【ラス・メニーナスに描かれた少女】マルガリータ・テレサの短すぎた生涯

画家は少女を描いた。だがその筆先がとらえたのは、ただの無垢な5歳児ではなかった──。

中央に立つのは、ハプスブルク家の希望を背負わされた王女マルガリータ・テレサ。だがその希望は、同時に王朝を縛る“血の宿命”でもあった。

ラス・メニーナス、フェリペ4世の娘マルガリータ・テレサ (ディエゴ・ベラスケス画)

ベラスケスの傑作『ラス・メニーナス』は、宮廷の美と静謐 (せいひつ) を装いながら、その奥で確かに「断絶の影」を描いている。

この記事のポイント
  • 1656年、王女マルガリータが絵画の中心に据えられる
  • この時、父王フェリペ4世には男児がおらず、彼女が王位を継ぐことも考えられた
  • しかしその後カルロス2世の誕生により、彼女はオーストリアの叔父の元へと嫁ぐことになった

『ラス・メニーナス』と王位継承の暗示

ラス・メニーナス (ラス・メニーナス)

ディエゴ・ベラスケスの傑作『ラス・メニーナス』(1656年)は、王と王妃を鏡の中に追いやり、王女を画面中央に据えている。

中央に立つのは、スペイン・ハプスブルク家の王女マルガリータ・テレサ。だがその希望は、同時に王朝を縛る“血の宿命”でもあった。

当時、フェリペ4世の長男バルタザール・カルロスは夭折、娘マリア・テレサはフランス王ルイ14世への嫁入りが決定していた。スペイン王家の継承資格者は、もはやマルガリータしかいなかった。

この構図は、王女が“未来の女王”であることを、王室内外に向けて示す宣言とも読み取れる。王の寵愛を一身に受け、画家ベラスケスもまたその希望を描いたのだ。

だがマルガリータは、ただの希望ではなかった。

マルガリータと近親婚の宿命

母マリアナは、父フェリペ4世の姪である。

すなわちマルガリータは、叔父と姪の間に生まれた娘だった。彼女の体には、代々の近親婚で濃縮されたハプスブルク家の血が流れていた。

カルロス1世、フェリペ2世、フェリペ3世、そしてフェリペ4世──数代にわたり従妹婚・叔姪婚を繰り返してきたこの王家では、死産や障害、夭折が続発していた。

マルガリータもまた、その系譜の果てに生まれた存在だった。

兄弟姉妹は次々と夭折し、残されたのは彼女ひとり。だがその後、フェリペ4世とマリアナの間に男子カルロスが誕生。

王位継承は男系に戻り、マルガリータの「未来の女王」としての役割は終わる。

断絶の序章

近親婚は繰り返された。

マルガリータは1666年、わずか15歳でオーストリアハプスブルク家のレオポルト1世と結婚。王朝の血をさらに濃縮する婚姻であった。

(皇后マルガリータ・テレサと娘マリア・アントニア)

マルガリータは複数の子をもうけたが、その多くが夭折し、1673年、21歳の若さで産褥死した。唯一生き残った娘マリア・アントニアもまた体が弱く、次世代では男児に恵まれなかった。

そして弟カルロス2世は、重度の遺伝的障害を抱えて即位し、子を残さず1700年に死去。スペイン・ハプスブルク家は断絶を迎える。

──『ラス・メニーナス』は、決してただの宮廷肖像ではなかった。

鏡の奥に退いた王と王妃、中心に立つ王女、その周囲に配された侍女たちと画家自身。すべてが、未来の継承者に視線を集めるよう設計された構図。

ベラスケスは知らず知らずのうちに、王家の終焉と血統の宿命、その希望と喪失を一枚の画布に封じ込めていたのかもしれない。

まとめ

その中心にいた少女は、結局王位に就くことなく若くして命を落とし、次世代もまた病に倒れた。そして、あたかも『ラス・メニーナス』が運命を映し出していたかのように、王朝そのものも幕を下ろす。

マルガリータ・テレサは、王家の希望であると同時に、その限界を体現する存在だった。

美しさに包まれたその構図の奥には、血統の歪み、政治の重圧、そして少女が背負わされた宿命のすべてが静かに埋め込まれている。

参考文献
  • Alvarez, G., et al. (2009). “The Role of Inbreeding in the Extinction of a European Royal Dynasty.” PLoS ONE, 4(4), e5174.
  • 中野京子『ハプスブルク家 12の物語』光文社
  • López-Cordón, M.V. (1994). “Women in the Spanish Monarchy: Isabel I and the Question of Succession.” Journal of Iberian Studies, 7(2), 185-204.
  • Official Prado Museum Archives: https://www.museodelprado.es/en
・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.

 

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