【スペインハプスブルク家の家系図で読み解く】日の沈まぬ帝国の誕生と断絶

「なぜ、スペイン・ハプスブルク家は断絶したのか?」

この問いに答えるには、彼らの“家系図”を読み解くことが、もっとも確かな手がかりとなる。
なぜならこの一族は、「剣」ではなく「結婚」を最大の武器として版図を広げ、そして「血」のゆがみとともに終焉を迎えたからである。

spain hapsburg family tree (スペインハプスブルク家の家系図)

彼らが築いた帝国は、ただの地理的な拡張ではなかった。婚姻によって継がれたのは、王国・民衆・宗教・言語・文化──そのすべてを抱え込む“運命”だった。

家系図とは、ただの血の記録ではない。それは、国家の盛衰の縮図であり、帝国の光と影が織り込まれた「歴史の地図」なのである。

この記事のポイント
  • マクシミリアン1世が政略結婚でブルゴーニュを獲得し、婚姻政策が戦略として始動
  • カール5世が複数の王冠を継承し、結婚だけで帝国を築く「太陽の沈まぬ帝国」が誕生
  • 近親婚を繰り返した結果、婚姻政策は崩壊と戦争を招くこととなった

結婚で地図を塗り替えた男──マクシミリアン1世

ハプスブルク家の転機は、1482年に訪れた。

神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世は、ブルゴーニュの女公マリーと政略結婚を果たす。これにより、彼は剣を抜かずにネーデルラント・フランドル・ブルゴーニュを手中に収めた。

この「婚姻による領土拡大」こそ、ハプスブルク帝国の戦略の出発点であり、後にスペイン、イタリア、南米大陸、さらにはハンガリーに至るまで、「結婚によって継がれた帝国」が誕生する基盤となった。

Maximilian I (マクシミリアン1世) (マクシミリアン1世)

すべてを継いだ皇帝──カール5世と“日の沈まぬ帝国”

1500年に生まれたカール(のちのカール5世)は、マクシミリアンの孫にして、まさに“すべてを継いだ皇帝”であった。

  • 父フィリップからはブルゴーニュとネーデルラントを
  • 母フアナからはスペイン、ナポリ、そしてその属領として新大陸の植民地も
  • そして祖父マクシミリアンの死後、神聖ローマ皇帝の座までもが転がり込んだ

その版図は、太陽が沈む間もないほど広大だった。

だが、あまりにも肥大化した帝国は、統治においてもまた「不可能性の象徴」となった。宗教改革、フランスとの戦争、オスマン帝国の圧迫──

それは「血統」だけでは乗り越えられぬものだった。

帝国の二分──スペインとオーストリアへ

その重圧に耐えかねたカールは、退位とともに帝国を二分する決断を下す。

  • スペイン・ネーデルラント・新大陸 → 息子フェリペ2世へ
  • 神聖ローマ帝国・オーストリア・中欧 → 弟フェルディナント1世へ

ここに、スペイン・ハプスブルクとオーストリア・ハプスブルクという“ふたつの家系”が生まれる。

結婚政策の代償──近親婚と“断絶の兆し”

華やかな婚姻政策の裏には、避けがたい歪みがあった。この家系図は、スペインとオーストリア両ハプスブルク家が繰り返した「近親婚」による血縁の濃さを示している。

スペインハプスブルク家の詳細な家系図 (複雑な血縁関係を示す家系図)

「純血」の継承を重視するあまり、スペイン・ハプスブルク家では叔父と姪、いとこ同士といった近親婚が繰り返され、遺伝的多様性が著しく損なわれていった。

家系図をたどると、例えばフェリペ4世とその妃マリアナは叔父と姪。彼らの息子として生まれたカルロス2世は、病弱で重度の身体的・精神的障害を抱えており、その特徴は代々の血統の影響を濃密に映し出していた。

家系図が語る「断絶」と「戦争の火種」

カルロス2世の死は、家系図上にぽっかりと空いた「断絶の穴」として記録されている。

これを埋めようとしたヨーロッパ列強──特にフランス・ブルボン家とオーストリア・ハプスブルク家は、王位継承を巡って激突する。

これが「スペイン継承戦争(1701〜1714)」である。戦いの果てに、ブルボン家のフェリペ5世がスペイン王位に就くが、「スペインとフランスの王冠は決して一つにならない」との条項を盛り込むことで、ようやく戦争は終結した。

こうしてスペイン・ハプスブルク家は、カール5世の継承からわずか200年足らずで断絶を迎えることとなる。華麗な婚姻戦略の成れの果ては、まさに「血によって興り、血によって滅ぶ」一族の栄枯盛衰そのものだった。

まとめ

スペイン・ハプスブルク家の家系図は、ただの血統の記録ではない。それは、ヨーロッパ全土を覆う「日の沈まぬ帝国」がいかにして築かれ、そしてなぜ崩れていったのかを、血の流れとともに静かに語る証言である。

「結婚で築かれた帝国」は、武力に頼らぬがゆえのしなやかさと、血統の脆さを同時に抱えていた。カルロス2世の最期に、その宿命が集約されたと言っても過言ではない。

だが、断絶は終わりではなかった。

血は、別の形で受け継がれていく。スペインを失ったのちも、オーストリアのハプスブルク家は帝国を再建し、19世紀のフランツ・ヨーゼフ1世まで続いてゆくのである──

さらに詳しく:
📖 カルロス2世|呪われた王とスペイン・ハプスブルク家の終焉
📖 ハプスブルク顎とは | 王家の血統を守った代償と悲劇
📖 『ラス・メニーナス』の王女|ハプスブルクの血に縛られた少女の肖像

参考文献
  • 『図説 ハプスブルク家』河出書房新社

  • Brady Jr., Thomas A., German Histories in the Age of Reformations, Cambridge University Press, 2009

  • 高橋弘道『カール五世――ハプスブルク帝国の栄光』講談社現代新書

  • Alvarez, G., et al. (2009). “The Role of Inbreeding in the Extinction of a European Royal Dynasty.”
  • Archivo General de Simancas(スペイン王室公文書館)
  • 名画で読み解くハプスブルク家12の物語 中野京子
・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.

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