ハプスブルク家は“どこの国”を支配していたのか――。この単純な疑問は、実は誰もがつまずくポイントだ。
というのも、この一族は 固定した領土を持たない「移動する帝国」 だった。
各地図の中には、王たちの時代背景や関連人物の記事に飛べるリンクも埋め込まれているため、気になる場所をクリックするだけで “より深いストーリー” をたどれるようになっている。
起源 ―― 小さな領主から帝国の中心へ
13世紀後半、ハプスブルク家はルドルフ1世の即位によって、地方領主から「帝国政治の最前線」へと躍り出た。
1273年、帝国の諸侯たちが、混乱する王位をめぐって一人の男を選んだのだ。それがルドルフ1世—名ばかりの地方領主と見なされていた人物だった。
大諸侯たちは、彼を都合の良い“妥協の候補”として推したに過ぎなかった。しかし、この選択こそが歴史を変える。
無名の領主が帝国政治へ
そして1278年。
デュルンクルートの戦いが勃発する。中欧の覇権をめぐって干戈を交えたこの一戦で、ルドルフは予想を覆す勝利を収めた。
結果、オットカールが支配してきた オーストリア・シュタイアマルクを自らの手に収め、ハプスブルク家は初めて 「大領域を持つ家門」へと姿を変える。
ここから、彼らの版図は連鎖反応のように拡大していった。
カール5世時代 ― “日の沈まぬ帝国”の誕生
16世紀、カール5世が即位すると地図は劇的に変わる。
スペイン・ハプスブルク家のもとで、領域はヨーロッパから新大陸・アジアへと広がった。
- スペイン本国
- 中南米の植民地
- ナポリ・シチリアを含む南イタリア
- ネーデルラント(ベネルクス)
- フィリピン
まさに 「日の沈まぬ帝国」 の名にふさわしい広がりである。
スペイン系 × オーストリア系— 二つのハプスブルク家
フェリペ2世の代になると、領土は婚姻政策によって整理され、ヨーロッパの地図上に “二つのハプスブルク家” が並び立つ。
- スペイン・ハプスブルク家(西欧・新大陸)
- オーストリア・ハプスブルク家(中欧・帝国の中心)
だが、この分裂は後に深刻な後継問題を生み、スペイン系の断絶という結末につながっていく。
三十年戦争とウェストファリア条約(1648年)
この地図は、三十年戦争が終結した1648年時点におけるスペイン系・オーストリア系、それぞれの領域を示している。
ウェストファリア条約は、
- オランダ独立の承認
- カルヴァン派の公式承認
- 諸侯の外交権の明文化
-
フランス・スウェーデンの台頭
など、帝国の政治秩序を大きく組み替えた。ハプスブルク家にとっては、ヨーロッパにおける覇権が揺らぎはじめた分岐点 であった。
スペイン・ハプスブルク家の断絶
繰り返された近親婚によって血統が極端に狭まり、健康な後継者を生み出す力は徐々に衰えていった。カルロス2世の死(1700年)は、スペイン・ハプスブルク家そのものの終焉 を意味した。
ここから物語の中心は、オーストリア・ハプスブルク家へと移る。
マリア・テレジアの時代
18世紀、マリア・テレジアが即位すると、領土構造と行政の近代化が一気に進んだ。
そして1772年、第一次ポーランド分割ではガリツィア地方を獲得し、中欧における影響力を大きく伸ばした。この状況を示すのが、この地図である。
ここでは、
- プロイセンに奪われたシレジア(1748)
-
第一次ポーランド分割で得たガリツィア
が色分けされ、18世紀中欧の力関係が一目でわかる。ハプスブルク家は主導権を失いながらも、
巧みな外交と制度改革によって、19世紀の「オーストリア帝国」へつながる基盤を築いていった。
多民族帝国の最後の姿
赤く塗られた部分が、1867年以降のオーストリア=ハンガリー帝国の領土。
現在のオーストリア、ハンガリー、チェコ、スロヴァキア、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナの一部を含む、「多民族国家としての帝国」の姿を表している。
- ドイツ系
- ハンガリー系
- チェコ系
- スロヴァキア系
- 南スラヴ系(クロアチア・スロベニア)
- ルーマニア系
-
ウクライナ系など、
非常に多様な民族が含まれることが地図から理解できる。この版図は 1914年の開戦前後の姿 にあたり、ここから帝国は第一次世界大戦で急速に崩壊していく。
オーストリア=ハンガリー帝国(~1918)
19世紀後半、帝国はハンガリーと折衝の末に「二重帝国」となり、近代ヨーロッパ最大級の多民族国家として存続する。
だが第一次世界大戦は、その巨大な枠組みを支えきれなかった。1918年、帝国はついに解体され、地図はモザイクのように塗り替えられた。
ハプスブルク家領の“その後”
かつて一つだった広大な領域は、オーストリア、ハンガリー、チェコスロバキア、ユーゴスラヴィアなど、複数の新国家へと姿を変えていく。
線が引かれ、国名が変わっても、そこに刻まれた記憶は地図の中に生き続けている。
まとめ
地図を見ることは、歴史を“見る”ことだ。それは時に言葉より雄弁に、過去を語ってくれる。
あなたの中のヨーロッパ地図が、少しでも塗り替えられていたなら―― このページの地図は、役目を果たしたと言えるだろう
だが――地図が示すのは「どこまで支配したか」にすぎない。
「誰が」「どのように」その支配を受け継いだのかは、もうひとつの鍵が教えてくれる。▶︎【完全版】ハプスブルク家の家系図|皇帝・妃・子孫まで一望できる系譜一覧
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※ この地図は複数の歴史資料をもとに再構成したもので、地域によっては境界線に若干の差異がある可能性があります。(This map is a reconstruction based on various historical sources; some borders may slightly differ from other references.)
参考文献
- German History in Documents and Images
- The Growth of the Habsburg Empire 1282–1918
- Habsburg Lands c.1700
- Die Welt der Habsburger(オーストリア国営歴史ポータル)
- Euratlas Historical Maps
- Josephinian Land Survey(1763–1787)Austrian National Archives, Vienna
- Philips’ New Historical Atlas for Students(1911年、英国)
- 地図作成にあたり参考にした文献:名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 中野 京子 (光文社新書)、「ハプスブルク帝国」 岩崎周一著 (講談社現代新書) 、図解雑学ハプスブルク家 菊池良生著、ハプスブルク家の歴史を知るための60章 川成洋著 、日の沈まぬ帝国:栄光のパプスブルク展 図録、マリア•テレジアの時代、ウェストファリア条約締結時の地図: The Habsburg (Treasures of the Habsburg Monarchy ) 2009年 パプスブルク展図録、その他
画像について:本記事の一部図版は史料をもとに編集、作成したもので、当時の原画そのものではありません。
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13世紀半ばのハプスブルク家領 (© Habsburg-Hyakka.com)

ルドルフ1世とオットカール2世の領域図(13世紀後半) © Habsburg-Hyakka.com

Map of Charles V’s power in the 16th century (1)

カール5世とフェリペ2世の治世におけるハプスブルク帝国の版図 © Habsburg-Hyakka.com

17世紀前半のハプスブルク家領

© Habsburg-Hyakka.com

マリア・テレジアの時代のハプスブルク家領 (1740-80年) © Habsburg-Hyakka.com

スペイン継承戦争後の地図 (オーストリアハプスブルク家領)

オーストリア=ハンガリー帝国(~1918)

ルドルフ1世とオットカール2世の領域図(13世紀後半) © Habsburg-Hyakka.com


第一次世界大戦前夜のオーストリア=ハンガリー領域図(1914) © Habsburg-Hyakka.com

ハプスブルク家の地図:20世紀初頭の領土 (地図)

元ハプスブルク家の支配地域に生まれた新興国 © Habsburg-Hyakka.com
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.

