戒”だった。
スペインの人々にとって彼は、フランドル生まれの“外国の王子”だったからだ。反発は高まり、ついには1519年、都市同盟コムネロスによる反乱へと発展する。
同じ年、祖父マクシミリアン1世が死去し、カルロスは神聖ローマ皇帝選挙へ名乗りを上げた。莫大な資金と巧みな外交で皇位を手に入れたとき、彼はまだ19歳だった。
だがその肩に乗ったのは、ヨーロッパ半分と大西洋の向こうの新大陸。若い皇帝が支えるには、あまりに大きすぎる重さだった。
弟フェルディナンド─
カルロスには、もうひとりの自身の影のような存在がいた。弟フェルディナントである。
幼いころ、母の状態が悪化したため、兄弟は離ればなれに育てられた。それでも大人になった二人はすぐに心を通わせ、強い絆で結ばれるようになる。
帝国の東側──ドイツ、ボヘミア、ハンガリーはフェルディナンドへ。カルロスは西側と新大陸を担う。

© Habsburg-Hyakka.com
フェルディナンドは忠実で、冷静で、頼れる副官だった。もしかするとカルロスにとって彼は、“自分がなりたかったもう一人の自分”だったのかもしれない。
のちに兄弟の系統は二つに分かれ、スペイン・ハプスブルク家とオーストリア・ハプスブルク家としてそれぞれ独自の歴史を歩んでいく。
広がり続ける戦い
カルロスが抱いていた夢は大きかった。カトリックの信仰のもとにヨーロッパをひとつの共同体として守りたい──いわば“普遍帝国”の再建である。
しかし、その夢は何度も壊れそうになった。
ルターによる宗教改革で帝国は真っ二つに割れ、信仰をめぐる争いは長く続いた。異端との戦いは財政を疲弊させ、民衆の心にも深い溝を生んだ。
さらに、フランス王フランソワ1世、オスマン帝国のスレイマン1世という二人の巨大な敵と対峙し続けた。皇帝の玉座は豪華に見えて、実際には休むことのない戦場だった。
隠棲と祈り──

晩年のカール5世と若きフェリペ2世 出典:Wikimedia Commons
1556年、カルロスは長く続いた戦いに区切りをつけ、帝位を弟フェルディナンド、スペインと新大陸を息子フェリペ2世へ譲った。
そしてユステの修道院へ隠棲する。
かつて世界で最も多くの領土を統べた皇帝が、最後に求めたのは静かな時間だった。祈り、読書し、ときに病と闘いながら穏やかな日々を送った。
伝承によれば、彼は自らの葬儀を生前に準備し、十字架の前で長く深い祈りを捧げていたという。壮麗な帝国の主だった男が、最後に戻ったのは、ひとりの人間としての静かな場所だった。
まとめ
カルロス1世──太陽の沈まぬ帝国のはじまりを築いた王。
その輝きは歴史に刻まれている。
だがその裏には、幼いころから続いた喪失、母の狂気、国の反発、果てない戦い、そして信仰との葛藤があった。あまりにも広い帝国は、彼に栄光と同じだけの孤独をもたらした。
それでも最後の祈りの時間だけは、王ではなく、ひとりの魂として過ごすことができたのだろう。
そして、この帝国を受け継いだ息子フェリペ2世は、父が恐れた“影”と“重荷”のすべてを引き継いでいく。▶︎ スペイン黄金時代と帝国の陰りを刻んだ王【フェリペ2世とは?】
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参考文献
- Carlos V: una biografía (Manuel Fernández Álvarez)
- Karl V.: Der Kaiser und die Reformation (Heinz Schilling)
- 『世界の歴史10 スペイン・ハプスブルク』(講談社)
- 村上陽一郎訳『カール五世の手紙』(岩波書店)
- Harold B. Johnson, “Charles V: The World Emperor”
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・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.

