1918年10月、ウィーンは沈黙していた。
鐘の音も、音楽も、兵士の行進も消えた街に残るのは、崩壊の予感だけだった。チェコスロヴァキア、ユーゴスラヴィア、ポーランド──帝国の内側から次々と民族が声を上げた。
かくして700年の時を刻んだ帝国は、誰にも看取られることなく、その幕を下ろそうとしていた。
この記事のポイント
- 914年、サラエボ事件を機に第一次世界大戦が勃発する
- 1916年にフランツ・ヨーゼフ死去、カール1世が即位し戦争終結と再建を模索
- 1918年、民族が独立を宣言し、帝国が歴史に幕を下ろす
サラエヴォの銃弾――帝国の未来を断った音
1914年6月28日、ボスニア・サラエヴォ。
皇太子フランツ・フェルディナントと妃ゾフィーが、若きセルビア系民族主義者の銃弾に倒れた。
その瞬間、群衆はざわめいた。「これで戦争になる」と。帝国の後継者を奪った事件は、ただの暗殺ではなく、ヨーロッパ中の火薬庫に火をつけたのだった。
サラエヴォの銃声は一国の後継者を奪っただけでなく、ヨーロッパ全体に火を放つ導火線となった。ドイツとオーストリア=ハンガリー、オスマン帝国の同盟。対するイギリス・フランス・ロシアの三国協商。
大陸はすでに緊張の網の目に絡め取られていた。その網を引き裂いたのが、民族問題とセルビアへの警戒心であった。
老皇帝フランツ・ヨーゼフの死
開戦から二年後の1916年11月。86歳のフランツ・ヨーゼフが崩御する。
帝国を68年にわたり支えてきた老皇帝は、国民にとって「生きる秩序」そのものだった。その死は、人々に「帝国は本当に持ちこたえられるのか」という不安を呼び起こした。
彼の死床には「戦争を終わらせよ」という言葉は残されなかった。かわりに、重い戦争と混乱を、若き後継者に託すだけだった。
若き皇帝カール1世の苦闘
帝位を継いだのは29歳のカール1世。
華やかさも覇気もなく、ただ誠実で、平和を希求する心を持つ皇帝だった。
即位の瞬間から彼の胸を占めていたのは「戦争を終わらせたい」という切実な願いである。外交交渉を重ね、秘密裏に協定を探り、連邦化を視野に民族自治を提案した。
しかし現実は無情だった。
戦争は泥沼化し、兵士は前線で疲弊し、都市は飢えに覆われた。民衆の不満は爆発寸前であり、帝国を支えるべき民族は、それぞれの「祖国」を夢見て動き始めていた。
民族の独立宣言――帝国の瓦解
1918年の秋、帝国はついに音を立てて崩れ始める。
10月28日、プラハでチェコスロヴァキア独立。翌29日、南スラヴ人がユーゴスラヴィア建国を宣言。さらに同日、ハンガリーまでもがオーストリアからの離脱を表明した。
ウィーンの新聞は「帝国が帝国でなくなる日」と報じた。街の人々は広場に集まり、帝国の旗ではなく民族の旗を掲げた。
カール1世は「連邦化宣言」を発して民族に自治を認めようとしたが、それはあまりにも遅すぎた。人々の心はすでに帝国の外にあり、若き皇帝の言葉はもはや響かなかった。
休戦と「静かな死」
1918年11月3日、オーストリア=ハンガリー帝国はイタリアと休戦協定を結ぶ。11月11日、ドイツが降伏し第一次世界大戦は幕を閉じた。
だが、その時すでにハプスブルク帝国は「消滅した国」だった。講和条約は用意されず、戦勝国は帝国を相手にせず、新生国家ごとに個別の条約を結んだ。
これらの条約によって、帝国の版図は徹底的に切り裂かれた。
残されたもの――民族と国境の狭間で
条約は民族に「自由」を与えた。だが同時に、数百万のドイツ系・マジャル系住民が「自分の望まぬ国」に取り残される結果をもたらした。
かつて同じ帝国のもとで共に暮らしていた人々は、新しい国境によって切り離され、少数派として不安定な立場に追いやられた。
民族の夢は新たな対立の種を抱え込むことになったのである。
まとめ
第一次世界大戦はヨーロッパの地図を根本から塗り替えた。その中で、ハプスブルク帝国の崩壊はもっとも象徴的な出来事だった。
650年にわたりヨーロッパの中心に立ち続けた帝国は、静かに、しかし確実に終焉を迎えた。
かつて多民族が共に暮らした帝国はなくなり、それぞれが国境を持つ時代が始まった。その光と影を、私たちは今も引き継いでいるのかもしれない。
さらに詳しく:
📖 【サンジェルマン条約とは】ペンで帝国を葬った“見えない戦争”
📖 トリアノン条約とオーストリア=ハンガリー帝国の分裂(領土図解つき)
参考文献
- 馬場優『ハプスブルク帝国—最後の皇帝と民族の解放』東京大学出版会
- 中野京子『ハプスブルク家の人びと』文藝春秋
- Habsburg Monarchy 1809–1918, A. J. P. Taylor
- Treaty of Saint-Germain (1919), Treaty of Trianon (1920)
- Österreichisches Staatsarchiv(オーストリア国立公文書館)
- Hungarian National Archives(マジャール国立アーカイブ)
- World War I Document Archive(Brigham Young University 提供)
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.
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