家系図を辿ると、一本だった血が、いつの間にか静かに輪を描きはじめる。その円環のひとつひとつには、王冠の重さや密やかな愛憎が息づいている。
気になる名をクリックすると、詳しい物語ページへ移動できる。栄光、陰謀、そして断絶――近親婚の歴史を一本の血の糸で読み解こう。
ハプスブルク家の近親婚はどこから始まったのか?
家系図を見て、気づいただろうか。
どの血筋をたどっても、必ず “フェリペ1世とフアナ” に行き着く。ハプスブルク家の近親婚を理解する鍵は、この一点に集約されている。近親婚は「戦略」だった。
ハプスブルク家にとって婚姻は外交そのもの。彼らが血縁を重ねた理由は主にこの3つ。
- 味方を増やすため
- 血統の正統性を守るため
-
領土を平和的に受け継ぐため
最初は合理的だった。しかし 数百年にわたり同じ家系内で婚姻を繰り返すと、血はゆっくりと濃縮されていく。
どれほど血が濃くなったのか? ― “数学が示す異常値”

カルロス2世の肖像画 (出典:Wikimedia Commons)
研究では、ハプスブルク家の“血の重なり”は、一般家庭と比べて約10倍も高いとされる──つまり、父と母が同じ祖先に行き着く確率が桁違いだった、という意味だ。
特にスペイン系は突出していた。カルロス2世はその極致で、
- 叔父×姪婚(フェリペ4世 × マリアナ)
-
両親とも同じ祖先(フェリペ1世とフアナ)
という“二重ループ”の血統を持つ。その結果、医学的にも多くの遺伝的疾患が指摘され、
彼は子を残せず、スペイン系ハプスブルク家は断絶した。
ではオーストリア系はどうだったのか?
「無事だった」と思われがちだが、実際はスペインと同じ血を共有している。ただしこちらは、
- 配偶者の出身がやや多様
- 他国の王家との婚姻が多い
- 領邦が複数あり、血が一点に集中しにくい
という“緩衝材”があったため、スペインほど極端な濃縮には至らなかった。とはいえ、
- マリア・テレジア
- フランツ・ヨーゼフ1世
-
エリザベート(シシィ)
などにも血縁の重なりは残っている。それでも不思議なことに、この家系の血脈だけは完全には絶えず、現在もこの一族の末裔たちが静かに生き続けている。断絶と継続──
ハプスブルク家の物語が二つの道に分かれた象徴でもある。
まとめ
家系図をたどると、一本だった血の流れが、いつの間にか輪を描きながら自分自身へ戻っていく。この“戻っていく感覚”は、数字や系譜として見るよりも、人々の人生に重ねるとよりいっそう奇妙に感じられる。
たとえばスペインの王家では、その輪がゆっくりと閉じはじめ、最後には王朝そのものの行く先を左右するほど濃密な重さを帯びていた。

家系図 (簡略版) ©︎Habsburg Hyakka.com
そして、こうして家系図を見終えた今になると、“最後はどうなったのか”“なぜ彼らはその道を選びつづけたのか”という問いが、自然に胸の奥に浮かぶ。
そこには、権力のために積み重ねられた婚姻が、やがて“身体そのもの”に刻まれていくという、人間が避けられなかった影がある。「ハプスブルク顎」は、その最も象徴的な痕跡のひとつだ。
歴史の面白さは、その問いの先にある。▶︎【なぜ“ハプスブルク顎”は生まれたのか?】近親婚がつくった王家最大の悲劇
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参考文献
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González-Pérez, E. et al. The Role of Inbreeding in the Extinction of the Spanish Habsburg Dynasty. Nature Communications, 2009.
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McKitterick, R. The Habsburgs: The Rise and Fall of a World Power. Penguin Books, 2020.
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Bruce, S. The Habsburgs: Embodying Empire. Yale University Press, 2016.
-
Wiesflecker, H. Kaiser Maximilian I. Das Reich, Österreich und Europa. München, 1991.


